なにわ会のブログ

海軍兵学校72期海軍機関学校53期海軍経理学校33期
カテゴリ:報告( 35 )
飛行中の銃砲弾の視認状況について 堀 剣二郎 (3)
    機銃弾

    米軍機の機関銃は口径6.6~7.7ミリで弾丸は多くの場合、曵光弾で発射直後は、赤、黄、青と美しいが飛行中黒くなり小豆ぐらいの大きさでとんでくる。連続する弾丸の前後距離は、
クラスの中川好成君(艦爆操、理博)にきくと、簡単に計算できて、約1.5メートルとのこと。危険度は空いた艦橋の窓、艦橋後部の両舷にある出入り口を抜けてくるもの及び天井を貫通してくるものは、要注意である。その他の部分たとえば艦橋の窓の下の部分などに命中しても大部分兆弾となる。                                           
    
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by naniwa-navy | 2010-02-07 19:23 | 報告
飛行中の銃砲弾の視認状況について 堀 剣二郎 (2)
爆弾
 航空機が水平飛行中に行う水平爆撃の爆弾は大型で私が経験したものは200キロ級のものであつた。 
 駆逐艦浦波一隻にB-25,20機が3機一組の編隊爆撃を繰返し行ったが命中弾はゼロであった。この時は艦長は艦橋を出て無蓋の旗甲板から爆撃回避の操舵号令を下しわたしは号令を操舵員に
伝えるに忙しく時どき落下中の大型爆弾を水面近くで見るにとどまり近接中の視認はしていない。
 この戦闘は巡洋艦 鬼怒と2隻で比島ミンダナオ海で1944.10.25に起きたもので、鬼怒の戦記はつたえる。   10月25日早朝第16戦隊(2隻)はモロタイ島より出撃したB-25、56機と護衛のP-38,37機より執拗な水平爆撃をうけたが、至近弾の嵐を掻い潜りながらカガヤンにむかった。
 
 飛行機が目標に向け降下中に行う降下爆撃は艦が係留中でうごかぬ時に受けた経験がある。爆弾は投下された瞬間から見え、投下機と連れ立って向かってくる。60~70Kgの爆弾が砲丸投げの
砲丸と同じ大きさの感じである。3個が同時に投下されたこれ等の爆弾は艦の右正横  5メートルに弾着した。海底が泥であつた故か爆発起こらず艦は大揺れしただけであった。天候は晴れ雲量5~6太陽光線は強くなかった。
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by naniwa-navy | 2010-02-07 16:59 | 報告
飛行中の銃砲弾の視認状況について 堀 剣二郎 (1)
タイトルについては写真もないようなので経験をかきます。                   兵学校の生徒の頃、戦艦伊勢へ高角砲の対空射撃の見学に行った。高角砲は口径12、7cm(5インチ)の2連装であつた。
 高射長の 山口三郎大尉から発射された弾丸はよく見えるから注意してみるようにと訓示されて、見学の位置についた。標的は吹き流しで飛行機が曳航する。当日は雲量10の曇天であつたが雲高が高いので射撃は行われた。 射撃が始まると成程よく見えた。黒い豆の様な弾丸は2発ずつ緩い曲線を描いて飛び標的の近くで破裂した。 生まれて初めて弾丸が飛ぶ さまを見、また、弾道が曲線であるのに驚いた。 重力の下で飛ぶので上下は放物線になることは当然であるが目の当たりにすると驚く。  当日、弾丸がこのようによく見えたのは、雲が背景となって弾丸を際立たせたこと。観察者が他に任務を持たず集中して観測し得たことが原因と思われる。以後卒業してから対空戦闘で自分の乗艦は砲身のペイントが焼けるほど射撃しても、また海上自衛隊では3インチ砲3門の砲術長もやらせてもらったが、砲弾が飛ぶのは見たことがない。自分の艦に飛来する爆弾、機銃弾は以下に述べるようにその多くを見たが。
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by naniwa-navy | 2010-02-06 23:10 | 報告
16分隊会
上野三郎君から写真入りで次のメールを頂いた。
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前列 左より 安藤(72期)、上野(72期)、川越(73期)
後列 左より 小玉(74期)、堤  (74期)、長澤(74期)

