なにわ会のブログ

海軍兵学校72期海軍機関学校53期海軍経理学校33期
カテゴリ:連絡( 6 )
日記 3月8日
斎藤義衛君から機関科戦没者の不足写真を頂いたのでHPにとりこんだ。あと、2名の写真が手に入ると全部揃います。

小西愛明君から昭和18年卒業直前に写した彼が四号の時の36分隊で一緒だった8名が集まって写した次の写真を頂いた。
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    後列左から 北植、小西、吉田、遠藤
    前列左から 辻、粟屋、溝上、諸橋

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    後列左から 北植、小西、吉田、遠藤
    前列左から 吉田、諸橋、辻、小西

今日も神楽祭出欠の葉書ととなにわ会だより受け取りの礼状を沢山頂いた。その中にワープロかパソコンで打ち込んだものが2枚あった。会員だよりに入れるのに、スキャナーでパソコンに取り込めるので編集担当としてとても助かります。出来るだけ、手書きでなく、パソコンかワープロで打ち込ん頂きたいものです。i
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by naniwa-navy | 2010-03-08 21:33 | 連絡
日記 12月9日
小西愛明君から、8月に亡くなった桂 理平君のあとを引き継いで、京都ネイブィ・セブンティ会の代表幹事となられた大島達也氏の桂理平君に捧げた次の弔辞を頂いたので、なにわ会だより第2号に掲載する。

