なにわ会のブログ

海軍兵学校72期海軍機関学校53期海軍経理学校33期
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日記 7月31日 56期の記事
昭三会(兵56期、機37期、経17期)戦公没者名簿と56期海軍回顧碌の「宇垣長官の最期 野村了介」 「自衛隊と昭三会の自衛官 杉江一三」 「靖國神社の再建と遺族会 大谷藤之助」を掲載した。
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by naniwa-navy | 2009-07-31 12:25 | 日記
テレビ放送
有志会員のHさんから次の情報を戴きました。
NHK総合テレビで、次の再放送が有ります
1  8月4日(火) 1:29~2:12、証言記録・兵士たちの戦争『フィリピン・シブヤン海 戦艦武蔵の最期』
2   8月5日(水) 0:45~1:29、証言記録・兵士たちの戦争『人間魚雷 悲劇の作戦~回天特別攻撃隊』
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by naniwa-navy | 2009-07-30 20:34 | 情報
日記 7月30日 56期の記事
56期海軍回顧碌の
「山本連合艦隊司令長官の死 野村了介」 
「われ空母ヨークタウンを撃沈せり 田辺 彌八」 
「第五艦隊の北方作戦 久住 忠男」
「アッツ島沖海戦 三浦 憲太郎」
「あ号作戦 辻本 毅」
「愛宕の最期 岩部六郎」
「天佑を確信し全軍突撃せよ 三上 作夫」
「レイテ沖海戦「作戦参謀」の手記 大谷 藤之助」
「大和特攻作戦の経緯 三上作夫」
「大和特攻作戦に従事 宮本鷹雄」
をHPに掲載した。
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by naniwa-navy | 2009-07-30 05:24 | 日記
日記 7月29日 56期海軍回顧録
海軍兵学校56期の海軍回顧録の目次
 http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/56-mokuji1.html
をHPに取り込みました。沢山の記事が有ります。先日ある会員から、その中に読んで見たい記事が有ると連絡が有ったので、印刷して送付しました。
次の3件です。
1 われ空母ヨークタウンを撃沈せり 田辺 彌八
2 第五艦隊の北方作戦 久住 忠男
3 アッツ島沖海戦 三浦憲太郎
この3件はHPに取り込んであります。
これから、昭和19年以降の記事を逐次HPに取り込んで行くつもりです。
目次を見て、読んで見たい記事が有ればお知らせ下さい。
その記事をメール添付で送ります。
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by naniwa-navy | 2009-07-29 05:49 | 日記
日記 7月28日 秋田君
昭和20年8月6日の広島原爆に運悪く遭遇し,8月12日に亡くなった秋田実君の最後について,73期岩井良平氏の記事を特四号自認の田島明朗氏から頂いたので、その記事をまとめてみた。
 秋田君は当時呉に在泊していた伊157潜の航海長であった。原爆投下の前日,8月5日の朝、非番であった砲術長岩井中尉は、前甲板で艦長に「呉は焼けてしまっているし、いよいよ最後も近い事だから、軍医長と3人で広島へ浩然の気を養いに行こう」と誘われた。事情があり,気が進まなかった砲術長は「何となく気が進みませんので、今回は遠慮させて頂きます。」と返答した。艦長は「残念だが航海長は当直だしするから、そんな事を言わず3人で行こう。」と勧められ,押し問答していた。そこへ航海長秋田大尉が来たので,砲術長は航海長に,「艦長が広島に行こうと言っておられるが,私は気が進まないので航海長行かれませんか」と勧めた。航海長は、「俺は当直だから」と渋った。通信長は「それなら,明日は私の当直ですから帰ってから交替して戴ければ良いですから。」と航海長の当直腕章に手を掛けて外すようにした。航海長は一寸考えていたが、「それでは、済まないが、そうするか」と当直腕章を砲術長に渡した。そして、暫くして、3人で上陸して広島に向かった。
