なにわ会のブログ

海軍兵学校72期海軍機関学校53期海軍経理学校33期
カテゴリ:お知らせ( 40 )
海軍兵学校の会
 昨年10月海軍兵学校連合クラス会が解散しました。しかし隊務を担当していた75期~78期の幹事等が、何らかの繋がりを続けたいということから「海軍兵学校の会」(世話人代表 75期菱川信太郎)を立ち上げました。
都竹卓郎君、若松禄郎君には案内状がいっていると思いますが、、次により行われますので参加ご希望の方は小生(伊藤正敬)あてご連絡下さい。案内状を送ります。
  日  時  平成21年12月8日(火曜日)12:00~
  会  場  水交会(東京・原宿) 電話03-3403-1491
  会  費  ¥6000-
  申込期日  11月15日
  連絡先    石井 洋(78期)
         〒272-0827 千葉県市川市国府台6-8-15
         電話・FAX 047-372-7952
(小生も参加予定しています)
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by naniwa-navy | 2009-10-25 09:00 | お知らせ
震洋艇
昨日の会合の時、若松君から震洋に関する資料を頂きました。
それによりますと、21年3月20日から12月8日まで靖國神社にある遊就館で「矢弾丸尽きるともー我生還ヲ期セズ―」という特別展が開催されています。そこの震洋コーナーに震洋の写真、史料が展示されています。
その展示品の中に「震洋実物大模型がありますが、この模型のいわれは次の記事のとおりです。
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by naniwa-navy | 2009-05-21 07:50 | お知らせ
74期談話室の記事
74期の談話室の記事の転載です。
池田氏ご夫妻(矢矧測的長で枕崎平和記念慰霊展望台を守る会の会長、建築家として有名ー日本設計創始者、ハウステンボス設計同社長、建築学・家協会名誉会員、科学大学名誉教授の他名ヨットマンでもあられる)
ご令室様は洗面器の水も怖い方であったが御主人のため努力され、東京~長崎のセールにも同行されるそうである。
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お住まいはハウステンボスの南約20キロの琵琶首鼻の突端にあり、地元では大先生ご夫妻と敬われておられる。

自ら設計され釘一本無い文化財のようなお住まいで、広い板張りは海に突き出、左回りに海が広がる。定置網が仕掛けられ、多良山系が遠望される。
我等の1号生徒池田武邦氏には一度拝顔の栄に浴したいと念願して居た。それは35分隊のクラス諸兄の個性豊かでしかも比類なき団結の根源を究めたい為である。今年4月7日の第2艦隊(旗艦大和)慰霊祭でのご挨拶を拝聴し、その念を益々強くしていた。この度お会いした感想は失礼ながら 凛とした青年海軍士官其の侭の中に優しく包容力抜群、筋の通った話は短節で「3号生徒は皆個性豊かで優秀であった」とあくまで謙虚であられた。駄文は擱こう。「この伍長生徒にして35分隊あり」、立派な72期1号生徒に恵まれたあの日あの時、今も続く篤い思いを語りながら一路嬉野を目指した。
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by naniwa-navy | 2008-12-13 14:11 | お知らせ
購読会員のブログ
購読会員のブログの転載です。
「生駒山の空戦ー2008年12月11日 19時03分50秒

