なにわ会のブログ

海軍兵学校72期海軍機関学校53期海軍経理学校33期
カテゴリ:書きもの( 8 )
我が輩は病人である。その8(最終)
某月某日
 昨夜の痛み更に酷く、悪夢々々の連続。よくもマアこんな何とも知れぬ夢をみることである。
 そのつどガチガチになった肩を動かし痛みを散らす。途切れ途切れのうたた寝で全身ヨタヨタではあるが、昨晩余り食べなかったので腹だけはすいてきた。
 六時半散歩がてらにうどんやへ。近頃出来た博多うどんのチェーン店、年中無休ニ十四時間営業である。時々行くが兎に角安い。何より関西風の薄口醤油味なのも有難い。
元気なら歩いて十分少々、高台にある我が家からの途中にある急な坂道を転ばぬようにヨタヨタとゆく。
ところで暫く前まで関東の人間は、関西うどんは色が薄くて頼りない、食った気がしないと考えていた。大体関東は蕎麦が主体で、うどんも「もり蕎麦」同様濃口仕立てのお汁だと雑味が多くて美味くない。
薄口醤油で仕上げた関西風のうどんやが流行りだしたのは、最近であるが大いに結構である。
 朝の8時ころだと店はガラガラ、客は多くても数人。明らかに水商売と分かる若者が多いが、大きな店を店長と店員2人で切り盛りしている。
時間のかかるのも仕方ない。掻き揚げうどんを頼む。大分待たされたがその掻き揚げのドでかいこと! 野球ボールの倍ほどもある、しかも驚いたことに球形である。
ほんの少しを汁に入れ、残りは持ち帰ることにした。他にも天麩羅だけを少々注文、家なら四、五食分これで十分。
総菜屋の天麩羅よりは安いし、おまけに次回半額のサービス券付きには本当に驚きである。
 日中も痛みは続く、とても花見どころの騒ぎではない。今年は例年に比べ桜の開花が大変遅い。この週末が見頃と思われるが、友人をよんで一杯やる元気はとても出そうもない。

某月某日
 膝から足先、肱から指先まで腫れてパンパンである。見た目ほど痛みは酷くないが動きがとれない。気力を振り絞り自転車で折しも満開の桜、大學、虎山公園や若葉の森で写真を撮る。
 その他銀行で記帳などの所用を済ませただけでダウン。

某月某日
 体調は概ね一年前に逆戻り、体力は激減、去年はなかった節々の腫れだけオマケというところか。それより気力の減退が情けない。味覚障害は多少よくなってきたかという程度、依然味気ない毎日である。

某月某日
 今回の痛みの原発は左肩であるが肩以外はでは右半身が具合悪い。上半身は右肱、下半身は右股関節以下足首まで腫れと痛み。
夜中寝ていると痛んでくるので、動かして痛みを散らし、なんとかうつらうつらすると、今度は痛みが凝り固まって逆襲してくる。
完全に一年前に逆戻り! 座薬はもう完全に効かない。よっぽど注射に頼ろうかという弱気がもたげるが我慢々々。
 旧知の高山さんが色々心配して病院情報を知らして呉れるが、生来の医者嫌いからかどうも今一つ乗り気がしない。

某月某日
 左肩激痛に耐えかね遂に鉄砲外科にて例の注射二本。

某月某日
 昨日の注射のせいで早朝目覚める。依然身体中ガチガチではあるが、多少痛みは誤魔化されているので、散歩がてらに例のうどんやへ。汚い月見川に残る僅かな自然にホッとする。
先日は下流では真黒な汚泥をダンプ船が浚渫していたが、上流には産業廃棄物の排出はない筈。どうしてこんなに汚泥がたまるのか、何とか昔の綺麗な自然を取り戻して欲しいものだ。
それにしてもこの川で鯉の姿、鵜の姿を見ることが出来るのはうれしい。雨上がりで水の濁っていると黒い鯉は見え難いが、それでも鮮やかな緋鯉の姿はよく見える。先日はもっと下流の駅近くで、多くの鯉を見た時には本当に嬉かった。
護岸工事で甚だ殺風景な川岸の風景であるが、更に嬉しいことにはこの川で鵜が盛んに餌を漁っている。思わず一句
 「月見川 濁れる水に 鯉緋鯉
                  波紋残して 鵜の姿消ゆ」

 本稿終り。明日満八十二才誕生日より、稿を改める予定。
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by naniwa-navy | 2010-01-09 05:52 | 書きもの
我が輩は病人である。(その7)
正月中お休みしていた『我が輩は病人である。」の続きです。
某月某日
 痛み止めの注射をやめてから我慢すること半月以上、全身の関節腫れや痛み激しく遂に二度目の座薬挿入。

某月某日
 今迄右に比べて多少は軽かった左半身各部の痛みが特に激化、階段昇降もままならず、正にヨタヨタである。それでも自力回復を信じて頑張る。
 頑張ろうという気力がある限り治る筈だと自分に言聞かしているが、どうも左肩を震源とする今回の痛みも容易ではない。

某月某日
 余震だ、余震だと自分に言聞かせてはいるが、既に一年以上痛みと戦ってきた老いの身には些か堪える。
 肩、肱、手首、から指の関節、膝から足首まで腫れが退かない。困るのは夜中の睡眠時、体を動かさないと忽ち凝りと痛みが襲ってくる。
 痛みと闘いながらのうつらうつらでは眠った気がしない。果たして何時まで頑張れるか?

