なにわ会のブログ

海軍兵学校72期海軍機関学校53期海軍経理学校33期
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日記 12月31日
平成21年も今日限りとなりました。今年は亡くなった期友が今まだに比して16人と多くなり淋しい限りです。
(18年12名、19年7名、20年8名) ご冥福を祈ります。
さて、先日から取り込んでいた森 教官の戦時日誌のHPへの取り込みが終りました。40話に及ぶ膨大な日誌です。読みながら取り込んで、当時の事を思いだしました。終戦までの第一線の艦艇の苦労が手に取れるように分ります。文字を大きくして行間も広くして読みやすくしてあります。是非お読みください。
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by naniwa-navy | 2009-12-31 20:16 | 日記
我が輩は病人である。(その6)
某月某日
 首吊り、腰の逆さ吊り等、連日の努力に加え暖かくなってきたせいか、これなら何とか旅行にゆけそうな気配になってきた。

・・ ・・ ・・
 こんな訳で、牛ならぬ女房殿に牽かれての、「ラインアルプス花のパリしょん」旅行は、期待に反しての難行苦行と相なった。
 勿論一行の中では最年長、なんとか無事帰宅できたが病状は完全に元の木阿弥。
 正に自業自得、あと半年一年はかかるか?

 旅行記にも度々出てくる食欲不振、どうも舌の様子がおかしいので旅行から帰宅後早速ホームドクターの女医さんに診てもらった。
 咽喉が赤くなっていますとかで抗生薬や嗽薬をくれたが半月経っても一向によくならない。業を煮やして耳鼻科に行った。
やっと血中亜鉛の欠乏による味覚障害と判ったが、精々食餌療法しかないらしい。
 健康食品の亜鉛錠をのみながら、毎日砂を噛むような食事、何を食っても美味くない。ビールやワインは勿論、ウィスキーやブランデーも旨くない。
 人生いよいよお終いですナ!

 此の夏、記録的な猛暑に睡眠不足、暑さだけでもよく眠れないのに、今年は正に台風の当り年、中でも十六号は日本列島を蹂躙した。その猛威は過去最大ではなかろうか。広島では瞬間風速六十、ニ米。
 次々襲来する台風の惨禍は想像を絶するが、当地はお蔭で今までのところたいした風水害を蒙らなかった。
 然し首から肩への痛みは低気圧到来の都度これでもかこれでもかとブリ返す。
 睡眠不足で昼も夜もボーッとしている。 それも情けないが体の方も情けない!腕を動かさないから肩から胸にかけての筋肉がガタ落ち!
 見るも無惨な姿は骨皮筋衛門皺之助。さほど命が惜しいとも思われないが、痛いのばかりはなんとも我慢ならない。

 そろそろ外科医は見限り、今度は針灸に鞍替えすることにした。 この鍼灸医は私の親友の親友で、年は大分違うが中々懇切丁寧にやってくれる。 鍼灸治療であるから、痛み止めの注射のような即効は期待できないが、多少でも効き目があればオンの字である。何しろ一時間みっしり治療してくれるのが有難い。

 八月中旬より週二三回のペースで通院を始めたが何となく効き目があるような気がして来た。 薬が切れると元の木阿弥となる痛み止めの注射よりはいいようである。
 
 苦難の年も明け正月を迎えたが、病状は依然として完治には程遠い。
 それでも徐々には良くなって来ているのであろう。日中身体を動かしている時は比較的苦痛楽になってきた。
 然し夜中睡眠時の痛みは多少軽くなったものの、依然として睡眠不足は相当なものである。
 就寝前に入浴、電気毛布に電気炬燵、とにかく身体を暖かくしてベッドに入るが、ものの一、二時間もすると痛みで目が醒める。
 上半身は肩肱手首から指の関節まで、下半身は股関節、膝、足首まで、特に右側がひどく、痛みを堪えて動かさないと治らない。仕方がないので家の中で運動する。
 階段を昇降すること三十回、下の廊下、客室、居間、食堂を歩きながら、部屋の鴨居や柱などを利用してストレッチに励む。歩数にして約三千、高低差が約八十五米の小山に登る程度の運動量になる。
 
