5月度歩こう会(上野三郎)
5月9日(金)薄曇、気温17~23℃と絶好のウオーク日和に恵まれ新緑の富岡総合公園(旧横浜海軍航空隊跡)の散策を10名の参加者でワイワイ、ガヤガヤ楽しんだ。JR新杉田駅に1100集合、バスにて鳥見塚下車、富岡総合公園に入る。
此の地は横浜海軍航空隊基地があった所で旧正門、草鹿氏書の「題浜空」碑、浜空神社等で往時を偲ぶことが出来る、昭和17年浜空で鍛えられた500名が南太平洋の島で玉砕したとの記述には胸を打たれた。説明板にあるように此の公園は旧水際線の雑潅木が残り鬱蒼と茂っている、その間をくぐり抜けての見晴し台よりの眺望は見事であった。(曇天の為千葉方面は見えなかったが)此処で集合写真を撮る。
後列 品川夫人 上野三郎 深尾夫人 加藤夫人
前列 伊藤夫人 足立之義 幸田正仁 足立夫人
上野三郎 幸田正仁 高田俊彦
足立夫人 深尾夫人 品川夫人 加藤夫人
埋め立て地に建てられた高層住宅群と林の間は芝生の公園になって居り其処では元気一杯遊んでいる幼稚園児やあかちゃ連れの親たちの群れがあり、つわもの共の夢の跡も今は平和だなーと感じた。公園を抜けた所の長昌寺(直木三十五のお墓あり)、慶珊寺に参詣、近くに「孫文先生上陸之地」の岸さんの字になる大きな碑があった。(胡錦濤さんは折角神奈川県に来るのならば此処に来るべきだったの声が聞こえた)
慶珊寺を出て少し登ると直木三十五旧邸の玄関近くに文学碑があり「芸術は短く貧乏は長し」と刻まれていた。あと富岡八幡宮に詣で、遅い昼食をすまし15:00解散。
本日の歩行数ドアーツドアーで11,869歩立派な距離を歩いたものだ。
此の地は横浜海軍航空隊基地があった所で旧正門、草鹿氏書の「題浜空」碑、浜空神社等で往時を偲ぶことが出来る、昭和17年浜空で鍛えられた500名が南太平洋の島で玉砕したとの記述には胸を打たれた。説明板にあるように此の公園は旧水際線の雑潅木が残り鬱蒼と茂っている、その間をくぐり抜けての見晴し台よりの眺望は見事であった。(曇天の為千葉方面は見えなかったが)此処で集合写真を撮る。
後列 品川夫人 上野三郎 深尾夫人 加藤夫人
前列 伊藤夫人 足立之義 幸田正仁 足立夫人
上野三郎 幸田正仁 高田俊彦
足立夫人 深尾夫人 品川夫人 加藤夫人
埋め立て地に建てられた高層住宅群と林の間は芝生の公園になって居り其処では元気一杯遊んでいる幼稚園児やあかちゃ連れの親たちの群れがあり、つわもの共の夢の跡も今は平和だなーと感じた。公園を抜けた所の長昌寺(直木三十五のお墓あり)、慶珊寺に参詣、近くに「孫文先生上陸之地」の岸さんの字になる大きな碑があった。(胡錦濤さんは折角神奈川県に来るのならば此処に来るべきだったの声が聞こえた)
慶珊寺を出て少し登ると直木三十五旧邸の玄関近くに文学碑があり「芸術は短く貧乏は長し」と刻まれていた。あと富岡八幡宮に詣で、遅い昼食をすまし15:00解散。
本日の歩行数ドアーツドアーで11,869歩立派な距離を歩いたものだ。
by naniwa-navy
| 2008-05-10 21:18
| 報告