 翌6日、朝食後8時の課業始めの時間が近くなっても艦長たち3人は帰って来なかった。課業始め5分前になって、下士官兵が前甲板に並び始めた頃、空襲警報発令。直ちに配置についた頃「B29 1機 広島上空
遠ざかる」とのことで、警報はすぐ解除された。砲術長はおり椅子に腰を卸して、艦長たちもいい加減で帰ればいいものを等とぼんやり海面を眺めていた時、ピカーとエンジ色に紫色が混じったような光が走った。
 12時過ぎ、広島が全滅したらしい情報があり、機関長、水雷長、砲術長、手空きの准士官等で協議した結果、まだ艦長以下3人が帰らないところをみると、捜索の必要があるということになった。
 1300砲術長は当直を潜航長と交代して、広島出身の水兵長1名と広島に捜索に向かったが町中焼け野が原、全く分らなかった。翌7日朝8時過ぎ帰艦した。
 7日は機関長が捜索に行ったが、何等情報なく帰艦した。
 8日1600頃宇品基地隊の隊員の2等兵曹が来艦し、「伊157潜の艦長、航海長、軍医長と称する人たちを救助してあるが心当たりがありますか」とのこと。砲術長は大有りだと喜んだ。お礼を言うと共に事情を聞いた。それによると、当日以前から基地隊の隊員が広島の郊外に駐屯して防空壕の作業をしていたが、朝の爆発で広島が壊滅状態になったので、宇品の基地隊に向かって隊伍を組んで移動していた。広島と宇品の間の路上に倒れている3人の1人が伊157潜の艦長・航海長・軍医長だが助けてくれというので、放っても置けなかったから救助してあるとの事であった。
 9日、今度は水雷長が、6艦隊司令部のトラックを借用して宇品の基地隊より3人を引き取ってきて呉病に入院させた。その夜、砲術長も見舞に行った。3人とも全身に火傷をしており、艦長は大分こたえていて弱っておられた。航海長は全身にわたって火傷を負い苦しみながらも、はっきりと事情を話してくれた。
「当日の朝、広島駅にきて列車の待ち時間が相当有るので、駅に近い橋の所で、魚釣りをしているのを見ていたところ、ピカットやられて地面に叩き付けられた。 気が付いてみると、周り中火災になっているので艦長を助けながら3人で宇品の方向に逃げた。 途中で艦長が精根尽き果てて動けなくなったところを宇品の基地隊の隊員に救助された。 最後の決戦を前にこんな事になってしまって申し訳がない. 仇を取ってくれ。」と語った。
 軍医長は「3人で逃げたが、艦長次いで航海長も声もでないまでへたばり、自分も動けなくなっていたが、そこへ宇品の基地隊の隊員が通りかかったので、自分が呼び止めて救助してもらった。」と語った。 
平素の航海長の艦長への補佐ぶりから、大がらな艦長を助けながら移動してした航海長も、艦長が精魂尽き果てくるに従い手助けくらいでは及ばなくなり、共にへたばって行った姿が眼に浮かぶような気がした。
 呉病の横穴防空壕はコンクリート製で、艦長達は通路の横のドアも無ければ部屋らしくも整えられていない、小部屋風の所に収容されていたように憶え「いる。 通路の奥には大部屋があり、そこには民間人を含め2~3百人と思われる被災者が収容され治療を受けていた。 火傷の治療に塗る油性の薬の一種独特の臭気が充満していて耐え難い思いがした。 顔面等に火傷を負った3・40歳の婦人が子供を抱いて呆然として座っていた。その母の姿が、被災者が充満し殺伐としたコンクリートの大部屋と共に心に焼き付けられている。 数日後、呉病に収容された被災者は、航海長、軍医長を含めて、三朝温泉がミジューム泉で火傷に効くとかで貨物列車を仕立てて送られたと聞いた。 確か艦長は呉病に収容されてから1日おいた11日の夜、遂に永眠された。砲術長は当直で艦に残っていたが、機関長達が東京から来られた奥さんと、簡単に葬儀を行い、遺骨を引き渡されたとの事であった。 秋田航海長は8月12日三朝温泉で逝去した。
  
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by naniwa-navy | 2009-07-28 09:32 | 日記
日記 7月27日 故秋田君
特4号の田島君から広島原爆で亡くなった故秋田稔君の状況の資料を戴きました。整理して近日中にブログに掲載します。
先に海軍兵学校56期の戦争回顧録に興味を持たれた右近恒二君から3件見たいと希望をいただきました。CDから取り込んで印刷して送ります。