 この位運動をすると痛みは大分楽になってくるが又すぐに眠れる訳にはいかない。横になってテレビを見ることもあるが、最近はクラシック音楽をかけ流していることが一番多い。
 やっと眠れても又痛くなって、時には一晩に二回もこの室内散歩ということもある。  夜眠れないから日中は眠くなれば何時でも寝る。この傾向は相当若い頃からで、まず私ほどの睡眠が不規則な人間もそう多くはないだろう。よくこれで身体がもつものだと我ながら感心している。
 運動不足が一番よくないとは常々思っている。そこで今年になってから戦争中よくやらされた天突き体操を、毎日最低十回はやろうと決心した。ところが残念ながらこれが中々出来ない。
 腰も膝も足首も曲がらないのだからこれは容易なことではない。余談ではあるが、身体の節々が硬くなる原因の一つは、昨今洋式便器の普及でしゃがまなくなったことも大いに影響しているのではなかろうか。 
 相撲の四股踏みもあれは相当合理的な鍛錬方法である。今の私には和式便所が最も苦痛を強いられるところである。
  ところでもう一つの悩みである味覚障害も一向に良くならない。何を食っても美味くない。食い意地の張った我輩には何とも情けない!
 今年になってから知人から、味覚障害については日大板橋病院が日本で一番であると勧められ、一月半ば飛び込みで受診した。待つこと二時間半、診察五分、一週間後再来予約。
 そして予約日、矢張り各種診察採血等合計十分足らず、待ち時間二時間以上、薬朝夕各一袋計五週間分。只それだけでお終い。
 
 五週間後の再診日、対応は概ね前回と同じ、大分良くなっている筈とのご託宣ではあるがご本人の私には余りよくなったとも思えない。
  色んな人からの話を綜合すると、どうも外科での注射がよくなさそうである。素人考えではあるが、此の際痛み止めの注射は我慢してやらないことにしようと決心。
 数日後整形外科受診取止め、痛くとも我慢々。然し痛みは全身に拡散、肩肱手首指の関節、股関節から膝足首まで、
立居振舞甚だ困難、正によぼよぼ! 痛みをこらえなんとか身体を動かすことに渾身の努力!
 然し昨年一月発症時に比べ痛みの質は大分耐え易くなってきたようにも思える。
 鍼灸の治療を受けない日は努めてサウナで身体をほぐすことにしている。

 お気に入りのサウナは車で十分ほど、旧街道沿いにある銭湯で、サウナの温度は百度を越えるので入り応えがある。
 汗が噴き出てきたら水風呂に入る。これを大体三回やると三~四百g体重が減る。 そして普段は前屈しても指先は地上十センチ、これが何とか地面に届くから身体を柔軟にする効果はあるようだ。
 然し晩飯に缶ビール一本で元の木阿弥。現在体重五六~五七キロ。何とか筋肉をつけたいものである。(この文を認めていた頃から現在は更に約10キロ減) 果たして何時になったらこの稿が終るか?
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by naniwa-navy | 2009-12-31 07:17 | 書きもの
日記 12月30日
65年前の12月30日の戦没者
 栗原 信也(主) (呉 竹) 比島北方バシー海峡で
 曽我 清     (801空) 台湾沖で

昨日、回天に関心があって、よくなにわ会HPやブログを見てメールを頂く、Hさんから次のメールを頂いた。
『 65年前の明日、石川誠三中尉は、回天を搭載した、伊58潜水艦に乗り、グァム島アプラ港へ出撃ですね。 65年前の今日、出撃を前に、壮行会が行われ、終了後、ひとり抜け出し、街へ繰り出したそうで…。 昨日から、石川誠三中尉のことを考えていたのですが、自分が、石川誠三中尉だったらと考えると、たまらない気分で、いっぱいになりました。 お名前は忘れたのですが、伊58潜水艦で一緒だった、同期の方はお元気ですか?』

Hさん 何時も貴重なメール有り難うございます。石川君出撃時、伊58潜水艦の砲術長で、彼と最後の話をし、彼の口笛を聞いていたのは田中宏謨君でした。、彼は終戦迄伊58で活躍していましたが、平成7年11月11日に病死しました。 
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by naniwa-navy | 2009-12-30 07:01 | 日記
日記 12月29日
65年前の12月29日の戦没者
林  宏一(765空) 比島方面で