最近、内地防空関係の本を読んでいておもしろい撃墜記録を見つけました。 「おもしろい」っても、「笑える」って意味じゃないですから。 「へえ、こんなこともあるんだー」とびっくりしたというか何というか。
昭和20年1月(ご本人の回想によると「20日ごろ」)。
鳴尾基地で関西方面の防空を担当していた332空の相澤善三郎中尉(72期)。
この日、日本海側から太平洋に向かって抜けようとしていたF13(B29の偵察機型)発見の報に接し、同期の松木亮司中尉とともに「それっ!」と邀撃に上がります。 この日の相澤中尉の乗機は零戦。 332空は、対大型爆撃迎撃用に作られた雷電配備の部隊で、相澤中尉もふだんは雷電に乗っています。 なのに、え? 零戦でF13に立ち向かっていったの? ちょっとびっくり。
私のイメージでは、B29というのは高度10000メートルぐらいのところを悠々と侵入してきて、日本軍の迎撃機がハアハア言いながら上がってきた頃にはもうそこらへんにいない、みたいな・・・・。 B29ってあんなに大きいのに逃げ足が速いらしいですね。爆弾を落として身軽になったあとなど、あっという間に姿が見えなくなるというか・・・・。 B29ですらそうなので、それの偵察機型ということは、最初から爆弾は積んでいない(つまり身軽)、爆撃照準や編隊行動の制限もないから好きなように回避行動が取れる、ということで、ただでさえ落としにくいB29よりさらに落としにくいのでは? それを零戦で追っかけようというのだから、すごい!
そもそも零戦で高度10000メートルまで上がれるのかな、動けるのかなと思うのですが、この日の相澤中尉の零戦は10000メートル以上上がれるようにエンジンを調整してあったのだとか。 そして、期待にたがわず、一緒に上がった松木中尉を置き去りにしてぐんぐん上昇していきます。 11000メートルまで上がったときには、目標のF13はちょうど相澤中尉のほうに向かってくるような好位置に占位していました。 静かにそっと旋回し、近づいてから20ミリ機銃を撃ち込む相澤中尉。 機銃弾は吸い込まれるようにF13に向かって飛んでいったとか。
(相手から反撃があったかどうかは不明) 攻撃できる時間などほんの数秒のことだったでしょう。 ハッとして見たら、F13の主翼、エンジンのあたりから黒煙を噴きながら、そのまま南のほうに飛び去っていったそうです。 ご本人は自覚はなかったようですが、基地に戻ってから他の部隊から米軍機1機が潮岬沖に落ちたと知らされ、他に該当する空戦もなかったことから、相澤中尉が火を噴かせたF13と認定されました。 もう64年ほど経ちますが、相澤中尉がF13と一騎打ちをした生駒山の上空。平成20年12月11日のそこは平和な空です。
わたしは母に、 「ばあちゃんに戦争中のことは聞いたらいかんよ」 と釘を刺されていたので、祖母に聞いたことはありません。 母は19年生まれなので聞いてもわかりません。
今年になってかな、皇統護持作戦のために杉安にやってきた343空の3人(大村大尉、加藤大尉、堀飛曹長)のことを聞くために、終戦時10歳だったおばに電話をした時、 「戦争中は大阪にいて、終戦後すぐに宮崎に帰ってきた」 みたいな話を聞きました。 ということは、うちの母は1歳の頃まで大阪にいたってことか? うちの祖母や母がいた大阪の町を命をかけて守ってくれていた人たちがいたんだなあ・・・・。いや、いまもお元気にされている姿を見て、なんだか胸がいっぱいになりました。」
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by naniwa-navy | 2008-12-12 07:53 | お知らせ
購読会員Aさんのブログ
購読会員Aさんのブログの転載です。

『前に『回天の群像』に出ている、柿崎中尉と「松政」のおしげさんのエピソードを書きましたが、あれは著者の宮本さんが『あゝ回天特攻隊』から引用した文章でした。 『あゝ回天特攻隊』にはさらに詳細に載っているので、その部分を紹介します。

その前にまず、出撃が決まった多々良隊のメンバーを紹介します。
隊長・柿崎実中尉(海兵72期)
前田肇中尉(予備学生?)
山口重雄1曹
古川兵曹
横田寛2飛曹
新海2飛曹