某月某日
 肩から背中にかけてはまるで鎧をつけたような固さである。どうにもならなくなって明け方女房殿に按摩をお願いした。
 未だ嘗て女房殿に肩を揉んでもらって、これはよく効くなどと感じたことは殆どないが、今度ばかりはヒーヒー云うほどよく応える。プロに按摩してもらったような感じである。
 然し日中は元の木阿弥、終日痛みを耐え忍ぶのみ。多少は春めいてきたのが僅かな救い。

某月某日
 今日は月曜、春雨模様の朝である。昨日の効き目に味をしめ痛くて堪らぬので女房殿に按摩をお願した。然し今日はお疲れとみえ昨日ほど力が入らない。マア仕方がないと諦めるが、寝ても醒めても痛みの方は容赦してくれない。 じーつとしているのがどうもいけない。余程痛み止めの注射をとも思うが兎に角我慢。

四月一日
 本日気分爽快、痛みは全くなく全快か?元気溌剌!エイプリルフールの冗談でもよいからこんなことを書いてみたい。
 然し夜中の痛みは更に酷く、身の置きようがない。夜中女房殿にバイブレーターで按摩して貰うが楽なのはその時だけ。ウトウトしても襲い来る悪夢狂夢は昨年右肩発症時を彷彿させる。
某月某日
 一昨日痛みに耐えかねて遂に元の病院の軍門に下る。例の注射二本、最初の頃のような即効はないが夕方からは比較的楽になった。
然しその反動か、昨夜の痛みは更に酷く、両手両足腫れ上がり小さなアガリックスの薬瓶の蓋が回し切れない。 
 このアガリックスの小瓶、僅か10cc入りだが随分高価なものらしい。先日亡くなった長男の嫁の父が飲みきれなかったものを嫁が貰ってきたものである。
メシマコブのエキス入りだが余り旨いものではない。疲れた時に飲んだらどうかということで、実家から貰って来たものである。
 「私達は要らないのでお義父さん、どうぞお飲みください」という訳で有難く頂戴。 かねて弟かもらメシマコブを勧められていたので早速服用を始めたが果たして効果があるか?
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by naniwa-navy | 2010-01-08 06:11 | 書きもの
我が輩は病人である。(その6)
某月某日
 首吊り、腰の逆さ吊り等、連日の努力に加え暖かくなってきたせいか、これなら何とか旅行にゆけそうな気配になってきた。

・・ ・・ ・・
 こんな訳で、牛ならぬ女房殿に牽かれての、「ラインアルプス花のパリしょん」旅行は、期待に反しての難行苦行と相なった。
 勿論一行の中では最年長、なんとか無事帰宅できたが病状は完全に元の木阿弥。
 正に自業自得、あと半年一年はかかるか?

 旅行記にも度々出てくる食欲不振、どうも舌の様子がおかしいので旅行から帰宅後早速ホームドクターの女医さんに診てもらった。
 咽喉が赤くなっていますとかで抗生薬や嗽薬をくれたが半月経っても一向によくならない。業を煮やして耳鼻科に行った。
やっと血中亜鉛の欠乏による味覚障害と判ったが、精々食餌療法しかないらしい。
 健康食品の亜鉛錠をのみながら、毎日砂を噛むような食事、何を食っても美味くない。ビールやワインは勿論、ウィスキーやブランデーも旨くない。
 人生いよいよお終いですナ!

 此の夏、記録的な猛暑に睡眠不足、暑さだけでもよく眠れないのに、今年は正に台風の当り年、中でも十六号は日本列島を蹂躙した。その猛威は過去最大ではなかろうか。広島では瞬間風速六十、ニ米。
 次々襲来する台風の惨禍は想像を絶するが、当地はお蔭で今までのところたいした風水害を蒙らなかった。
 然し首から肩への痛みは低気圧到来の都度これでもかこれでもかとブリ返す。
 睡眠不足で昼も夜もボーッとしている。 それも情けないが体の方も情けない!腕を動かさないから肩から胸にかけての筋肉がガタ落ち!
 見るも無惨な姿は骨皮筋衛門皺之助。さほど命が惜しいとも思われないが、痛いのばかりはなんとも我慢ならない。

