なにわ会のブログ

海軍兵学校72期海軍機関学校53期海軍経理学校33期
日記 3月20日
3月20日の戦没者 66年前 なし 
65年前
寛応 隆(戦311 戦闘機) 九州南東海面で
 神風特別攻撃隊菊水部隊彗星隊として敵機動部隊に突入戦死

 故小灘利春君の奥様郁子様から「回天特別攻撃隊の母・おしげさん物語」という小説の原稿を送って頂いた。これは、山口県光市に住む古川知明氏が書かれたものであり、この小説の中心人物は回天の母と言われ、回天搭乗員から「かあさん」とか「おっかさん」と呼ばれて親しまれた倉重朝子さん(おしげさん)である。
回天特別攻撃隊の訓練基地・大津島で猛訓練に励む若い隊員たちが休暇を楽しみ、また出撃前の別離の宴席が設けられたのが、徳山市糀町の高級割烹旅館「松政」だった。
 後に「回天の母」と呼ばれた倉重朝子さんは、大正15年から「松政」で奉公を始め、結婚して一度は辞めたものの夫の病死により、昭和15年から再び「松政」に戻った。戦中の物資の乏しい時代にも係わらず、宴席の時には七輪や炭をかき集め、出撃隊員には白い絹のマフラーを贈り続けた。
戦後になっても、住み込んでいた「松政」の居間に戦没隊員の位牌を祀って毎日手を合わせていた。昭和32年、出光興産徳山製油所が完成した時に「松政」で祝宴が開かれ、出光佐三社長(当時)は朝子さんから回天との因縁を聞いて感銘を受け、大津島の回天碑・回天記念館の建設に協力した。
 昭和42年「松政」は店を閉め朝子さんは故郷へ帰ったが、大津島の追悼式には毎年欠かさず参列したと云う。昭和60年 2月22日、持病の悪化で息を引き取られた(享年78才)。
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 この原稿を読んで、回天特攻で亡くなった戦友を思い起こし、また先年逝去した故小灘利春君との交友、特に海軍兵学校2号9分隊で1年間生活を共にした当時の事を思い出し冥福を祈った。た。
 小灘君と言えば、回天会会長として回天に関する記事を沢山書いていた。これは、彼が「人間魚雷・回天特別攻撃隊の歴史を、搭乗員の思いを、正しく後世に伝えたい」という主旨のもとに、生前に会報・雑誌・新聞等に発表されたものであった。
 この遺された貴重な多数の記録が、散逸することなく永く後世に語り継がれんことを祈念して、ご令室・郁子様のご許可を頂いて、峯一央氏(73期峯眞佐雄氏のご令息)が収録されたものが峯氏のHP(http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/konada.htm)に有った。その数はなんと180件に及んでいる。このうち、なにわ会に関連深いもの、約40件をなにわ会のHPにリンクさせた。是非お読み頂きたい。
なお、HPで見つけた『突然の悲劇 殉職ショック乗り越え奮起」という黒木、樋口先輩の殉職記事とおしげさんに関連した記事をなにわ会HPに取り込んだ。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-kuroki-higutii.html

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by naniwa-navy | 2010-03-20 05:23 | 日記
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