その日、「本を読む」と言って基地に残った前田中尉以外の5人が上陸しました。ところが、3人はいち早く雲隠れしてしまい、気がつくと残ったのは柿崎隊長と横田兵曹2人。
「徳山へ行こうや」と柿崎中尉が言いだしました。 横田兵曹は当時、松政の存在すら知らず、どこに行くのかいぶかりながらも柿崎中尉についていきます。
松政に連れて行かれ、おしげさんと対面します。
『おしげさんは、三十をなかばすぎた、ふっくらした感じの人だった。隊長はこういって私を紹介した。
「かあちゃん、この男はね、こんど俺といっしょにゆくことになったヤンチャ坊主だ。小さいとき、おふくろが死んでね。・・・・だから、かあちゃん、きょう一日でいいから、こいつのおふくろになってやってくれんかな」
隊長が”かあちゃん”というとき、私は思わずふきだしそうになった。が、見ると、隊長は大まじめである。おしげさんのほうも、少しも悪びれたようすもなく、ハイハイと答えている。
「柿崎さん、お酒つける?」
「いらんよ。こんな坊主に酒なんか飲ましたら、おぶって帰らんならん。大津ならいいが、光は汽車に乗らにゃいかんからな・・・・」
そういう隊長をさえぎって、
「隊長、飲みましょう。俺だって強くなったですよ。この前なんか、新海とふたりで、ウイスキーを一本あけちゃった・・・・」と、これは私である。そのころ、ようやく酒を飲みはじめたばかりで、やたらと酒への好奇心が強かったのだ。
「ほんとうかあ、とんでもねえやつだな。・・・・そうか、おやじがよく飲むのか。じゃ、おやじの血をひいたんだな、きっと」
「まあ、いいじゃないの。万事、かあちゃんにまかしとき・・・・」』
一般にはもうお酒など残っていないころだったのですが、おしげさんは搭乗員のために苦労してとっておいてくれたようです。
『三人で昼の酒盛りがはじまった。飲めるといったところで、隊長と私などタカが知れている。たちまち酔っ払ってしまった。しかも隊長など、すっかりいい気持になって、おしげさんの膝をまくらに、詩吟などをうなっている。しまいには、「四時になったら起こしてくれよな、かあちゃん」といってグウグウ寝てしまった。 こちらは初めての場所で、しかも相手は初対面である。酔っても、どことなくかた苦しい。おしげさんは、隊長の軍服をぬがせて、介抱している。つぎに靴下をとって、雑巾で足をていねいにふいてやっている。ふきながら、
「みんな、かわいいのよ。・・・・柿崎さんはいつもこうなの。・・・・いい人でしょう」
話しかけるように、つぶやくように、そんなことをいった。私はそのしみじみとした調子に、ふっと胸をつかれるものをおぼえた。』
20年3月28日、多々良隊(伊47潜)は出撃したものの、途中駆潜艇に追いかけまわされ、飛行機にまで攻撃され、母潜も積んでいた回天も修理が必要な状態になってしまい、しかたなく帰投します。
そして4月20日、再度同じメンバーで天武隊(伊47潜)として出撃し、柿崎隊長、山口兵曹、古川兵曹(以上5月2日)、前田中尉(5月6日)が回天を発進させ特攻戦死。横田兵曹と新海兵曹は回天と母潜を結ぶ電話の故障で発進できず、泣く泣く基地に戻ってきました。
そのとき、横田兵曹はまっ先におしげさんに会いに行ったそうです。
『「隊長は死にました。私はだめでした」
これだけを、私は小声でいった。すると、おしげさんの大きな声が飛んできたのだ。
「横田さん、おかあさんの目を見なさい」
りんとした声だった。
「しっかりしなさい。失敗はだれにだってあります」
私の両肩をつかんで強くゆさぶったかと思うと、しかし、つぎの瞬間、ワッと泣きくずれた。
「またやります。靖国神社には六人いっしょにはいる約束ですから。でも、すごくさみしいんです」
この人になら、なんでも打ちあけられる、という気がした。どんな弱虫なことをいっても、この人はきいてくれる、と。
「いいの、いいの。柿崎さんは、きっと先に行って待っているわよ。横田さんのこと、かわいい坊やだけど腕はたしかだ、俺とやつの命日には、しるこぐらいつくってくわしてくれよ、なんていってたのよ。泣かない、泣かない。おかあさんだって、泣きたいのを、こうやってがまんしているんじゃない」
泣きじゃくりながら、がまんしているといったおしげさんのことばを、私はいつまでも忘れることができない・・・・』
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by naniwa-navy | 2008-09-29 22:23 | お知らせ
遺族の訃報
故三笠政治君のご遺族から母(道江様)も亡くなったので、今後なにわ会からの連絡はご遠慮すると電話がありました。
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by naniwa-navy | 2008-09-28 14:55 | お知らせ
秋のコンサート
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小灘利春君の令嬢)小灘裕子様から次の案内を頂きました。
「中田喜直と小灘利春を偲んで』の秋のコンサート
このたび縁あって、下記のとおり東京丸の内にある日本工業倶楽部にてコンサートをさせていただくことになりました。
今秋は、私の父、小灘利春の3回忌にあたり、私の恩師である中田喜直先生の曲を演奏し、先生と父を偲びたいと思っております。
日本を代表する作曲家の中田喜直先生は、フェリス女学院で教鞭をとっておられ、私も在学中よりご指導をいただきました。中田先生は、父と海軍兵学校で同分隊の中田隆保氏の従兄弟で、生年月日も半月違いということに不思議なご縁を感じます。先生も父も、戦没者を追悼し、平和を祈念する心で共通するものがあるのではと思います。
当日は父が親しくしていただいた池田武邦様(兵学校同期、建築家)と、中田幸子様(中田先生の奥様)、中田富久様(中田先生の従妹)にもお話をいただける予定です。
出演者一同、心をこめて演奏させていただきます。どうぞ皆様お誘いあわせの上、お越しいただければ幸いです。
           記
日時  2008年11月1日(土)14:00(13:30開場)
場所  日本工業倶楽部3F大ホール(東京駅丸の内北口徒歩1分)
出演  
ピアノ 小灘裕子、田中信正、吉田晴子、木村美香   
歌   岡島由起子
お話 池田武邦氏、中田幸子氏、中田冨久氏
曲目 中田喜直作曲
 「軍艦マーチによるパラフレーズ」(2台ピアノ)
 「日本の四季」(ピアノ連弾)、「夏の思い出」
 「めだかの学校」「小さい秋みつけた」(歌)
 ショパン作曲 ワルツ、プレリュード、他
会費 3000円(全自由席)
チケット お問い合わせ
小灘裕子まで ℡ 0467-47-0805
備考
池田武邦
 建築家。霞ヶ関ビル、京王プラザホテルなど日本の高層建築の黎明に携わる。元「日本設計」代表取締役社長。海軍兵学校72期。東大卒。