 そろそろ外科医は見限り、今度は針灸に鞍替えすることにした。 この鍼灸医は私の親友の親友で、年は大分違うが中々懇切丁寧にやってくれる。 鍼灸治療であるから、痛み止めの注射のような即効は期待できないが、多少でも効き目があればオンの字である。何しろ一時間みっしり治療してくれるのが有難い。

 八月中旬より週二三回のペースで通院を始めたが何となく効き目があるような気がして来た。 薬が切れると元の木阿弥となる痛み止めの注射よりはいいようである。
 
 苦難の年も明け正月を迎えたが、病状は依然として完治には程遠い。
 それでも徐々には良くなって来ているのであろう。日中身体を動かしている時は比較的苦痛楽になってきた。
 然し夜中睡眠時の痛みは多少軽くなったものの、依然として睡眠不足は相当なものである。
 就寝前に入浴、電気毛布に電気炬燵、とにかく身体を暖かくしてベッドに入るが、ものの一、二時間もすると痛みで目が醒める。
 上半身は肩肱手首から指の関節まで、下半身は股関節、膝、足首まで、特に右側がひどく、痛みを堪えて動かさないと治らない。仕方がないので家の中で運動する。
 階段を昇降すること三十回、下の廊下、客室、居間、食堂を歩きながら、部屋の鴨居や柱などを利用してストレッチに励む。歩数にして約三千、高低差が約八十五米の小山に登る程度の運動量になる。
 
 この位運動をすると痛みは大分楽になってくるが又すぐに眠れる訳にはいかない。横になってテレビを見ることもあるが、最近はクラシック音楽をかけ流していることが一番多い。
 やっと眠れても又痛くなって、時には一晩に二回もこの室内散歩ということもある。  夜眠れないから日中は眠くなれば何時でも寝る。この傾向は相当若い頃からで、まず私ほどの睡眠が不規則な人間もそう多くはないだろう。よくこれで身体がもつものだと我ながら感心している。
 運動不足が一番よくないとは常々思っている。そこで今年になってから戦争中よくやらされた天突き体操を、毎日最低十回はやろうと決心した。ところが残念ながらこれが中々出来ない。
 腰も膝も足首も曲がらないのだからこれは容易なことではない。余談ではあるが、身体の節々が硬くなる原因の一つは、昨今洋式便器の普及でしゃがまなくなったことも大いに影響しているのではなかろうか。 
 相撲の四股踏みもあれは相当合理的な鍛錬方法である。今の私には和式便所が最も苦痛を強いられるところである。
  ところでもう一つの悩みである味覚障害も一向に良くならない。何を食っても美味くない。食い意地の張った我輩には何とも情けない!
 今年になってから知人から、味覚障害については日大板橋病院が日本で一番であると勧められ、一月半ば飛び込みで受診した。待つこと二時間半、診察五分、一週間後再来予約。
 そして予約日、矢張り各種診察採血等合計十分足らず、待ち時間二時間以上、薬朝夕各一袋計五週間分。只それだけでお終い。
 
 五週間後の再診日、対応は概ね前回と同じ、大分良くなっている筈とのご託宣ではあるがご本人の私には余りよくなったとも思えない。
  色んな人からの話を綜合すると、どうも外科での注射がよくなさそうである。素人考えではあるが、此の際痛み止めの注射は我慢してやらないことにしようと決心。
 数日後整形外科受診取止め、痛くとも我慢々。然し痛みは全身に拡散、肩肱手首指の関節、股関節から膝足首まで、
立居振舞甚だ困難、正によぼよぼ! 痛みをこらえなんとか身体を動かすことに渾身の努力!
 然し昨年一月発症時に比べ痛みの質は大分耐え易くなってきたようにも思える。
 鍼灸の治療を受けない日は努めてサウナで身体をほぐすことにしている。

 お気に入りのサウナは車で十分ほど、旧街道沿いにある銭湯で、サウナの温度は百度を越えるので入り応えがある。
 汗が噴き出てきたら水風呂に入る。これを大体三回やると三~四百g体重が減る。 そして普段は前屈しても指先は地上十センチ、これが何とか地面に届くから身体を柔軟にする効果はあるようだ。
 然し晩飯に缶ビール一本で元の木阿弥。現在体重五六~五七キロ。何とか筋肉をつけたいものである。(この文を認めていた頃から現在は更に約10キロ減) 果たして何時になったらこの稿が終るか?
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by naniwa-navy | 2009-12-31 07:17 | 書きもの
我が輩は病人である。その5
以下日記風に文体を改める。
 某月某日
 女房殿の怪我は破傷風の併発が心配されたが案外順調に回復し、顔面の傷痕も次第に目立たなくなってきたが、歯のグラグラは中々治らないようである。おまけに肩凝りが激しくなりレントゲン検査の結果むち打ち症状も発見されたようである。
 痛みからくる慢性睡眠不足と無気力症状、我ながら情けないが二人とも当分医者通いから開放されそうにない。
 
