昨日は伊藤様、左近充様他の皆様のおかげでとても良い時間を過ごす事ができました。終日降った雨も、昇殿参拝の時は降りやんで清々しい空気となり、伯父達が仲間や遺族に会いに舞い降りて来た様な夢想をしました。艦爆の山田良彦様のお隣で、当時のお話をいろいろお伺いできてうれしかったです。モモちゃん、ガスキン、タイソウ、ロング、ヘルマン、ナグロー、ナイスボーイ(伯父深井良です)などのあだ名の由来などもおかしくお聞きしました。伯父も酒は飲む方だったとか。霞空、百里空では飛行訓練中のミスに対するギザ(50銭硬貨)の罰金はシロップ代などではなく、飲み会用にプールされ、休日には霞空の時は荒川沖駅から、百里の時は石岡から東京方面へくり出したそうです。その他にも足立義之ご夫妻、艦爆故高橋義郎(ナグロー)氏の弟、高橋義也ご夫妻、艦爆故岡田次夫(モモちゃん)氏の弟藤本和久様とお話しました。2号時伯父と同じ37分隊の山根眞樹生様は、当時よほどひどい目にお会いになったのか、隣の分隊の1号K氏によく殴られたと、昨日の事の様に憤慨されていました。新入生の時伯父と同分隊の足立喜次様は空母瑞鶴沈没の時、天皇の写真を庶務主任と泳いで運んで救助された駆逐艦の士官室に掲げたそうです。「良」と呼んでいたと言う溝井清様には「深井君は本当にカッコ良かったな」と仰って頂きました。お話はできませんでしたが1号でご一緒の旭輝雄様、2号でご一緒の森園良已様のお元気なお姿も拝見できました。江田島の図書館で「第九銀河隊指揮官深井良」を読んで下さった、以前伊藤様を介してメールを頂いた故精島勝義の甥精島弘文様とも、興味深いお話する事ができました。
遊就館では伯父の遺影を見てきました。85番のボードの右端、上から10番目です。館内では韓国語を話す声が聞こえましたが、どの様にご覧になったのでしょうか。帰りは、再び靖国神社境内の濡れた玉砂利を歩きながら、九段の庭で桜の花になって会おうと言い交わされた桜の古木をしみじみと眺めました。故人も生存者もなにわ会の方々は本当に命をかけて日本を守った人々です。この真実が将来、忘れられる事の無い様、記録の重要性を再認識しました。本当に有意義な一日でした。ありがとうございます。 深井紳一
伊藤正敬氏、精島弘文氏
深井紳一、山根眞樹生氏
山田良彦氏、高橋義也ご夫妻、藤本和久氏
深井紳一、山田良彦氏
足立喜次氏