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なにわ会のブログ

海軍兵学校72期海軍機関学校53期海軍経理学校33期
戦記 安藤昌彦
 安藤 昌彦 関連記事
 海軍兵学校72期でおられる安藤 昌彦さんのお話を拝聴させて頂きました。安藤さんは大正10年生まれの90歳。主な作戦地域としては、台湾、香港、海南島三亜、カムラン、サイゴン、ペナン、マラッカ、ルムト、シンガポール、ジャカルタ、スラバヤ、パリカンゲアン等。仏印(現ベトナム)カムラン湾にて敵B-24爆撃機に撃墜されるも、泳いで島へたどりつき生還されたという凄まじいご経験をお持ちでした。具体的に地図を示しながら当時の戦闘の様子をご解説。(写真は当時の様子をバシバシと質問される笹幸恵さん)やはり実際に参加された方からのお話は、その辺の軍事評論家よりも数段リアルで分かりやすいですね。毎度ながら、先輩方のお話はホント勉強になります。
 「今の日本をどのように思われますか?」との問いに、安藤さん「平和に暮らすために『平和、平和』って言ってるけど、丸腰でそんな事言ったってしょうがないでしょう。
それを言うならもっと守りを固めなきゃね。」。
 更に続けて、「当時は一回の飛行でも、それこそ死を覚悟で戦闘飛行なされたと存じますが、正直軍の中でも逃げ出したり、またその様にあまり前向きではない方とかも実際はいらっしゃったという意見も一部ではある様なのですが、その辺りはいかがでしたでしょうか?」
 安藤さん「そんなのいる訳ないじゃない。戦争しに来てるんだから。一人もいませんよ。みんな国の事を考えてましたよ。」事実を事実のまま伝えていく事が大切ですね。

別の記事
安藤 昌彦(あんどう まさひこ)
 大正12年佐賀生まれ。87歳。
修猷館中学より昭和15年、海軍兵学校に入校(72期)。昭和18年9月、海兵卒業後、飛行学生(41期)となり、水上機搭乗を希望、鹿島航空隊で訓練を受ける。
昭和19年7月、飛行学生を卒業。第453海軍航空隊に配属、後に第936海軍航空隊に統合され、海上護衛総司令部の隷下として終戦まで水上偵察機専門の部隊で偵察、対潜哨戒、船団護衛等の任務を全うする。とりわけ零式三座水偵の搭乗員として、当時、最新であった磁器探知機を装備した機材で、対潜攻撃を専門とする。
主な作戦地域としては、台湾、香港、海南島三亜、カムラン、サイゴン、ペナン、マラッカ、ルムト、シンガポール、ジャカルタ、スラバヤ、パリカンゲアン等。広大な地域を飛行したので、『JALパック』であったと自称する。
昭和20年2月、仏印(現ベトナム)カムラン湾にて敵B-24爆撃機に撃墜されるも、泳いで島へたどりつき生還。 スラバヤに於いて終戦を迎えた後、レンバン島捕虜収容所の連絡将校として任務にあたり復員。
安藤先生の講演の中で、水上偵察機は磁力を元に潜水艦などを探すとのことで、水蒸機内には金属は持ち込めないとの事でした。
安藤先生が任務で一番の苦しみは、拳銃を持ち込めなかったいうことなのです。
 この拳銃は、敵を撃つためのものではありません。
万が一敵の捕虜になった際、自害するためのものだということです。
捕虜になって拷問される苦しみ、国家を危険に陥れるくらいならば、自害を選ぶというのが当時の当たり前の感覚だったということが分かりました。
 この拳銃を持ち込めないので、上官にお願いし青酸カリを持たせてくれとお願いしたらしいのですが、上官は必ず手渡しで戻しに来いということを条件で渡したとのことです。
この話でわかるのは、沖縄の集団自決問題です。
当時の軍人は、捕虜になるくらいならば自決するという覚悟を持っていた。
 上官は自決しろなんてことは言わず、生きて帰ってこいと、青酸カリを持たすことにも反対したわけです。
日本軍の命令で集団自決があったということは、事実無根であるというこが、今回の講演ではわかる。 
安藤先生は福岡でも長く生活されていて、同じ福岡人としてご挨拶をさせて頂きました。
仲手川社長のブログ に紹介されていますが、「今の日本をどのように思われますか?」との問いに、
 安藤さん「平和に暮らすために『平和、平和』って言ってるけど、丸腰でそんな事言ったってしょうがないでしょう。それを言うならもっと守りを固めなきゃね。」。
更に続けて、
 「当時は一回の飛行でも、それこそ死を覚悟で戦闘飛行なされたと存じますが、正直軍の中でも逃げ出したり、またその様にあまり前向きではない方とかも実際はいらっしゃったという意見も一部ではある様なのですが、その辺りはいかがでしたでしょうか?」
安藤さん「そんなのいる訳ないじゃない。戦争しに来てるんだから。一人もいませんよ。みんな国の事を考えてましたよ。」
 今の日本と、当時の日本。
昔にあって、今にないもの。
 失ったものを取り返さない限り、日本の存続はありえないと確信しました。
 そのためにも、まずは目の前あることを取り組むしかないと思い、覚悟を決め取り組むしかないですね。
by naniwa-navy | 2011-10-02 11:35 | 戦記
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