昨日書いた「インターネットで見つけた会員の記事」はHPの目次にある「リンク目次」をクリックし、出て来た「ネットで見つけた会員の記事」をクリックしても出て来ます。
「森 栄教官の聖市夜話」を見やすいようにはHPに取り込んでいます。膨大な資料ですンので少し時間がかかります。
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by naniwa-navy | 2009-12-29 05:31 | 日記
我が輩は病人である。その5
以下日記風に文体を改める。
 某月某日
 女房殿の怪我は破傷風の併発が心配されたが案外順調に回復し、顔面の傷痕も次第に目立たなくなってきたが、歯のグラグラは中々治らないようである。おまけに肩凝りが激しくなりレントゲン検査の結果むち打ち症状も発見されたようである。
 痛みからくる慢性睡眠不足と無気力症状、我ながら情けないが二人とも当分医者通いから開放されそうにない。
 
 某月某日 
 夜、仰向けに寝ると痛みと鼻詰まりで目が醒める。概ね嫌な夢を見て気持が悪くなってのことである。
 当然不眠が続き日中は概ね頭がボーつとしている。通信碁の対局もポカの連発、胴元の威信低下甚だしい。 然し春ともなって暖かになると多少は楽になってきたのか。

某月某日
 夜中激痛のため眠れず。これでよくも身体がもつものと我ながら感心する。 先般連絡のあった中学の同窓会、有馬温泉での開催につき改めて案内があった。
 中学では文武両道に亘り多分に餓鬼大将的存在であった関係もあり、又、年齢的にも恐らくこれが最後かも知れないので、あまり気がすすまないが出席の返事を出す。
 
某月某日
 新幹線ができてから、全国各地への旅行も随分と楽になった。日本列島、二時有志数名母校に集合、校長より現況報告があった。
先年我々ネービー出身者が呼びかけて建立した特攻慰霊碑参拝ののち、有馬グランドホテルへ。参集十九名、本来ならもっと話しもはずんだ筈なのに、地元幹事の司会の拙さで一向に盛り上がらず。 
 肩の痛みで夜はじっとしておれない。相部屋では仲間に迷惑をかけるので友人のタクシーに便乗、三田の弟宅に泊る。

某月某日
 銚子での戦闘機会、出席の積りでいたが夜中の痛みを思うと相部屋ではとてもやりきれない、残念ながら欠席。
 それでも暖かくなってきたせいもあってか痛みも多少楽になってきたようである。
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by naniwa-navy | 2009-12-28 16:54 | 書きもの
日記 12月28日 会員の記事
インターネットで見つけた会員の記事を整理してHPを修正しました。池田武邦君、小灘利春君、左近允尚敏君党の記事が随分ありました。全部を紹介するのは困難ですので主な物だけ取り込みました。
↓をクリック又は貼りつけて見て下さい。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/hp-kaiiin-kiji1.html

なお、森 栄教官の聖市夜話』がありました。
↓をクリック又は貼りつけて見て下さい。
http://navgunschl.sblo.jp/archives/200810-1.html
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by naniwa-navy | 2009-12-28 09:28 | 日記
日記 12月27日
65年前の12月27日の戦没者
神  正也(201空)  比島スリガオ海峡で

今日1400~1454 BS-TBSにて、2009年10月にソロモン諸島ガダルカナル島とパプアニューギニア独立国ウエワク市において行なわれた『太平洋戦争戦没者慰霊の護摩供養」放送が有ります。