中田幸子
 声楽家。指導者。ナカダ音楽事務所代表。女声合唱団「みずばしょう」指揮者。故中田善
 直氏夫人。

中田ふく
 府立第3高女(現駒場高校)を経て、三井物産に定年まで勤務。故中田喜直氏の従妹

中田喜直(Yoshinao Nakata)
 1923年8月1日東京生まれ。父は「早春賦」の作曲家中田章氏。1943年東京音楽学校(硯・東京芸術大学)ピアノ科卒業。同年、宇都宮陸軍飛行学校に入学(特操一期)し、出征。
終戦後の1946年に作曲家集団「新声会」に参加、本格的に作曲活動に入る。
一般には「雪の降るまちを」「夏の思い出」などがよく知られているが、主要な作品は、歌曲・合唱曲・ピアノ曲で、その大部分が出版・レコード化され、諸外国で演奏される事も多い。細幅鍵盤の推奨者でもある。「めだかの学校」「ちいさい秋みつけた」「かわいいかくれんぽ」などの童謡や、少年少女のための合唱曲も多数ある。
1949年NHK毎日音楽コンクール入賞以来、数多くの賞を受けている。1986年紫綬褒章受賞。1995年NHK放送文化賞受賞。フェリス女学院大学教授として長く教鞭をとり1993年から名誉教授。2000年没。

小灘利春(ToshiharuKonada)
 1923年7月16日広島生まれ。広島高等師範附属中学校を経て、海軍兵学校入学(72期)1943年卒業。軍艦「八雲」「足柄」に乗り組みの後、特攻兵器「回天」基地に勤務を拝命。
1945年5月八丈島基地へ特攻隊長として着任。終戦後、京都大学農学部を卒業、日本水産に勤務。1993年から2006年、83歳で亡くなるまで全回天会会長を務め、生き残りとして戦没者の慰霊と、正い記録を残すため奔走した。米国NEWSWEEK誌をはじめとする多くの雑誌、TVのインタビューがある。著書に「特攻回天戦一回天特攻隊隊長の回想」(片岡紀明氏と共著 光人社)、インタビュー集「特攻・最後の証言」(アスペクト社)など。


細部は次をご覧ください。
http://www001.upp.so-net.ne.jp/nakko/2008Nov.html
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by naniwa-navy | 2008-09-28 11:01 | お知らせ
深井 良の記録
深井 紳一さんから頂いたメールをHPに取り込みました。ただし,写真はうまく取り込めないので本の写真意外はとりこめませんでした。
↓をクリック(貼り付けて)見てください。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-fukairyou-kiroku1.html
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by naniwa-navy | 2008-07-30 08:41 | お知らせ
メールの件
先に白紙に戻したという記念誌の発行について,是非作成してほしいとの意見があり,どうするか会員,遺族会員のご意見を徴したく,99号に意見を徴する葉書の同封を考えています。
会員,遺族会員にお尋ねのメールをおくりました。返事よろしくお願いします。
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by naniwa-navy | 2008-06-29 11:19 | お知らせ
岡本俊章君の空戦記
表記に先日頂いた写真を取り込みました。↓
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senki-okamoto-352kuu1.html
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by naniwa-navy | 2008-06-17 06:51 | お知らせ

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