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なにわ会のブログ

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日記 10月20日 米軍レイテ上陸
10月20日
 米軍レイテ上陸
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 この日午前10時、アメリカ側は第10軍団の第24師団と第1騎兵師団がレイテ島東岸のタクロバンに、続いてその南方約27キロのドラッグに第24軍団の第7師団と第96師団が上陸を開始した。レイテ島南端のパナオン島地区にも第24師団の第21歩兵連隊戦闘団が上陸した。
 日本の第16師団は約2万名の兵力を擁していたが、わずか1時間の戦闘で奥地のジャングルへ後退した。これはサイパン島の戦いのような「水際死守」で多くの兵士を緒戦で失った苦い戦訓から、後方のジャングルでの抵抗線形成が日本軍の作戦となっていたからである。第16師団の他の日本軍部隊は、内陸のブラウエン飛行場周辺やダガミなどに主防衛線を展開した。これによりタクロバンなどの海岸地帯の飛行場の多くはアメリカ軍占領下となった。アメリカ軍もほとんど水際での抵抗を受けなかったと記録されている。しかし、米国の第24師団に対してだけは激しい水際反撃があった。
 日本軍歩兵第33連隊は第一波の上陸は無視して、第二波を引きつけた時点で猛烈な射撃を開始し、戦車揚陸艦4隻に砲弾を命中させ、うち1隻を炎上させた。これにより師団司令部が多くの死傷者を出した。第7師団なども、ジャングルに橋頭堡を拡大しようとすると抵抗を受けはじめた。
 午後3時、南西太平洋方面連合軍司令官ダグラス・マッカーサー大将は第3次上陸部隊とともに膝まで水に浸かりながら、タクロバン海岸に上陸した。それはマッカーサーがコレヒドール島を脱出してから2年7ヵ月後のことであった。
 夕刻までにアメリカ軍は兵員6万名と10万トンの車両、物資をレイテ島に揚陸した。アメリカ軍の初日の損害は死傷250人であった。

 11時、日本の第一遊撃部隊はブルネイに入泊開始。直ちに給油する予定だったが、油槽船の到着が一日遅れたため、以後の行動予定に大きく影響した。
by naniwa-navy | 2010-10-20 05:35 | 日記
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