  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)の中にあるレイテ沖海戦の参考文書として次の記事があった。
 なにわ会(海軍兵学校72期、海軍機関学校53期、海軍経理学校33期の合同クラス会)の戦記にレイテ海戦時の各艦乗組員の回顧録多数。特に大和に通信士官として乗艦し、戦後日本大学理工学部教授となり、各文献を丹念に検討した都竹卓郎「「大和」艦橋から見たレイテ海戦」を参考とした。
また、左近允尚敏「レイテ海戦における重巡熊野の戦闘 航海士 左近允中尉手記 第1回〜第4回も利用されている。
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by naniwa-navy | 2009-12-27 05:48 | 日記
我が輩は病人である。(その4)
 やむなく翌日は、方向を変え郊外のある整形外科へ行くことにした。
孫娘が以前にかったことのある医者である。駐車場も広く行くのには楽であるが、孫娘に言はすと「ヤブ」である。高校生の小娘が「ヤブ」とはいささか僭越とは思ったが 先生は一応レントゲン写真を診ながら「椎間が年齢並みに狭くなっている」とのご託宣である。
人間年齢並みに狭くならなければ可笑しい。これも誠に明快至極、要するに年齢のせい故左様心得るべしということか。
 あとの治療はたいして目新しくも無く、物腰応対が多少親切なだけで、成程これも孫娘の言うように籔井竹庵先生の仲間のようである。
 電気治療は低周波の刺激療法で、これは矢張り電子レンジ式のほうが素人には体感的に効果ありそうに感じられる。
 注射も一本打ってくれたが余り効果なく、一日で御免蒙ることにした。 
 お蔭で痛みは相変わらずである。首吊り効果で多少痛みは楽になり、少しは動くようになったが肩の痛みは依然として衰えない。それどころか両手首の腫れは頻発するようになった。
 バイトの先生がアイシングをしなさいと言って説明書をコピーしてくれた。要するに「氷で冷せ」というわけである。箸持つ手にも力がはいらないのには困る。塗り薬、貼り薬も皮膚がヒリヒリとして感じが悪くなってきた。

 とかなんとか言いながら多少は凌ぎ易くなってきたことには間違いない。後は気力で痩せ我慢するより仕方ない。 然し夜眠れないのはなんとしても辛い。
 痛み止めの効かない時は酒の勢いを借りて眠っても精々一時間、首から肩から肱手首、時には股関節まで身体中が痛くて目が覚める。
 仕方ないから起きてブラブラ運動で全身をほぐすのである。頭を下にして力を抜き、腕をブラブラ、痛みをこらえて動かしているが、多少はよくなって来ているのであろう。
それでも一日中頭がぼーっとしているのには閉口。 おまけに二三日前、女房殿が飼い犬にじゃれつかれ家の前で転倒、顔面挫傷。
折角の美人がお岩様のような有様で、これまた近くの別の整形外科に通いはじめた。 腕の方は判らないが、女房殿は医者の親切な応対振りが気に入りここに通っている。
 私も、ものは試しと診察を受けてみた。随分以前この先生とは近くのゴルフ場で一度か二度一緒にプレイしたことがある。
 何時も奥方同伴だったので、奥様もお元気ですかとご愛想に聞いてみた。果たして先方は覚えていたかどうか判らない。この先生のうちも「竹林堂」風の古めかしい名前の医院である。
 院内にはこの老舗振りを証明するかの如く、明治時代のこの町の古い地図が飾られていた。
地図というより手書きの古文書的絵図のようなもので、竹林堂医院は随分の大きさで施設の役割毎に棟割まで記載されていた。医院としての老舗ぶりを大いに誇示する代物である。
 丁度我家にも昭和の初めの頃の町の古地図があった。この町の老舗の本屋さんが販売元である。
 然し地図といっても田舎の本屋さんが自前で印刷発行、ポスター大の一枚もので裏面にはこの医院の他にも市内の商店や料理屋の広告も掲載されていて、昔を知る人には大変懐かしい。
 当然前述の絵図とたいして変わりない新聞紙大の手書きのものであるが、発行から百年近くも経つと結構それだけの趣がある。 勿論、大都市になった現在とは大いにかけ離れている。
 何かの役にたつかと思い早速これをコピーして女房から先生に進呈した。
喜んで受け取った様子だったがその後院内には一向に展示されてない。よくよく考えてみると、これにも同じく〇〇堂医院と書かれてあるが、前述の絵図に較べると大きさが月と鼈(すっぽん)ほど違っていた。    
こちらが実際の大きさに近いがこれでは折角の昔の絵図とは大分イメージが違ってくるのでボツにしたらしい。
 それはそれとして 我家も旧市街の真ん中から約二キロ程度、裏の一寸した高台が戦後最初の市営住宅として分譲された。然し、その当時は大田舎であったらしく、残念ながら僅かのことでこの地図には記載されていない。この火葬場は私達が引っ越してきて間もなく火事でなくなった。
 ところが世の中物好きな人もいるらしく、火葬場のあとは縁起がよいとかでこの跡地を購入、家を新築した医者の先生がいた。
 それが又何としたことか、このお家も又火事で焼けてしまった。然し都市化の波は恐ろしく、今やその辺りも昔を知らぬ新しい人の家で一杯である。
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by naniwa-navy | 2009-12-27 05:36 | 書きもの
日記 12月26日 HPで見つけたクラスの記事
HPで海軍兵学校72期で検索して見つけたなにわ会会員の記事です。
旭 輝雄君   ボルネオ歴史事情の記事
http://borneo.web.infoseek.co.jp/agyou.htm