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by naniwa-navy | 2009-07-27 22:47 | 日記
日記 7月26日 会員の近況
先日佐丸幹男君の体調不良のことを書きましたが、今日もまたもう1名の会員から入院中との連絡がありました。個人名をあげるのは差し支えますが、このところ、体調不良の会員が急増しています。
会員に流す情報も第Ⅰ受信者が健在であることを前提に連絡網を作っていますので、体調不良の会員が増えるとどうしても途中で途絶えてしまいます。私が元気な間は今まで通り流していきますが、何時まで続けられるか自信ありません。
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by naniwa-navy | 2009-07-26 22:19 | 日記
日記 7月25日 羽黒
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海軍兵学校56期の方が作成された「海軍回顧碌』の中にあった浅井秋生氏の羽黒戦記(羽黒の奮戦・ソロモンからレイテまで)をHPに取り込んだ。私は、昭和18年12月5日から19年9月30日まで羽黒に勤務していたのでとても懐かしかった。浅井氏は昭和18年8月から20年3月まで羽黒砲術長として勤務されていて、私が羽黒勤務中の全期間の砲術長であった。したがって、当時のことが詳細記述されていた。羽黒は私が退艦したあと、レイテ作戦に参加、利根と共に一番敵艦に近づき戦闘した艦であり、その後もシンガポール付近で活躍、最後は英国艦隊と交戦、20年5月16日沈没した。その時、海軍兵学校72期の小島と海軍機関学校53期の土屋の2名が戦死している。
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by naniwa-navy | 2009-07-25 20:36 | 日記
日記 7月25日 なにわ会だより第1号発注
なにわ会だより第1号完成、印刷やに発注しました。内容等は先日書いたとおりです。9月始めの発送を予定しています。
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by naniwa-navy | 2009-07-24 14:17 | 日記
日記 7月24日 なにわ会だより第1号
 なにわ会だより第1号概ね完成、来週には印刷屋に発注します。全部で52頁になりました。今度のなにわ会だよりは、手間を省くため、B5判、横書きとしました。印刷部数は約450部で今までと余り変わりません。
内容は、次の目次を見て想像して下さい。
     目   次
始めに・・・・・・・・・編 集 部・・1  
連絡事項・・・・・・・・編 集 部・・2
行事報告・・・・・・・・編 集 部・・3  
歩こう会・・・・・・・・上野 三郎・・3
関西なにわ会・・・・・・小西 愛明・・8  
パインなにわ会・・・・・編 集 部・・10  
故大谷君を偲ぶ会・・・・編 集 部・・11 
永代神楽祭・・・・・・・編 集 部・・12   
会員だより・・・・・・・編 集 部・・16  
ブログ抜粋・・・・・・・編 集 部・・31  
他のクラス会・・・・・・編 集 部・・44  
入金報告・・・・・・・・窪添 龍輝・・48  
名簿変更訂正・・・・伊藤 正敬・・49  
72期連絡網・・・・・・・編 集 部・・50  
編集後記・・・・・・・・・編 集 部・・51  
現状・・・・・・・・・。・編 集 部・・51

 長い間なにわ会ニュースの校正を担当してニュース発行に貢献してくれた佐丸幹男君から、体調が思わしくないので、校正担当を辞退させて欲しいと申し出がありました。
長年ご協力戴いたことに深く感謝して、くれぐれも無理せず、大事に静養されるよう申し上げました。
ここに深甚な感謝の意を表します。
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by naniwa-navy | 2009-07-23 17:10 | 日記

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