    弔 辞
私達が敬愛する先輩桂理平様のご霊前に、京都ネイヴイ・セブンティ会を代表して謹んでお別れの言葉を申し上げます。
思えば今から約14年前、平成 7年 6月に呼び出されて京都駅近くの居酒屋へ行ったところ、海軍兵学校の先輩数名が居られ、そこで桂先輩とお会いしたのが初対面でした。
盃を交わしながら「海軍士官だけの会をつくろう」という桂先輩の提案で話がまとまり、早速その設立の準備にとりかかり、その年の12月に「設立総会」を開いて、そこで「京都ネイヴイ・セブンティ会」が誕生発足しました。そして桂先輩が代表幹事に就任されました。
 桂代表幹事の方針として、単に軍隊時代を懐古するだけの会合ではなく、会員の親睦と啓発を図ることを目的として、それにふさわしい行事を実施しょうということになりました。
具体的には、 6月に総会、12月に忘年懇親会、春、秋にはレクリエーションということで歩く会,後にバス旅行を実施してきました。
 しかし、ただ楽しむだけではなく、先輩方の戦争体験談や在校生の終戦間際の生徒館生活を発表する等、海軍のよき伝統を確認し守っていくということと、併せて時代に遅れないように社会情勢や社会常識に関する勉強会をも実施してきました。
 その間、桂先輩は二度も海中に放り出されながらも生き残ってこられたという歴戦の勇士にもかかわらず、常ににこやかに、やさしく、時にはきびしく私達後輩をご指導下さったことは、本当に有り難く会員一同、心から尊敬していました。
 また、航空母艦「瑞鳳」の乗組員として撃沈された瑞鳳の最後を見届けられ、その海戦の記録をぜひ残さなければ・・という責任感の強い方で、海戦の記録を克明に調査され、名文で作成された著書をいくつか拝見いたしました。
 昨日、通夜の席で、戒名に「瑞鳳院・・」という院号がつけられていることを知り、本当に空母瑞鳳を愛しておられたのだなあ-と痛感いたしました。
 京都ネイヴイ・セブンティ会は、桂先輩の肝いりでさきに立派な十年誌を作成し、その運営にも立派なレールを敷いて頂きました。
 今年初めに病に倒れられ、このたび予想もしなかった訃報に接して驚きました。
 奥様はじめご家族のお悲しみは察するに余りあります。
 若輩ながらこのたび代表幹事を引き継ぐことになった私は、会員の皆さんと協力しながら先輩の敷かれたレールを大切に守り、京都ネイヴイ・セブンティ会の運営に懸命の努力をいたす覚悟であります。
 どうかご安心ください。そして、安らかにお眠りください。
 ひたすらに先輩のご冥福をお祈りし、お別れの言葉といたします。
        平成21年 8月23日
                              京都ネイヴイ・セブンティ会
                                      代表幹事  大島達也
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by naniwa-navy | 2009-12-09 18:42 | 連絡
日記 11月23日
65年前の11月23日の戦没者は坂本博君(戦308)で鹿屋で亡くなっています。
今日は珍しくく矢田次夫君から電話をもらった。間中十二君が亡くなったの知っているかという事であった。HP、ブログ、連絡網で流してあると返事したが、彼は耳が悪くて理解してくれない。そこで,FAXで返事を流した。
耳が悪い者とはどうしても疎遠になる。
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by naniwa-navy | 2009-11-23 20:47 | 連絡
日記 8月19日 戦没者の記事
なにわ会ニュース二ある戦没sたの記事のなかでまだHPに取り込んでいないのが随分あります。
先日から順に取り込んでいます。今までに追加取り込んだのは次のとおりです。
   題名             投稿者       戦没者
桂さんが亡兄の墓参        木村  靖     木村  湜
兄(晴男)の宿帳          藤田 貞子    藤田 春男
追悼の辞             星野 道子    猪口  智   
合原直の出撃           三好 文彦    合原  直
橋口寛大尉自決す         小灘 利春    橋口  寛
我が子睦の思い出         土屋さとし    土屋  睦
土井輝章君の遺書         安部 克巳    土井 輝章
一場の夢・東郷良一        安藤  伸    東郷 良一  
長兄圭太郎を憶う         近藤 政恵    近藤圭太郎
海軍少佐達川猪和夫        宝来 久道    達川猪和夫
兄の遺品             増田  澄    丸山  隆
戦没期友の墓参等報告       杉田 繁春(墓参)
大西長官と多田圭太        編 集 部    多田 圭太
宮林の仏壇にお参りした樋口 直  土原 弘子    宮林 久夫
吉本君との束の間の縁       小平 邦紀    吉本健太郎
多田圭太の思い出         本山 和男    多田 圭太
福山正通君を偲び「月」への応募  林  藤太    福山 正通
無名の碑 清水武を読んで所感   桂  理平    清水  武
弟の思い出の句          土原 弘子    宮林 久夫
潜水学校第12期出陣賦と橋口君  泉  五郎    橋口  寛
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by naniwa-navy | 2009-08-19 19:58 | 連絡
思い出すまま
山之内素明君から
「何年目の候補生だ?」
大野 嘉秋君のこと
昭和18年11月軍艦愛宕に配乗となった少尉候補生兵5名機2名主2名計9名だった。
記憶が定かではないが、大野、小松崎、今井、福岡、前川 以上兵、大前、重森 以上機、主は 伴と山之内。
先日、なにわ会ブログで、兵56期の方々の戦記の中に、愛宕の最後の記事を読ませていただきました。その中に、大谷参謀とか宮本鷹雄参謀の御名を拝見し、愛宕の戦闘艦橋の風景を一瞬思い出しました。当時、大野君は航海士配置、小生も庶務主任配置で、「配置に着け」では、同じ艦橋に駆け上がって行きました。
トラック環礁の中だったか、リンガ泊地であったか、記憶にないが、「訓練配置に着け」で艦橋に上がると、いつもの通り 艦橋の右半分は2Fの司令部で栗田長官以下小柳参謀長、志岐先任参謀、はじめ、コサ、ホサ、キサ など略称プレートを帽子に着けた方々で一杯である。艦橋の左半分が愛宕の乗組員の動く場所だった。
艦隊の陣形運動が、旗旒信号で指示されると,艦側は、航海士が窓口になって、航海長に伝えられ、艦長に届く。その間に、海図台も覗き込む。庶務主任の戦闘配置は艦橋でも訓練となると、なにもすることがない。「航海士は多忙だなあ」と思って「訓練終わり」をまっていた。一段落ついて、長官も下に降りられて、艦橋も静かになったとき、参謀の一人が、「航海長 あの候補生は、何年目の候補生かね?」と。横田航海長もこの質問にはびっくりされたことであろう。我々はわずか6ケ月の候補生生活だったが、その昔、1年、1年半という候補生時代があったと聞くが、大野君の活躍ぶりは、その短い期間の中ででも、すごいベテラン候補生に匹敵するものがあったのであろう。
本人は、認められて多分に嬉しかったであろうが、一度も口にしなかったようだ。候補生では、同じ艦橋にいた私だけが、知っている話かもしれないと思って、素晴らしい候補生だった大野君の逸話を披露します。
候補生ではこんな思い出もあります。
愛宕の庶務主任のとき、執務中「オス、元気か」と大声で主計科事務室入ってくる人がいる。振り返ると、主計科の候補生である。クラスではない。よく御顔をみると、衣笠秀夫さんではないか。主33期の1号30期の衣笠さんである。4号と1号とが同じ候補生でいるとは、吃驚仰天である。海兵団勤務で健康を回復されての海上勤務となられたわけである。
「近所そこらの候補生と鍛え方が違うぞ」とのご託宣。  ごもっともごもっとも。1号と4号では。

