なにわ会のブログ

海軍兵学校72期海軍機関学校53期海軍経理学校33期
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日記 9月30日
97号から99号にかけて連載された「大和から見たレイテ作戦」を一纏めにし修正して掲載しました。
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by naniwa-navy | 2008-09-30 23:38 | 日記
購読会員Aさんのブログ
購読会員Aさんのブログの転載です。

『前に『回天の群像』に出ている、柿崎中尉と「松政」のおしげさんのエピソードを書きましたが、あれは著者の宮本さんが『あゝ回天特攻隊』から引用した文章でした。 『あゝ回天特攻隊』にはさらに詳細に載っているので、その部分を紹介します。

その前にまず、出撃が決まった多々良隊のメンバーを紹介します。
隊長・柿崎実中尉(海兵72期)
前田肇中尉(予備学生?)
山口重雄1曹
古川兵曹
横田寛2飛曹
新海2飛曹

その日、「本を読む」と言って基地に残った前田中尉以外の5人が上陸しました。ところが、3人はいち早く雲隠れしてしまい、気がつくと残ったのは柿崎隊長と横田兵曹2人。
「徳山へ行こうや」と柿崎中尉が言いだしました。 横田兵曹は当時、松政の存在すら知らず、どこに行くのかいぶかりながらも柿崎中尉についていきます。
松政に連れて行かれ、おしげさんと対面します。
『おしげさんは、三十をなかばすぎた、ふっくらした感じの人だった。隊長はこういって私を紹介した。
「かあちゃん、この男はね、こんど俺といっしょにゆくことになったヤンチャ坊主だ。小さいとき、おふくろが死んでね。・・・・だから、かあちゃん、きょう一日でいいから、こいつのおふくろになってやってくれんかな」
隊長が”かあちゃん”というとき、私は思わずふきだしそうになった。が、見ると、隊長は大まじめである。おしげさんのほうも、少しも悪びれたようすもなく、ハイハイと答えている。
「柿崎さん、お酒つける?」
「いらんよ。こんな坊主に酒なんか飲ましたら、おぶって帰らんならん。大津ならいいが、光は汽車に乗らにゃいかんからな・・・・」
そういう隊長をさえぎって、
「隊長、飲みましょう。俺だって強くなったですよ。この前なんか、新海とふたりで、ウイスキーを一本あけちゃった・・・・」と、これは私である。そのころ、ようやく酒を飲みはじめたばかりで、やたらと酒への好奇心が強かったのだ。
「ほんとうかあ、とんでもねえやつだな。・・・・そうか、おやじがよく飲むのか。じゃ、おやじの血をひいたんだな、きっと」
「まあ、いいじゃないの。万事、かあちゃんにまかしとき・・・・」』
一般にはもうお酒など残っていないころだったのですが、おしげさんは搭乗員のために苦労してとっておいてくれたようです。
『三人で昼の酒盛りがはじまった。飲めるといったところで、隊長と私などタカが知れている。たちまち酔っ払ってしまった。しかも隊長など、すっかりいい気持になって、おしげさんの膝をまくらに、詩吟などをうなっている。しまいには、「四時になったら起こしてくれよな、かあちゃん」といってグウグウ寝てしまった。 こちらは初めての場所で、しかも相手は初対面である。酔っても、どことなくかた苦しい。おしげさんは、隊長の軍服をぬがせて、介抱している。つぎに靴下をとって、雑巾で足をていねいにふいてやっている。ふきながら、
「みんな、かわいいのよ。・・・・柿崎さんはいつもこうなの。・・・・いい人でしょう」
話しかけるように、つぶやくように、そんなことをいった。私はそのしみじみとした調子に、ふっと胸をつかれるものをおぼえた。』
20年3月28日、多々良隊(伊47潜)は出撃したものの、途中駆潜艇に追いかけまわされ、飛行機にまで攻撃され、母潜も積んでいた回天も修理が必要な状態になってしまい、しかたなく帰投します。
そして4月20日、再度同じメンバーで天武隊(伊47潜)として出撃し、柿崎隊長、山口兵曹、古川兵曹(以上5月2日)、前田中尉(5月6日)が回天を発進させ特攻戦死。横田兵曹と新海兵曹は回天と母潜を結ぶ電話の故障で発進できず、泣く泣く基地に戻ってきました。
そのとき、横田兵曹はまっ先におしげさんに会いに行ったそうです。
『「隊長は死にました。私はだめでした」
これだけを、私は小声でいった。すると、おしげさんの大きな声が飛んできたのだ。
「横田さん、おかあさんの目を見なさい」
りんとした声だった。
「しっかりしなさい。失敗はだれにだってあります」
私の両肩をつかんで強くゆさぶったかと思うと、しかし、つぎの瞬間、ワッと泣きくずれた。
「またやります。靖国神社には六人いっしょにはいる約束ですから。でも、すごくさみしいんです」
この人になら、なんでも打ちあけられる、という気がした。どんな弱虫なことをいっても、この人はきいてくれる、と。
「いいの、いいの。柿崎さんは、きっと先に行って待っているわよ。横田さんのこと、かわいい坊やだけど腕はたしかだ、俺とやつの命日には、しるこぐらいつくってくわしてくれよ、なんていってたのよ。泣かない、泣かない。おかあさんだって、泣きたいのを、こうやってがまんしているんじゃない」
泣きじゃくりながら、がまんしているといったおしげさんのことばを、私はいつまでも忘れることができない・・・・』
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by naniwa-navy | 2008-09-29 22:23 | お知らせ
日記9月29日 短剣
昨28日、左近允尚敏君から次のメールをいただきました。
『今日の新聞広告に復刻版「海軍士官短剣、剣帯」あり、6万8000円にちょっと驚きましたが、真継不二夫さんの「海軍兵学校」にある清水 尚、矢田次夫の両君が鏡の前にいる写真が載っています。嬉しいのですが、写真の引用の断り書きがなく、、これでいいのかと思ってしまいました』
そして、新聞広告の一部をコピーして添付してくれましたが、このブログの掲載可能の制限にかかりうまく掲載できません。
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by naniwa-navy | 2008-09-29 11:34 | 日記
遺族の訃報
故三笠政治君のご遺族から母(道江様)も亡くなったので、今後なにわ会からの連絡はご遠慮すると電話がありました。
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by naniwa-navy | 2008-09-28 14:55 | お知らせ
秋のコンサート
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小灘利春君の令嬢)小灘裕子様から次の案内を頂きました。
「中田喜直と小灘利春を偲んで』の秋のコンサート
このたび縁あって、下記のとおり東京丸の内にある日本工業倶楽部にてコンサートをさせていただくことになりました。
今秋は、私の父、小灘利春の3回忌にあたり、私の恩師である中田喜直先生の曲を演奏し、先生と父を偲びたいと思っております。
日本を代表する作曲家の中田喜直先生は、フェリス女学院で教鞭をとっておられ、私も在学中よりご指導をいただきました。中田先生は、父と海軍兵学校で同分隊の中田隆保氏の従兄弟で、生年月日も半月違いということに不思議なご縁を感じます。先生も父も、戦没者を追悼し、平和を祈念する心で共通するものがあるのではと思います。
当日は父が親しくしていただいた池田武邦様(兵学校同期、建築家)と、中田幸子様(中田先生の奥様)、中田富久様(中田先生の従妹)にもお話をいただける予定です。
出演者一同、心をこめて演奏させていただきます。どうぞ皆様お誘いあわせの上、お越しいただければ幸いです。
           記
日時  2008年11月1日(土)14:00(13:30開場)
場所  日本工業倶楽部3F大ホール(東京駅丸の内北口徒歩1分)
出演  
ピアノ 小灘裕子、田中信正、吉田晴子、木村美香   
歌   岡島由起子
お話 池田武邦氏、中田幸子氏、中田冨久氏
曲目 中田喜直作曲
 「軍艦マーチによるパラフレーズ」(2台ピアノ)
 「日本の四季」(ピアノ連弾)、「夏の思い出」
 「めだかの学校」「小さい秋みつけた」(歌)
 ショパン作曲 ワルツ、プレリュード、他
会費 3000円(全自由席)
チケット お問い合わせ
小灘裕子まで ℡ 0467-47-0805
備考
池田武邦
 建築家。霞ヶ関ビル、京王プラザホテルなど日本の高層建築の黎明に携わる。元「日本設計」代表取締役社長。海軍兵学校72期。東大卒。