 某月某日 
 夜、仰向けに寝ると痛みと鼻詰まりで目が醒める。概ね嫌な夢を見て気持が悪くなってのことである。
 当然不眠が続き日中は概ね頭がボーつとしている。通信碁の対局もポカの連発、胴元の威信低下甚だしい。 然し春ともなって暖かになると多少は楽になってきたのか。

某月某日
 夜中激痛のため眠れず。これでよくも身体がもつものと我ながら感心する。 先般連絡のあった中学の同窓会、有馬温泉での開催につき改めて案内があった。
 中学では文武両道に亘り多分に餓鬼大将的存在であった関係もあり、又、年齢的にも恐らくこれが最後かも知れないので、あまり気がすすまないが出席の返事を出す。
 
某月某日
 新幹線ができてから、全国各地への旅行も随分と楽になった。日本列島、二時有志数名母校に集合、校長より現況報告があった。
先年我々ネービー出身者が呼びかけて建立した特攻慰霊碑参拝ののち、有馬グランドホテルへ。参集十九名、本来ならもっと話しもはずんだ筈なのに、地元幹事の司会の拙さで一向に盛り上がらず。 
 肩の痛みで夜はじっとしておれない。相部屋では仲間に迷惑をかけるので友人のタクシーに便乗、三田の弟宅に泊る。

某月某日
 銚子での戦闘機会、出席の積りでいたが夜中の痛みを思うと相部屋ではとてもやりきれない、残念ながら欠席。
 それでも暖かくなってきたせいもあってか痛みも多少楽になってきたようである。
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by naniwa-navy | 2009-12-28 16:54 | 書きもの
我が輩は病人である。(その4)
 やむなく翌日は、方向を変え郊外のある整形外科へ行くことにした。
孫娘が以前にかったことのある医者である。駐車場も広く行くのには楽であるが、孫娘に言はすと「ヤブ」である。高校生の小娘が「ヤブ」とはいささか僭越とは思ったが 先生は一応レントゲン写真を診ながら「椎間が年齢並みに狭くなっている」とのご託宣である。
人間年齢並みに狭くならなければ可笑しい。これも誠に明快至極、要するに年齢のせい故左様心得るべしということか。
 あとの治療はたいして目新しくも無く、物腰応対が多少親切なだけで、成程これも孫娘の言うように籔井竹庵先生の仲間のようである。
 電気治療は低周波の刺激療法で、これは矢張り電子レンジ式のほうが素人には体感的に効果ありそうに感じられる。
 注射も一本打ってくれたが余り効果なく、一日で御免蒙ることにした。 
 お蔭で痛みは相変わらずである。首吊り効果で多少痛みは楽になり、少しは動くようになったが肩の痛みは依然として衰えない。それどころか両手首の腫れは頻発するようになった。
 バイトの先生がアイシングをしなさいと言って説明書をコピーしてくれた。要するに「氷で冷せ」というわけである。箸持つ手にも力がはいらないのには困る。塗り薬、貼り薬も皮膚がヒリヒリとして感じが悪くなってきた。