もう一つ
昭和19年7月ごろ、呉鎮付のとき、軍艦盤手の任用進級事務処理を行う主計科士官がいないからと、乗組を命じられて、着任しガンルームに入ったら、「やあ」と声掛けられたのは、斉藤政幸氏だった。中学は彼が1年上。72期と33期でコレスとなったが、中学の先輩は扱いにくい。しかも、健康を害していた、彼はまだ候補生だったから、なおさらのこと。今日では、彼とは、滅多に会うことはないが、鹿児島で健在である。
中学の同窓会では、当然にテーブルの順が違う。  
 以上
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by naniwa-navy | 2009-08-18 13:28 | 連絡
日記 1月17日 西尾君
今朝故西尾博君の奥様に電話してお悔やみを申しあげました。昨年6月頃から体調をこわし入院、その後介護施設で暮していました。痴呆が始まっていましたが、歩けない他、身体的には異常なかったのですが急に亡くなりました。海軍兵学校のことになると元気に話していたそうです。72期として送った弔電に感謝して見えました。、

静岡放送でニュースを担当している竹川様から次のメールを頂きました。  
「今回はなにわ会さんのホームページを拝見するかなで、 戦争を語り継げるであろう方が静岡県にいらっしゃることを知り、なんとか連絡をとれないかとメールをさせていただきました。
静岡にお住まいかと思われるのは、バリックパパンの戦いに身をおかれたと体験を記されている旭輝夫さんです。焼津市に在住のようですが、近くにいながら 連絡先が分からず、もしなにわ会さんのほうで旭さんの電話番号などを控えていらっしゃるようでしたら お知らせいただきたくお願い申し上げます。もし、旭さんにお伺いして了承が得られれば、戦争の語り部として体験などをカメラの前で語っていただけないかと考えております。 戦争体験者の多くは高齢化し、語り継ぐ機会も減ってきています。また、今になってこそ語れるものもお持ちではないかと勝手ながら考えております。まもなくバリックパパンの生起日1月24日です。もし、早急に連絡が取れるようでしたら、大変助かります。」
旭輝雄君の了解を得られましたので連絡先を知らせました。

岩松君の投稿記事に入れる空母千歳の写真を送って貰いました。

向井寿三郎君から100号に記事を投稿したいとの連絡があり、1頁以内ということで送ってもらうことにしました。もし、まだ投稿したい方が見えたら至急ご連絡下さい。

続いて特4号田島氏から投稿頂き、取り込みました。
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by naniwa-navy | 2009-01-17 09:28 | 連絡

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