中田幸子
 声楽家。指導者。ナカダ音楽事務所代表。女声合唱団「みずばしょう」指揮者。故中田善
 直氏夫人。

中田ふく
 府立第3高女(現駒場高校)を経て、三井物産に定年まで勤務。故中田喜直氏の従妹

中田喜直(Yoshinao Nakata)
 1923年8月1日東京生まれ。父は「早春賦」の作曲家中田章氏。1943年東京音楽学校(硯・東京芸術大学)ピアノ科卒業。同年、宇都宮陸軍飛行学校に入学(特操一期)し、出征。
終戦後の1946年に作曲家集団「新声会」に参加、本格的に作曲活動に入る。
一般には「雪の降るまちを」「夏の思い出」などがよく知られているが、主要な作品は、歌曲・合唱曲・ピアノ曲で、その大部分が出版・レコード化され、諸外国で演奏される事も多い。細幅鍵盤の推奨者でもある。「めだかの学校」「ちいさい秋みつけた」「かわいいかくれんぽ」などの童謡や、少年少女のための合唱曲も多数ある。
1949年NHK毎日音楽コンクール入賞以来、数多くの賞を受けている。1986年紫綬褒章受賞。1995年NHK放送文化賞受賞。フェリス女学院大学教授として長く教鞭をとり1993年から名誉教授。2000年没。