 とかなんとか言いながら多少は凌ぎ易くなってきたことには間違いない。後は気力で痩せ我慢するより仕方ない。 然し夜眠れないのはなんとしても辛い。
 痛み止めの効かない時は酒の勢いを借りて眠っても精々一時間、首から肩から肱手首、時には股関節まで身体中が痛くて目が覚める。
 仕方ないから起きてブラブラ運動で全身をほぐすのである。頭を下にして力を抜き、腕をブラブラ、痛みをこらえて動かしているが、多少はよくなって来ているのであろう。
それでも一日中頭がぼーっとしているのには閉口。 おまけに二三日前、女房殿が飼い犬にじゃれつかれ家の前で転倒、顔面挫傷。
折角の美人がお岩様のような有様で、これまた近くの別の整形外科に通いはじめた。 腕の方は判らないが、女房殿は医者の親切な応対振りが気に入りここに通っている。
 私も、ものは試しと診察を受けてみた。随分以前この先生とは近くのゴルフ場で一度か二度一緒にプレイしたことがある。
 何時も奥方同伴だったので、奥様もお元気ですかとご愛想に聞いてみた。果たして先方は覚えていたかどうか判らない。この先生のうちも「竹林堂」風の古めかしい名前の医院である。
 院内にはこの老舗振りを証明するかの如く、明治時代のこの町の古い地図が飾られていた。
地図というより手書きの古文書的絵図のようなもので、竹林堂医院は随分の大きさで施設の役割毎に棟割まで記載されていた。医院としての老舗ぶりを大いに誇示する代物である。
 丁度我家にも昭和の初めの頃の町の古地図があった。この町の老舗の本屋さんが販売元である。
 然し地図といっても田舎の本屋さんが自前で印刷発行、ポスター大の一枚もので裏面にはこの医院の他にも市内の商店や料理屋の広告も掲載されていて、昔を知る人には大変懐かしい。
 当然前述の絵図とたいして変わりない新聞紙大の手書きのものであるが、発行から百年近くも経つと結構それだけの趣がある。 勿論、大都市になった現在とは大いにかけ離れている。
 何かの役にたつかと思い早速これをコピーして女房から先生に進呈した。
喜んで受け取った様子だったがその後院内には一向に展示されてない。よくよく考えてみると、これにも同じく〇〇堂医院と書かれてあるが、前述の絵図に較べると大きさが月と鼈(すっぽん)ほど違っていた。    
こちらが実際の大きさに近いがこれでは折角の昔の絵図とは大分イメージが違ってくるのでボツにしたらしい。
 それはそれとして 我家も旧市街の真ん中から約二キロ程度、裏の一寸した高台が戦後最初の市営住宅として分譲された。然し、その当時は大田舎であったらしく、残念ながら僅かのことでこの地図には記載されていない。この火葬場は私達が引っ越してきて間もなく火事でなくなった。
 ところが世の中物好きな人もいるらしく、火葬場のあとは縁起がよいとかでこの跡地を購入、家を新築した医者の先生がいた。
 それが又何としたことか、このお家も又火事で焼けてしまった。然し都市化の波は恐ろしく、今やその辺りも昔を知らぬ新しい人の家で一杯である。
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by naniwa-navy | 2009-12-27 05:36 | 書きもの
我が輩は病人である。その3
(続き)
 これが又どうにもならない。「安物買いの銭失い」とはこのことである。
 確かに金属製ベッドの本体は腰のあたりを軸にして背面が持ち上がり、暫くして下半身の方も大腿部も膝から持ち上がる。
ところがこのベッドはマットが付いて無い。マット代りに蒲団を敷くとその蒲団の厚み分だけ腰の位置する部分のカーブが狭くなり作動時に不快な圧迫感が生じる。
 もう一度両手で体を持ち上げてカーブに添うよう姿勢を取りなおせばなんとかなるが、体中痛い病人にとっては使いものにはならない。
 単なるベッドとして孫娘に払い下げたが粗大ゴミ化する恐れは十分にある。老婆ならぬ老爺心からご忠告!「皆さんもリクライニングベッドを買うときは呉々もご用心!」
 悪たればり吐いているので罰があたったのか症状は一向によくならない。診察室に入るとライフル名手の看護師が気の毒そうに尋ねる。
「冬口さん、今日は一本にしますか?二本にしますか?」
 一本は肩筋肉へ「ノイトロピン」二本目は別に痛み止め「デカドロン」を肩関節へ注射するのである。
 この二本目痛み止めを注射するとその日と翌日くらいは何とか凌げる。所がこれは週二回しか注射いてくれない。
 湿布薬、塗り薬、痛み止めの座薬は遠慮なしにくれるが、座薬も使用制限があるし注射ほど効かない。
 だから週七日の内半分以上は痛みのため、ただ生きて居るだけ近い。首から肩から股関節までズキンズキンと痛くて痛くて、寝ては居れない。
 痛くて眠れないということは誠に残酷な話である。ウトウトしても恐ろしい夢や嫌な夢の連続である。
 然るにである、隣のベッドの女房殿は耳が遠いから、我が輩がいくらうんうん唸っていても白河夜船の高鼾、おまけにテレビのイヤホーンを突っ込んでいるから天下泰平。
 ところが逆に我が輩が起き出しそうとすると、その時ばかりはどう言う訳か今迄点けっぱなしの枕もとのスタンドとテレビを消すのである。
 これは別に意地悪じゃなくて、昔からテレビを点けてないと自分の耳鳴りが邪魔になって逆に眠れないらしい。
 眠って仕舞ってからは逆に、我が輩がごそごそ動くとボロ家の振れに気付き、反射的に電気を消すだけのようである。 仕方ないから我が輩は独り淋しく居間のソファーで首吊りをする。首吊りというと大袈裟だが、下から顎を包み上げ、重しで首を引っ張り上げる道具である。

 以前からこの首の牽吊器は時々肩が凝ったときに使用している。海軍後輩の医者に頼み購入したもので、大概の肩凝りはこれで治ってきたが、今回は何時もに較べ効き目がさっぱり。
 この医者は整形外科の中々の名医だが、今は第一線からは引退、名誉職のお偉さんで、実際の診療には携わってはいない。
女房殿の舎弟や中学時代の親友も整形外科を開業しているが、遠く離れた故郷にいるのではじゃ仕方ない。