池田武邦君   『昭和二十年夏、僕は兵士だった』のなかの記事。
http://kamep.homeip.net/Amazon/昭和二十年夏、僕は兵士だった/Blended.aspx
池田武邦君   フレッシィ の記事
http://wkp.fresheye.com/wikipedia/池田武邦
池田武邦君   長崎総合科学大学工学部 建築学科主催最終講義http://www.arch.nias.ac.jp/home/ikeda/ikeda.htm
池田武邦君   池田武邦先生に学ぶ会からhttp://www13.ocn.ne.jp/~k.nakao/kouenn-ikeda-kouwakai.html
池田武邦君   池田武邦先生講演会 in 萩 講演レポート】http://www.v-edu.co.jp/club/ikeda_report.html

石川誠三君   針尾三郎随想録の海軍特別攻撃隊員の遺書から
http://ameblo.jp/aqgel/archive1-200810.html

大槻敏直君の会社 有限会社 丸 百のHP
http://www.maru100.com/campany/index.htm

片岡紀明氏(有志会員)  同氏の書かれた『最後の海空戦・若き最前線指揮官たちの日米戦争』のなかに海軍兵学校72期生が明かす迫真の太平洋ドキュメンタリー! 連合艦隊の中核戦力は何を考え、悩み、悶え、どう戦ったのか。海上・海中の苦悩を具現した最後の証言
http://store.shopping.yahoo.co.jp/7andy/31301942.html

小灘利春・片岡紀明共著の本   特攻回天戦 回天特攻隊隊長の回想
http://store.shopping.yahoo.co.jp/7andy/31793251.html

小灘利春君   同君の長女の秋のコンサート
http://www001.upp.so-net.ne.jp/nakko/2008Nov.html
小灘利春君  池田武邦君の告別式弔辞・故人の霊前に捧ぐ
http://www.asahi-net.or.jp/~UN3K-MN/konadaa-tyouzi.htm
小灘利春君  第二回天隊隊長http://www2s.biglobe.ne.jp/~k_yasuto/5_shougen/konada-index.htm

都竹卓郎君  大和ガンルーム会の記事
http://mytown.asahi.com/hiroshima/news.php?k_id=35000130904100001

都所静世君  遺書(回天特攻・金剛隊)
http://www.d-b.ne.jp/jyubei/kamikaze2.htm

中島健児君   針尾三郎随想録の海軍特別攻撃隊員の遺書から
http://ameblo.jp/aqgel/archive1-200810.html

中西達二君   遺書(神風特攻・常盤忠義隊)
http://www.d-b.ne.jp/jyubei/kamikaze2.htm

樋口 直  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)の記事
http://ja.wikipedia.org/wiki/樋口直

