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なにわ会のブログ

海軍兵学校72期海軍機関学校53期海軍経理学校33期
日記 12月31日
12月31日
この日の戦没者・戦後物故者ともになし。

水交平成23年1・2月合併号から
 1 年賀 謹賀新年として次の名前があった。
左近允尚敏(湘南水交会名誉会長)、伊藤正敬、村山 隆
 2 73期訃報  北郷隆昭様 H22. 7.27 没.
 3 新刊書紹介として、
   「レイテ沖海戦の教訓 捷号作戦はなぜ失敗したのか」 
   左近允尚敏著が紹介されている。
 4 特攻兵器 人間機雷「伏竜」について
   常廣榮一氏(兵7Ⅰ期)の記事がある。
 5 軍艦の火薬庫事故からの日米海軍比較と題した谷光太郎氏の記事の中に戦艦陸奥爆沈事故について次の記述がある。
 「陸奥事故 太平洋戦争たけなわの昭和18年初旬、陸奥艦内では、時計・金銭の盗難事故が相次いだ。副長大野小郎大佐は衛兵司令中村乾一大尉に調査を命じた。調査を進めているうちに、第3番砲塔員の某二等兵曹が衛兵伍長として夜間巡回中に事故が多発しているのが分かった。中村大尉は宮本武先任衛兵伍長を呼び、某二等兵曹を尋問した。某は盗みを否定。
 大野副長は中村大尉に第1艦隊司令部(呉に碇泊中の大和に所在)の高頼治法務大佐に相談するよう命じる。中村大尉は高大佐に面会し、午後3時発の艦載艇に乗り呉を離れた。この時、既に陸奥は爆沈していた。
 某は中村大尉と宮本先任衛兵伍長が呉に出かけたことから軍法会議にかけられるのは必至と恐怖し、絶望的となって自殺を考え、第3番砲塔火薬庫の火薬に点火し、罪状隠滅と自殺を図ったものと推定された。
 某の生家に憲兵隊が踏み込んだ。父はアルコール中毒、母は万引常習者で、某も高等小学校を卒業する頃から窃盗で何度も警察に連行される経歴があった。爆沈から27年後の、昭和45年7月23日、陸奥の引揚げが行われ、一つの砲塔が27年ぶりに海面に現れた。その内部からは一体の遺骨と印鑑2個が発見された。印鑑の1個は某の姓、他の1個は某の姓と名前が刻まれていた。
 (陸奥の爆沈については吉村昭の「陸奥爆沈」、文芸春秋別冊1987年7月号「戦艦を爆沈させた水兵」 に詳しい。)
 6 日米同盟50年における海上自衛隊の特別な役割と題してJ.Eアワー氏が平成22年10月28日水交会で行われた講演が記載されている。
彼は5つの重要な出来事とその前の海上警備隊発足前の1950年の出来事について次にように述べている。
その1 1950年の北朝鮮に対する仁川上陸作戦における日本海上保安庁の掃海艇の活躍
その2 1960年頃の海上自衛隊の事です。この頃は、海上自衛隊は殆ど何も出来ず、日本の海上防衛はその多くを米国により担われていた。
その3 1989年代におけるソビエト潜水艦に対する海自航空部隊及び艦艇部隊の諸作です。日本のp3のコンプーターは7艦隊のP3のコンプーターとデーターリンクを通じてリアリタイムに情報交換が出来た。之はソ軍に対する抑止の真髄です。
その4 1991年のペルシャ湾への4隻の掃海艇の派遣です。
その5 2001年の護衛艦を伴った海自補給艦のインド洋への派遣です。これは2009年まで続いた。
そお6 2009年の海賊対処法を制定し、海自の護衛艦とP3Cをソマリア沖海域に派遣したことです。
(項目のみ転記した。)

2010年も今日限りとなりました。元気で2011年(平成23年)を迎えられることを感謝しています。
皆さんも良いお年を御迎え下さい。
by naniwa-navy | 2010-12-31 05:44 | 日記
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