 都合の悪いときは重なるもので、生憎私が主宰している或る趣味の会の事務担当の女性が、息子さんの入院手術のため長期欠勤,私が毎日パソコンと睨み合わねばならない。
どんな会かと云うと通信碁の会である。同好の士を糾合して最初は一手一手を郵便でやり取りしていたが、ファックスと云う便利なものが出来てからは、これも併用した。それでも一局終わるのに四、五年はかかる。然し、会員の老齢化が進んで先年、三十年近く続けたこの会も幕引きと相成った。これまた肩凝り原因の一つであったことに間違いは無い。
 平素からサウナが大好きなので医者にサウナはどうかと訊くと、先生は「サウナ大いに結構々々」というが、どうも今回は逆に疲れるような氣もする。
 サウナは熱いのが好きで、サウナで暖めて水風呂で冷やす。これを二三回繰り返すと大体300乃至400gを絞れる。もっとも帰宅してビールでグーッと咽喉を潤すと忽ち元の木阿弥と化すが、これは又別問題である。
 然し今回は今一つ浴後の爽快感が無く、体の凝りも余り取れない。 それに心なしか痛み止めの注射も余り効かなくなってきた。最初は嘘のように効いたが慣れは恐ろしい。従って一週間の中四五日は泣きの涙である。
 そろそろ別の医者を探すか、按摩鍼灸に鞍替えせねばと思っているが、何となく面倒臭い。
思考力は完全に低下しているが、死ぬ心配だけは無さそうであるから辛抱々々!
 我慢、辛抱、時薬!人間齢とれば方々ガタの来るのは当然と諦めていたが、今度は両の手首が脹れてきた。やむなく 大先生に「どうしたものか」と尋ねたら、触りもしないで「血液の循環が悪くなっているのだろう」の一言である。
何とも有難いお見立てである。我輩も流石之には呆れて返って返す言葉もなかった。 と云うわけで面倒ながら他のお医者様に鞍替えしようという次第と相成った。
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by naniwa-navy | 2009-12-25 17:44 | 書きもの
我が輩は病人である。その2
今ではあの世にもパソコンが普及しているに違いない。探せば2000年はおろか3000年の昔まで判るかも知れない。さすれば我が家も家系連綿として「起源は正に三千年」と云う「家歌」が出来るかも知れない!
「どうじゃ恐れ入ったか!」といっても誰も恐れ入る筈はないのが残念千万である。話がとんでもない方に脱線してしまつたが、元に戻すことにいたしましょう。
若さというものは有難いもので、痛い方の右手右肩は使わずに左手一本でゴルフに現(うつつ)を抜かしたこともある。
その頃入院だの、無理をするな等と言われたことは言う迄もないが、結局「時薬」を頼りになんとか辛抱をしてきた。 然し、今の痛みも相当なものである。果たして治るのだろうか?
 このヤブ医者奴に掛かついる限り一寸やそっとでは治りそうもない。様子を話すと誰もが他所で診て貰つたらと言う。
さりとて他の開業医に掛かっても大同小異、余り期待は出来ないだろうと観念する他ないので、一番近くて時間がかからないここで辛抱している。
 近いと言えば我家の裏隣には公立の枯葉病院というのがある。四百床近い大病院、我家の二階から見えるこの病院は直距離にして百メートル程の近さだが、大病院は兎に角時間が掛かり過ぎる。
 実は先日もこの病院に診療の申し込みをしたが、余りにも長く待たされるのにうんざりして帰ってきた。 只困るのは鼻詰まりである。就寝時には殊に困る。首肩の凝りが鼻まで影響しているに違いない。 
口で呼吸すると口の中はカラカラになってしまう。多少でも風邪気味だと更に苦しいので枕を二つ重ねに高くすると多少楽なようなきになるが、永い目で見るとこれも余り感心できないようである。
 二十年ほど前、首の下、右の鎖骨と胸骨の結合部に突如猛烈な痛みが走った。左の同じ部位を較べてみて素人目にも各段の出っ張り様である。
この時の痛みは相当なもので、勿論首は回らない腕は上がらない、全身棒状硬直症である。それ以来時々全身に痛みがはしるが今回程回復が長引いたことは無い。
 最も困るのは数年前の発病以来、殆ど毎晩悪夢の連続、実に嫌な夢ばかりで熟睡出来ない。翌日はボーッとして思考力激減、頭は朦朧として誠にすっきりしない。
 実は現在通っている医院は我家より直距離にして二キロもない。旧市街の中心部にあるから勿論駐車場など全く無い。然し近くの一本裏通りは案外閑静で寺院や会館等もあり、短時間ならなんとか駐車できる。
 一階は待合所診察所等があり、初診以外の患者には概ね看護師さんが注射の用意をしたところで先生が別室から現れチクリとやるだけ、誠に結構なご商売である。