深井 良君    第9銀河隊指揮官 深井 良 
http://www14.ocn.ne.jp/~fukapon/1120.html

矢田次夫君   フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)の記事
http://ja.wikipedia.org/wiki/矢田次夫
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by naniwa-navy | 2009-12-26 22:50 | 日記
我が輩は病人である。その3
(続き)
 これが又どうにもならない。「安物買いの銭失い」とはこのことである。
 確かに金属製ベッドの本体は腰のあたりを軸にして背面が持ち上がり、暫くして下半身の方も大腿部も膝から持ち上がる。
ところがこのベッドはマットが付いて無い。マット代りに蒲団を敷くとその蒲団の厚み分だけ腰の位置する部分のカーブが狭くなり作動時に不快な圧迫感が生じる。
 もう一度両手で体を持ち上げてカーブに添うよう姿勢を取りなおせばなんとかなるが、体中痛い病人にとっては使いものにはならない。
 単なるベッドとして孫娘に払い下げたが粗大ゴミ化する恐れは十分にある。老婆ならぬ老爺心からご忠告!「皆さんもリクライニングベッドを買うときは呉々もご用心!」
 悪たればり吐いているので罰があたったのか症状は一向によくならない。診察室に入るとライフル名手の看護師が気の毒そうに尋ねる。
「冬口さん、今日は一本にしますか?二本にしますか?」
 一本は肩筋肉へ「ノイトロピン」二本目は別に痛み止め「デカドロン」を肩関節へ注射するのである。
 この二本目痛み止めを注射するとその日と翌日くらいは何とか凌げる。所がこれは週二回しか注射いてくれない。
 湿布薬、塗り薬、痛み止めの座薬は遠慮なしにくれるが、座薬も使用制限があるし注射ほど効かない。
 だから週七日の内半分以上は痛みのため、ただ生きて居るだけ近い。首から肩から股関節までズキンズキンと痛くて痛くて、寝ては居れない。
 痛くて眠れないということは誠に残酷な話である。ウトウトしても恐ろしい夢や嫌な夢の連続である。
 然るにである、隣のベッドの女房殿は耳が遠いから、我が輩がいくらうんうん唸っていても白河夜船の高鼾、おまけにテレビのイヤホーンを突っ込んでいるから天下泰平。
 ところが逆に我が輩が起き出しそうとすると、その時ばかりはどう言う訳か今迄点けっぱなしの枕もとのスタンドとテレビを消すのである。
 これは別に意地悪じゃなくて、昔からテレビを点けてないと自分の耳鳴りが邪魔になって逆に眠れないらしい。
 眠って仕舞ってからは逆に、我が輩がごそごそ動くとボロ家の振れに気付き、反射的に電気を消すだけのようである。 仕方ないから我が輩は独り淋しく居間のソファーで首吊りをする。首吊りというと大袈裟だが、下から顎を包み上げ、重しで首を引っ張り上げる道具である。

 以前からこの首の牽吊器は時々肩が凝ったときに使用している。海軍後輩の医者に頼み購入したもので、大概の肩凝りはこれで治ってきたが、今回は何時もに較べ効き目がさっぱり。
 この医者は整形外科の中々の名医だが、今は第一線からは引退、名誉職のお偉さんで、実際の診療には携わってはいない。
女房殿の舎弟や中学時代の親友も整形外科を開業しているが、遠く離れた故郷にいるのではじゃ仕方ない。

 都合の悪いときは重なるもので、生憎私が主宰している或る趣味の会の事務担当の女性が、息子さんの入院手術のため長期欠勤,私が毎日パソコンと睨み合わねばならない。
どんな会かと云うと通信碁の会である。同好の士を糾合して最初は一手一手を郵便でやり取りしていたが、ファックスと云う便利なものが出来てからは、これも併用した。それでも一局終わるのに四、五年はかかる。然し、会員の老齢化が進んで先年、三十年近く続けたこの会も幕引きと相成った。これまた肩凝り原因の一つであったことに間違いは無い。
 平素からサウナが大好きなので医者にサウナはどうかと訊くと、先生は「サウナ大いに結構々々」というが、どうも今回は逆に疲れるような氣もする。
 サウナは熱いのが好きで、サウナで暖めて水風呂で冷やす。これを二三回繰り返すと大体300乃至400gを絞れる。もっとも帰宅してビールでグーッと咽喉を潤すと忽ち元の木阿弥と化すが、これは又別問題である。
 然し今回は今一つ浴後の爽快感が無く、体の凝りも余り取れない。 それに心なしか痛み止めの注射も余り効かなくなってきた。最初は嘘のように効いたが慣れは恐ろしい。従って一週間の中四五日は泣きの涙である。
 そろそろ別の医者を探すか、按摩鍼灸に鞍替えせねばと思っているが、何となく面倒臭い。
思考力は完全に低下しているが、死ぬ心配だけは無さそうであるから辛抱々々!
 我慢、辛抱、時薬!人間齢とれば方々ガタの来るのは当然と諦めていたが、今度は両の手首が脹れてきた。やむなく 大先生に「どうしたものか」と尋ねたら、触りもしないで「血液の循環が悪くなっているのだろう」の一言である。
何とも有難いお見立てである。我輩も流石之には呆れて返って返す言葉もなかった。 と云うわけで面倒ながら他のお医者様に鞍替えしようという次第と相成った。
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by naniwa-navy | 2009-12-25 17:44 | 書きもの

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