なにわ会のブログ

海軍兵学校72期海軍機関学校53期海軍経理学校33期
日記 12月29日
12月29日
 戦没者 67年前 昭和19年
  林 宏一(765空 艦攻燥)
  比島方面 サンホセの敵輸送船団攻撃に向い、消息を絶つ

 戦後物故者無し

 左近允尚敏君から呉水交(24年1月号)に投稿された志満 巌君の「海軍の思い出 禍福は糾える縄の如し」のコピーを送って貰った。志満君は中学時代から剣道に精出していた。7Ⅰ期で入校、4号の時、剣道競技で3を抜いたがメダル獲得にはほど遠い成績であった。3号の時は頑張ってメダルを獲得しようと狙っていた。ところが、競技の日が近づいた頃、風邪をひき、突然39度近い熱が出て病室に入れられた。そして、競技の日の朝、「軍医官に熱は下がりました。大丈夫です。」と嘘を言って病室から出してもらい、剣道競技に参加、7人を抜いたが、その時教官の田中中尉が審判の教員(下士官)に「志満を休ませてやれ」と声をかけた。
審判の教員は「志満生徒、面をとって休む」と言った。この休むについて次の説明がついていた。
『生徒は准士官の下で下士官の上という地位が与えられています。教員は下士官なので、本来なら生徒に対して敬礼する立場ですが、同時に教官の補佐として生徒に教える立場でもあるので、校内に限り、起床から朝食迄の間は生徒の方から敬礼するよう定められていました。しかし、教員は下級者であることには間違いないので、命令口調を用いないのが普通でした。この場合でも、一般の試合であれば「面を取って暫く休め」という指示になるはずですが、「休め」を「休む」と言ったのはそのような事情からです。』
 彼は審判の指示に従って少し休んでからさらに勝ち進んで11人を抜き、その次に敗れたが、念願のメダルを獲得した。
 このほか、銃剣術競技のこと、父親への手紙のこと、1年間の自宅療養のこと、卒業式のこと、海兵団から海軍省人事局に直訴して八雲に乗ったこと等が書かれていて興味深く読める。
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by naniwa-navy | 2011-12-29 06:52
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