 この看護師さんはライフルの名人で数々の大会で優勝、その時のカップや賞状が待合室に飾ってある。 先生ご本人の趣味もゴルフの他にライフル射撃に加え一寸珍しい古式砲術のようである。
待合室にはご本人がお城を背景にして江戸時代の火縄銃を身構えへ、弾丸を発射しようと勇ましい侍姿の写真が飾ってある。
その方面では結構有名らしいが、余ほどの物好きと見える。今時金もかかるであろうにと心配するのは貧乏人の僻みか。
 三階には首や腰を引っ張る為のベッド、その他リハビリ用の器具、極超短波で患部を照射する器具、つまり電子レンジで患部を温める器具が数台置いてある。他にもその類の器具が何種類か置いてあり、そういう意味では町医者としては設備のいい方であるらしい。
 この三階にも数名の女性がいるが、「うちのダーリンが、ダーリンが」という女性が親分格で、ハーフ紛いの可愛い美人もいる。
彼女は概ね器具を装着したり治療時間をセットするだけのこと、本物の看護師様であろうか?
室内は足腰の痛い我々老人の常連で満員御礼の盛況である。
中には半年は愚か、一年、二年と通っている人もいるらしい。 然しどういう訳か患者同士は余り会話しない。
同病相憐れむという言葉もあるくらいだから、お互い病状を話し合えば、少しは気休めにもなろうにと思うが、患者同士が打ち解けないのも最近の世相であろうか。
 看板は整形外科の他にリハビリテーション科となっている。然し、余り大手術をしたという話は聞かないから面倒な仕事は恐らく外注専門か?
自家用の駐車場は隣接の別棟にあるようだが、患者用のスペースは一台分もない。お手軽簡便が売物のようで誠に結構なご商売である。
 他に電気器具を使ってチクリチクリとやる治療師がいる。これは狐面した中年男だが、何時も偉そうに白衣のコートの前をはだけ、両手をポケットに突っ込んでペタンペタンとスリッパを引きづって歩く。
そのだらしなさは、昔の海軍なら忽ち横面に拳骨の嵐というところであろう。 レントゲン技師の資格も持っているようだが以前一度だけこの先生の治療をうけたことがある。
チクリチクリと痛いばかりで余りかかろうという氣にはなれない。昔は二階にその治療室があったようだが、今は三階の隅っこに追いやられたのであろうか。本人も概ね手持ち無沙汰のご様子で、相変わらずポケットに手を突っ込んでウロウロしていることが多い。
 話は前後するがこの先生、よくよく暇と見え、最近になって私にも「そろそろレントゲンをかけてみませんか」などと声をかけてきた。
 医者も患者も何も云ってないのに無駄な治療費稼ぎなど大きなお世話だ!と腹の中で悪たれをついている。
  病院の悪口ばかり云っている所為か症状は一向によくならない。起きているのも辛いが、困るのは寝ていうちに首や肩がパンパンに凝ってくる。
 痛くて寝て居られない。仕方ないので以前通販で購入したものの、余りピンと来なかつたリクライニングベッドを引っ張りだし使ってみた。就寝時の鼻詰まりに悩まされ、試しに通販で買った代物である。
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by naniwa-navy | 2009-12-24 08:33 | 書きもの
我が輩は病人である. その1
我が輩は病人である。姓は冬口、名は枕流。
然し一見する限り別に顔色が悪い訳でもなければ、息も絶え絶えと言う訳でない。
痛み止めの薬が効いている限り飯も食らえば酒も呑む。年齢を考えると酒は結構一人前以上である。それも主にスコッチかコニャックをストレートでチビリチビリやるのが好きである。
我が輩に言わせれば、大体ウイスキーの水割りなどというものは食文化の外道である。戦後、食糧難の時代はアルコールなら何でもよかった。一般大衆はアルコールに色をつけただけのようなウイスキーでも、大いに有り難がって呑んだものである。
メーカー言葉巧みに身体にはオンザロックや水割りが良いと称し、ストレートでは不味くて呑めない代物でも「ポリスを呑んで メッカ」に行こうなどと大いに宣伝、大衆を欺瞞した。
医者共までが尻馬に乗せられ水割りを勧める。 ストレートでは不味くて呑めないが、水で割ればそれなりの刺激に薄められ、それに馴らされた大衆は大いにこれを有り難がって呑んだものである。
 そのうち「ヌーボー古酒」などという代物まで現れた。一体これは何ちゅうことか?
これ程大衆を馬鹿にしたブランドは恐らく世界に珍しいのではなかろうか。
 或はそれともメーカーが良心の呵責(かしゃく)に堪えかねて本当は「未熟の新酒にちょっぴり古酒をブレンドしたものですよ」というメッセージを込めているのであろうか。 何れにせよ誠に珍妙にして不可解な代物が罷り通る日本である。