小灘利春(ToshiharuKonada)
 1923年7月16日広島生まれ。広島高等師範附属中学校を経て、海軍兵学校入学(72期)1943年卒業。軍艦「八雲」「足柄」に乗り組みの後、特攻兵器「回天」基地に勤務を拝命。
1945年5月八丈島基地へ特攻隊長として着任。終戦後、京都大学農学部を卒業、日本水産に勤務。1993年から2006年、83歳で亡くなるまで全回天会会長を務め、生き残りとして戦没者の慰霊と、正い記録を残すため奔走した。米国NEWSWEEK誌をはじめとする多くの雑誌、TVのインタビューがある。著書に「特攻回天戦一回天特攻隊隊長の回想」(片岡紀明氏と共著 光人社)、インタビュー集「特攻・最後の証言」(アスペクト社)など。


細部は次をご覧ください。
http://www001.upp.so-net.ne.jp/nakko/2008Nov.html
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by naniwa-navy | 2008-09-28 11:01 | お知らせ
日記9月28日 山根真樹生君を偲ぶ会
9月26日に山根君が会長を務めた九州石油株式会社主催の山根真樹生君のお別れ会がホテルオークラで開かれ、左近允尚敏君が参加しました。その際、配布された資料「ご挨拶」の要約です。
「山根さんを偲ぶうえで「海軍」を欠かすことはできません。5年に及ぶその経験は人格形成に計り知れない影響を与えました。特にレイテ沖海戦では海に投げ出され弊社社長就任時のスピーチで{石油会社社長で重油を飲んだことのあるのは自分ぐらいと語られたように九死に一生を得たのでありました。復員後の東京大学入学等に際しても元職業軍人故のご苦労があったと伺っています。八幡製鐡・新日本製鐡では人事・総務と社の中枢を常に歩まれ、副社長を最後に弊社社長に転じられてからは、経営のトップとして社の充実・強化に精魂をこめられました。(以下略)

泉五郎君企画で山根君を偲ぶ会が下記により計画されています。
           記
場所・・市ヶ谷・私学会館・・・☎044-977-2320
日時・・10月10日(金) 1200~1400
会費・・10000円
服装・・平服
参加予定・・ご遺族他17名
ご遺族は山根夫人とご息女池崎ちさと様がご出席の予定、
ご案内洩れの方の御参加も歓迎です。但し予め小生宛ご一報ください。
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by naniwa-navy | 2008-09-28 10:23 | 日記
日記9月27日
ニュース100号に入れようと思っている「なにわ会を振り返って」の原稿記事を校正担当の4名の方にに送りました。
向井寿三郎君から100号の原稿をいただきました。
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by naniwa-navy | 2008-09-27 13:00 | 日記
日記9月26日 HP
HPの戦記7編 文字を大きくし、行間を広くし、誤字脱字を修正しました。
先日お尋ねした水交会の月例参拝に関する意見おおむねでつくしたようです。後ほどメールで報告します。
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by naniwa-navy | 2008-09-26 22:15 | 日記
日記 9月25日 左近允尚敏君 71期情報
左近允尚敏君から次のメールを貰った。
22日廣島着から24日廣島発まで田島氏が一緒。
23日。今年も合同追悼式に2000人以上参列、あと市内のホテルで井上練習艦隊司令官報告会、続いて呉水交会(廣島水交会と合同ずみ)の懇親会、百数十名参加。志満巌君と久しぶりに会いました。田島氏に長山君の子息を紹介されました。
関西の桂、小西、鈴木3君が10月7日江田島訪問予定。田島氏から宮崎候校長に依頼して表敬セット。

71期のHPから
会員の現状 20・1・1 現在
入校時601名、卒業時581名、戦中戦没331名、終戦時復員250名、現在の健在者109名 (含連絡拒否者2名、所在不明 2名 (梨本徳彦,川田竜雄) 
20年の逝去 
清水正己氏  20・3・5  吉田弘俊氏  20・5・18   
前田孝正氏  20・5・23  花田賢司氏  20・7・24  
桧垣保雄氏  20・9・5  の5名逝去
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by naniwa-navy | 2008-09-25 06:57 | 日記
日記 9月24日
20年7月と8月のブログを纏めてHPにとりこみました。
鈴木 彊君から塩見頴一君の状況について連絡がありました。広島の姪の方の近くにおられるとのことです。
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by naniwa-navy | 2008-09-24 14:21 | 日記

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