本日グランドヒル市ヶ谷で16分隊会が開催された。
1年経っても参加者は皆元気で(流石足腰の弱りは否めず立つときはドッコショと掛け声が必要になった。
当初は今回で幕引きにしてはと思っていたが、簡単に来年もやろうと、それへの出席を目指しお互い健康に注意する事になるのでと言う事になった。話題は過去の思い出話しが多く、しかも殆どは苦しかったことよりも楽しかった話題でポヂチブに賑わった。特に安藤昌彦君の搭乗機墜落後救済されるまでの情況、又撃墜したアメリカ人にアメリカに招かれ歓待を受けた事等貴重な秘話は皆の関心を寄せた。
参加者は6名と少なかったが若かりし頃の世界にタイムスリップする絶好の機会だつた。
又参加者よりなにわ会のブログは各クラスを通じ抜群で伊藤さんは大したものだと賞賛されていた。
(73期からは狩野君が亡くなったので手を付ける者が居なく恥ずかしいとの発言もあり。)
参考のために生存者の情況は下記の通り
    卒業時の員数 平成21年10月生存者 平成21年分隊会出席者
一号 10名       2名            2名
二号 15名       2名            1名
三号 16名       6名            3名
合計 41名      10名            6名
各号とも生存者率がクラス全体の平均より低いのが目立つ。
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by naniwa-navy | 2009-10-12 19:23 | 報告
9月17日 歩こう会 上野三郎
平成21年9月17日に「人形の家」、「山下公園」「大桟橋」への歩こう会に参加した。
久し振りの歩こう会、幸い快い日和に恵まれ(最高気温26℃)、常連の10名(男女各5名)が参加、大いにリフレッシュされた。桜木町駅に10:00集合、15:00解散、歩行数7,500歩(快い疲労感)。
①「人形の家」  「青い目の人形」 に迎えられて入場。 1986に開場、140ヶ国より13,000体の人形が陳列されている。一つ一つ見ごたえがあった。
               青い目の人形
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               イタリーの人形                
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                韓国の人形
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②マリンタワー
 1958に横浜開港100周年記念事業として建設、高さは106m(展望台91m) 展望台よりの眺望抜群
               マリンタワー 
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         マリンタワーよりの眺望 (大桟橋が中央)
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③大桟橋
 2002年にリニューアルオープンされた、斬新な構造の空間で、船の甲板を感じる板のデッキの感触は懐かしい。 長さ400メートルの埠頭は流石に長い。
              突端よりの大桟橋 
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        大桟橋より氷川丸、マリンタワーを眺む
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④集合写真
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         山下公園をバックにして      左より 
加藤、小松崎、深尾、藤井、品川各夫人、幸田、高田、深尾、中井、上野
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横浜港をバックにして
前列左より 小松崎、藤井、深尾各夫人
後列左より 中井、深尾、幸田、高田、品川夫人、加藤夫人、上野
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by naniwa-navy | 2009-09-20 05:22 | 報告
湘南歩こう会
11月の歩こう会が高田君指導で浜離宮界隈めぐりが11月14日小春日和に恵まれ実施された。
11:00ゆりかもめ入り口に集合、参加者9名。全く景観を一変した汐留ビルの谷間を抜けて、大手門橋を渡り「浜離宮恩賜公園」に到着。
「浜離宮恩賜公園」
園内に入り都心にこのような静寂なスポットがあるとは全くの驚きである。
①三百年の松
 江戸時代、6代将軍徳川家宣が改修時に植えたと伝えられている、都内最大の黒松
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②潮入れの池とバックの近代ビル
 海水を引きいれ、潮の干満による眺めが楽しめるようになっている。バックは近代ビル対象的だ
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③集合写真(高田君撮影)
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 左より幸田、浦本、深尾、深尾夫人、品川夫人、小松崎夫人、伊藤夫人、上野
④中島にある休憩室(お茶屋)
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 お伝い橋を渡ると御茶屋がある、中では抹茶が振舞われた(有料)
 外人(ポーランド人と言っていたが)が正座、日本人はあぐら、此れは何を物語るか?
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(浜離宮恩賜公園の歴史)
 ①江戸幕府が開かれて暫くは将軍家の鷹狩りの場であった
 ②1654年甲府藩主松平綱重が此の地を拝領、埋め立て別邸を建てる
 ③6代将軍家宣が将軍家の別邸として大幅な改修を行う
 ④幕末外国人接待所として石造洋館である延遼館(幕府海軍伝習屯所)が建設され明治維新後も迎賓館として使用された。明治維新後宮内省の管轄となり名前も浜離宮と改められた
 ⑤1945にGHQ の要求で東京都に下賜された
海軍発祥の地ー旗山
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 幕府の軍艦操練所のあったとろが維新後海軍省の管轄になり、海軍省や海軍操練所(海軍兵学校の前身)が設置され、其処の築山の上に 「海軍部旗」が掲揚された、この旗をみて人々は旗山と呼んだ。現在も海軍発祥の地として「旗山」と刻まれた碑が水神社前に建つている
海軍経理学校の碑
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 海軍経理学校のあった一角、隅田川の勝どき橋のたもとに大きな碑が建っている
 此の地に立って兵学校のあった江田島とを比べると、経理学校出身者の融通性のある性格も立地条件の差が大いに影響していると感じる
築地で昼食
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 14:00予定の散策を終わり、座敷に座って軽く喉をうるおし、食事を食べながら懇談、14:40解散