 最初から話が酒の方に脱線したが、さりとてアル中という訳でもない。要するに今のところ、内臓の方は何とか動いているようであるが、体の方はあっちこっち痛くてやりきれない。  
 首、肩、股関節作動不全による全身棒状硬直症である。尤もこれは医者が宣われて病名ではない。俺様が勝手につけた病名である。然し、一番肝心な部分は完全に軟体動物状であるから齢は争へない。
 ところで、我輩がかかっているこのヤブ医者奴は病名を言わない。毎日毎日同じような患者ばかりみていると面倒くさくなるのか不親切なのか?
 この医院には時々別の大病院の勤務医が代診にくる。この医者も私の場合には看護師の差し出す注射器を彼女の指示に従い注射するだけである。最近は。うっかり看護婦さんなどと呼ぼうものなら忽ち嫌な顔をされるからご用心!
 それでもこの先生は院長より多少親切そうなので病名を聞いてみた。
案の定、これまた看護師に『冬口さんの病名は何じゃ』と尋ね、彼女の差し出すカルテを見て教えてくれた。「変形性脊椎症と右肩関節周囲炎」とのご託宣(たくせん)である。
 病名も知らずに注射だけしていたのでは悪いと思ったのか、ご親切にも改めてメモに書いてくれた。 首が痛い、肩が上がらぬといえば、要するに首と肩の骨回りにガタが来ているということだ。
 肩の痛いのは、特に右肩の痛いのは小学六年生の頃の野球の猛特訓の遠因があるかも知れない。
 遺伝か体質か生れつき体が非常に固い。体の固いのは娘にそっくり遺伝した。 彼女の幼い頃バレーの発表会を見てその動きの固さに遺伝の恐さを痛感し、こりゃ駄目だと可哀想に思ったが仕方ない。
 我輩も子供の頃から前後左右中々体が回らない。海軍時代も特に柔軟性を要求される徒手体操には最も閉口した。もっと体を回せだの曲げろだの教員にしごかれたがこればかりは仕方ない。
 その昔、といっても戦前の昭和、小学校時代の郡内対抗野球大会には各町村の対抗意識が旺盛で、その頃血気盛りの先輩達がやってきてのシゴキ振りは、今の親達が見れば忽ち肝をブッ潰す事間違いなし。
その主役は我輩の6才上の兄上様であった。
この兄上様は優男の我輩とは違い体つきも甚だ頑丈、柔道五段。聨合艦隊最後の大会で優勝したのがご自慢であった。
この兄上様が親分格で、小学生の我々シートノックが終ればホームまで這って帰ったこともしばしばであった。真夏の炎天下、猛ノックでヘトヘトになるまでしごかれ、汗が出尽くして真赤な血のような小便に吃驚したことも記憶に生々しい。
その頃の猛練習でしばしば肩を痛めた。若かつたから何とか凌げただけのことである。 こんなところに遠因があるのか、勿論四十肩五十腰の類には大いに悩まされた。ゴルフを始めたばかりの頃である。
四十肩でどうにもならなくて或る大先生に相談に行った。元海軍軍医中将閣下である。 畏れ多くも畏くも、我輩奥方様の、お兄上様の、奥方様の、お父上様である。
閣下のたまわく 「枕公よ!これしかないという四十肩の特効薬を教へてやろう。 そりゃ時薬じゃよ!」
つまり 「医者の手には負えないから諦めろ」ということである。大酒食らって泊めて貰った翌朝のことである。
この閣下、奥方様は未だおねんねとのこと、お気の毒にお一人で朝食の「トースト」を焼きながら面白い昔話をしてくれた。
 話しとはその昔、聨合艦隊軍医長になりたてのある日の夕方、後甲板でデッキチェアーでくつろいでいると、隣に座っていた長官に当直参謀が電報を届けにきた。
 ひょっと見ると畏れ多くも畏くも若杉宮殿下ではないか!
 吃驚して飛び上がって敬礼したら長官にたしなめられた。「これは公務々々、殿下は当直参謀じゃ!坐っていなさい」と
今は昔の物語、宮様がお傍に見えても椅子にふんぞり返って居られたほどのお偉らさんも、戦争に負けたお蔭で今や市井一介の町医者。これも時世時節というものである。
事のついでに昔々この宮さんの従兵をしていた人から聞いた話。
「この宮様は褌は自分で洗濯、私室のトイレは便器まで自分できれいに掃除されたので大変恐縮した」とのこと。
些か話が「坂の上ならぬ・雲の上のお人」に及んだが、恐れ多くも畏くも万世一系のわが皇室は、皇統連綿として2600年が遂に2700年になろうとしている。
それに比べ我が家のご先祖様は何処の何方かどうもよく判らない。
然し、この世に我輩が存在しているということは、まさか木の股から生まれわけでもなかろうから、あの世へ行ったらご先祖探しに没頭してみたいと考えている。
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by naniwa-navy | 2009-12-23 09:12 | 書きもの

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