なにわ会のブログ

海軍兵学校72期海軍機関学校53期海軍経理学校33期
日記 11月2日 大村航空隊
11月2日
 戦没者
 67年前 昭和19年
  依田 興二( 戦313 戦闘機)・桜井 長(戦407 戦闘機)
  比島オルモックで船団直衛中、敵機と交戦戦死(零戦)

 戦後物故者
  西川 賢二 平成11年11月2日 逝去

  丸橋恵美子様(娘)の「父 西川賢二」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-nisikawa-maruhasi1.html

  小河美津彦の「西川 賢二君を偲ぶ」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-nisikawakennji-ogawa1.html

  間中 十二 平成21年11月2日 逝去

 海上自衛隊 第22航空群司令(長崎 大村航空基地)の渡邊様から次のメールをいただきました。
 『我々が勤務しております大村には、先の大戦中は、海軍大村航空基地及び第21海軍航空工廠がありました。
 航空廠については、当時、学徒動員等で勤務されていた方々による奉賛会により、空襲による犠牲者を追悼する慰霊塔も市内に建てられ、毎年、追悼式が実施されております。 これには、当基地としても儀仗隊、ラッパ隊等を派遣し、支援を行っておりますが、一方、海軍航空隊に関しては、少なくとも、大村では顕彰追悼がなされていないと認識しております。
 大正11年開隊以来、数多の搭乗員の方々がこの大村基地から飛び立ち、多くの方が大陸で、また本土防空で、そして特別攻撃隊として散華され、あるいは訓練中の事故で殉職された歴史を想う時、同じ地で現在、航空部隊として飛んでいる我々にとって、海軍航空隊の追悼をしていくべきではないかとの思いを募らせております。
 現在の当基地内には、昭和41年に建立された「殉空」の碑があり、裏には、当時の海上自衛隊 大村航空隊司令 伊藤孝太郎1等海佐(兵64期出身)の書により、「UF殉難の日に当たり、大村海軍航空隊の英霊とともに合祀してこの碑を建立する」とされています。
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(注:「UF」:昭和40年、海自大村航空隊所属機として、初めての事故により搭乗員が殉職した「UF-2」飛行艇)
 碑建立の趣旨からすれば、基地内にあるこの碑の前で追悼を実施させていただくのが適当であり、海軍大村航空隊が開隊した大正11年12月1日にちなんで、本年12月1日に「訓育」の一環として、海軍大村航空基地の歴史を顕彰するとともに、基地としては初めてとなりますが、所属隊員で、「殉空」の碑の前で、ささやかながら追悼式を実施したいと考えています。
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 一方、長崎ご在住で、海上自衛隊での講演もお願いしている、なにわ会会員池田武邦様に「なにわ会」のお話も伺ったことがあり、貴会のWebsiteで、さまざまな戦記等を読ませていただく中で、昭和19~20年に大村の352空で勤務されていた、広島出身の岡本俊章氏が現在もお元気でいらっしゃるのではということに気がつきました。
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12月1日に計画しております追悼行事は、あくまでも自主的に実施するものではありますが、もし、岡本氏においでいただけるのならば、参加していただき、また、お話を伺う機会をいただけないかと思いまして、可能であれば、ご連絡先を教えていただきたく、失礼とは存知つつ、「なにわ会」Websiteの「管理人」にありました伊藤様のアドレス充てにメールを差し上げた次第です。
 なお、池田様も、もし大村基地で追悼行事を実施するのであれば、大村の部隊配属だった同期も多く亡くなったので、参加させてもらいたいとのことでした。突然のお願いで申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。』
上記メールを頂いたので、此のメールを岡本君に転送し、本人の了解を得て彼の住所、電話等を知らせた。
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by naniwa-navy | 2011-11-02 05:26 | 日記
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