今日の歩行は12,000歩、海軍ゆかりの土地の散策を兼ねての想い出深い歩こう会となった。これを企画指導してくれた高田君に感謝。

以上 記事は上野三郎君作成、写真は高田俊彦君撮影です。
ご両人 有り難うございました。。
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by naniwa-navy | 2008-11-16 04:53 | 報告
お断り HP
なにわ会のHPのTOP頁を誤って消してしまいました。TOP頁にリンクしている頁は大丈夫ですが、TOP頁が出ません。今作り直していますがしばらく暫くお待ちください。バックアップをとってなかったので大変です。
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by naniwa-navy | 2008-11-10 20:24 | 報告
なにわ会ニュース99号
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99号完成発送しました。
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by naniwa-navy | 2008-08-28 12:33 | 報告
杉田繁春君の墓碑参拝写真
8日のブログに書いた杉田繁春君の墓碑参拝時の写真73名分146枚取り込み終わり,1頁に4名分を入れてみました。↓はその写真に添えられていた杉田君の手紙です。
「昭和63年から戦没期友の仏(祭り)壇拝礼のため、ご遺族様宅を訪問していたが、五十回忌が近づき墓参を決意、日帰り可能範囲を名簿から80余名を抽出し、墓地所在地を電話、手紙でお尋ねしたところ、73名が可能と判明、出来るだけ命日前後に墓参する計画を立てた。 
そして、ご遺族様と日時、ご宗教等を打ち合わせしてお伺いした。ご遺族様には交通の便のご手配等筆舌に尽くせないお世話になり無事目的を果たすことが出来た。誠に有り難く、終世忘れ得ない次第である。 
このご遺族様の厚いご芳情を無にすることなく、これにお報いするためにも、また、会員諸兄にせめて墓碑の写真を見ることにより戦没期友に会って頂きたいという一念を果たすためにも、この寄稿を決意した次第である。
 この写真は小生一人が独占死蔵することは、戦没期友やご遺族様に申し訳ないことだと考え、ニュースを介して諸兄にも公開しなければならないと思ったのが本件寄稿の真因である。」

杉田繁春君から上記のような手紙と73名の戦没期友の墓参写真を各2枚頂いた。機関科の岸君以外、兵科335名の戦没期友の約22%にあたる72名の墓地を訪問参拝されたことは本当大変なことであり、心から敬意を表する次第である。さて、これをどのようにしてニュースに取り込むか、熟慮した結果、1頁を4段にして1段に写真2枚と説明を入れることにした。これにより、19頁に収めることが可能になった。ニュースの最終号に相応しい寄稿と考えられるので、是非纏めることにした。

そのうち20名分(5頁)を別途メールで送るので,ご覧になってご意見いただければ幸いである。
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by naniwa-navy | 2008-07-14 08:25 | 報告
なにわ会HP 9万件ヒット
なにわ会HPが開設以来3年と6ヶ月(1275日)でHIT数9万件を突破しました。 1日平均70件です。他のクラスでHIT数が分かるのは
71期 21105回(545日 1日平均 38件)
73期 28509回(1640日 1日平均 17件)
74期  2004回(180日 1日平均 11件)
76期 10272回 (720日 1日平均 14件)
なにわ会のHPは随分多くの人が見て頂いているようです。
戦争を知らない一般の人,なにわ会で戦死した会員の甥,姪,さらにその子供達がみてくれているようです。
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by naniwa-navy | 2008-06-21 18:02 | 報告

by naniwa-navy
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