なにわ会のブログ

海軍兵学校72期海軍機関学校53期海軍経理学校33期
日記 1月31日
1月31日
 この日の戦没者 67年前 昭和20年
  木林 健一(伊12 潜水艦)
  米本土太平洋岸交通披壊作戦のため19.10.7 函館出撃以後消息を絶つ(戦死認定)

 この日の戦後物故者なし。

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 昭和20年1月31日、この日私は駆逐艦 「楓」の航海長として高杉敏夫君(経)ともに、「汐風」(艦長 安元至誠元指導官)、「梅」(艦長 大西快治少佐)の3隻でフィリピンからの搭乗員救出とアパリ防衛のための高雄陸戦隊や燃料、車両、弾薬を輸送の為(パトリナオ輸送作戦)、台湾の高雄からルソン島最北端のアパリへ向け午前9時出港し、空襲を避けるため24ktで南下した。
 午前10時頃偵察のB-24 に発見され、対空砲火で追い払ったものの更なる空襲は必至となった。
 午後2時までの当直を終わり、士官室で、高雄で仕入れたバナナを食べて休んでいた時、即ち午後3時過ぎ配置につけの号令がかかった。直ちに艦橋に上がると、台湾最南端ガランピ岬南方20海里において米軍機多数(米第14航空軍所属のP-38 ライトニングに護衛された第38爆撃航空団所属のB-25 ミッチェル12機と第35戦闘航空団所属のP-47 サンダーボルト4機)の空襲を受けていた。一番砲に被弾して一番砲は使用不能となり、艦橋下部構造物は大破する。艦前部が大火災となり、一期先輩の松崎弘栄砲術長ほか便乗者を含め54名が戦死したが、応急措置により危地を脱出して沈没は免れた。「梅」は3発被弾の上機械室が破壊され航行不能となり、「汐風」の砲撃によって自沈処分された。その「汐風」も至近弾により右舷高低圧タービン損傷により速力が低下する。輸送作戦は中止となった。楓は乗員の懸命な努力により火災は鎮火したが、舵取装置が故障し、人力換舵で翌2月1日午前2時やっとの思いで高雄に帰投した。
 当時はそんなに危険な作戦との認識は無かったが、比島からの航空機搭乗員救出作戦は数回行われていてこれが最後となり、以後艦艇による救出輸送は行われなくなった。
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by naniwa-navy | 2012-01-31 07:28 | 日記
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