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なにわ会のブログ

海軍兵学校72期海軍機関学校53期海軍経理学校33期
日記 3月8日 歩こう会
平成21年3月 なにわ会歩こう会記 上野三郎
平成21年3月5日に「本牧市民公園八聖殿郷土館」、「三渓園」への歩こう会に参加した。
この頃は気圧配置が冬から春への変換期に当たり安定しない天気の続く時機であったが、丁度晴天に恵まれ、最高気温も12℃と心地よい歩こう会日和だった。
根岸駅に10:30集合、
(男子4名、女子6名)
15:30解散、
歩行数6,500歩。
バスにて「本牧市民公園前」下車市民公園の中を100段余りの石階段を登り資料館に至る。
①「本牧市民公園八聖殿郷土館 法隆寺の夢殿を模した三層八角形の特徴ある建物 
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熊本県出身の安達謙蔵が建立、横浜に寄贈され、市民に郷土の歴史を伝える資料館として、昭和48年に開館、幕末から明治にかけての本牧、根岸の写真や当時つかわれていた農具や漁具を中心に展示しており、興味深い。
二階には此の建物の名前の起源となった八聖人(聖徳太子、弘法大師、親鸞、日蓮、釈迦、孔子、ソクラテス、キリスト)の彫像が飾られている。 
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資料館を出て歩くこと15分、三渓園の入り口に到着。
②三渓園
シニア入園料300円を払い入園、観梅が目的であったが時機を失した恨みがしたが、三々五々群れの中に入る。大池越えに聳える旧燈明寺三重塔(京都より移設)の眺めは流石圧巻だ。
普通の公園位と侮っていたが、総てが本物だ。概要を簡単にパンフレットより抜粋紹介して置こう。
1.生糸貿易により財をなした実業家原三渓(1868(慶応4年)-1936(昭和14年))の手により完成、昭和28年横浜市に寄贈、財団法人三渓園保勝会により復興保全されている。広さは175,000㎡に及ぶ。
2.外苑部分は1906(明治39年)に公開、京都、鎌倉等から移築された歴史的に価値の高い健造物を巧みに配置。
3.内苑部分は1958(昭和33年)公開、原家の私邸であった。古建築で構成された瀟洒な庭の造りが立派。
4.重要文化財10棟、横浜市指定文化財3棟 此れだけの収集はたいしたものだ。
5.原三渓存命中は新進芸術家育成支援の場でもあった。近代日本画を代表する幾多の
作品が園内から生まれており、芸術的雰囲気がプンプンみなぎっている。
梅を愛でる一行
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初音茶屋で一服
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此の茶釜は昭和になって掘り出された
骨董物、一斗一升の容量がある
     
内苑に廻ってのスナップ
 白雲邸(大正9年に建て三渓が20年間住んだ邸宅) をバックにして 
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参加者 左から高田、幸田、深尾夫人、小松崎夫人、伊藤夫人、深尾、品川夫人、加藤夫人、上野(他に村上(69期)夫人)

三渓記念館では原三渓の業績やゆかりの美術品に触れ、又原三渓の住いであり交流のあった文化人の出入した鶴翔閣では志村立美の美人画展の展示物を拝観した。

三渓園の散策を通じて歴史的に価値の高い建造物を、又多くの芸術品を此の地に凝縮した偉大なる実業家原三渓に改めて尊敬の念を捧げる。もう一度ゆっくりと訪れたいものである 。
by naniwa-navy | 2009-03-08 06:23 | 日記
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