なにわ会のブログ

海軍兵学校72期海軍機関学校53期海軍経理学校33期
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鎮魂、機関科の3月の戦死者
☆19年3月は0
米機動部隊パラオ来襲、古賀司令長官戦死。艦隊はリンガ泊地へ。
☆20年3月3名、
・合志秀夫、整備、硫黄島にて玉砕。
・寛応隆、彗星隊、九州東方海面。
・嶋野辰雄、イ8潜、沖縄周辺海面。
鎮魂、生存せる海軍通信兵の手記「17歳の硫黄島」を再読、合志の無念に涙す!! 齋藤
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by naniwa-navy | 2010-02-28 21:17
日記 2月28日 なにわ会だより第2号発送
2月も今日で終わり、月日の経つのがなんと早いことでしょう。
なにわ会だより第2号、昨日クロネコで発送しました。明日か明後日着くと思います。今度も記事が多くて76頁にもなってしまいました。記事が多いという事は編集担当として嬉しいことです。会員の協力のお蔭で感謝して居ます。
第2号のうち、桂 理平君への弔辞、秋田稔君の最後、園田勇君のこと、昨日の敵は今日の友をHPに取り込みました。
昨日小西愛明君から樋口 幹君が転居した事を教えてもらいました。会員、遺族会員の転居等変更された時はその都度、名簿もtsん等している伊藤正敬に知らせて下さい。郵便の時は転居後、暫くは新しい住所に転送されますが、クロネコ利用の場合は返却され、二重手間になります。万一ご不幸があった場合もお知らせ頂けるようご家族に言い伝えておいて下さい。ご協力お願いします。
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by naniwa-navy | 2010-02-28 05:18 | 日記
日記 2月27日
2月27日の戦没者 66年前 なし 
65年前
吉盛一己(機)(205空戦闘機)、岩波欣昭(205空 戦闘機)台中上空で
 敵機動部隊の空襲を受け出撃、敵P-47と交戦戦死(零戦)
堀 哲男(機) (攻 5 整 備) 比島クラーク地区で
 クラーク防衛海軍部隊14戦区大隊長として陸上戦闘で戦死

なにわ会だより第2号印刷完了。封筒に入れています。近日発送します。

昨日の226事件に関連して、74期の談話室に226事件秘話のビデオ放送の事が掲載されています。
[226事件秘話 1/5] 次を貼りつけて見て下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=6bkmF7ZaxHU
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by naniwa-navy | 2010-02-27 06:30 | 日記
テレビ放送
2010年 2月27日(土)午前8:00~午前8:45(45分)『証言記録 兵士たちの戦争「フィリピン・エンガノ岬沖』
が:BShiでn放送されます・
番組HP: http://www.nhk.or.jp/shogen/
太平洋戦争中、最も多くの海戦に参加しながら大きな損害を受けることなく「幸福な空母」と呼ばれた瑞鶴。しかし最後の任務は、敵の攻撃のオトリ。それはなぜだったのか?
太平洋戦争で日本はアメリカに先駆けて大規模な空母機動部隊を編成し、世界に圧倒的な強さを見せつけた。中でも最も多くの海戦に参加したのが空母・瑞鶴。戦局が悪化する中でも大きな損害を受けることなく「幸運な空母」と呼ばれた。しかし、昭和19年10月レイテ沖海戦で命じられたのは、敵の攻撃をひきつけるオトリの役目。なぜ生還の見込みのない絶望的な任務を強いられたのか? 乗組員と航空機の搭乗員の証言からたどる。

この放送に70期の高井先輩も出演されます。この情報は、70期の森田さんから頂きました。森田さん有り難うございました。

なお、高井さんは終戦後復員輸送中、海150号の艦長で、私が航海長でした。電話でお尋ねして次の情報をえました。
『昭和19年10月25日、比島沖海戦(フイリピン;ルソン島エンガノ沖)  「瑞鶴」は、水上艦隊(2艦隊他)がレイテに突入するにあたり、敵機動艦隊(空母)を北方に誘致し、自らは囮艦隊となり敵機動艦隊と交戦し沈められる。私は当時大尉、24歳で部下200名、艦長の側近で戦いました。
 拙宅にも去る11月30日、NHKのカメラが入り、インタビューを受けました。どんな編集になるか不明ですが、』
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by naniwa-navy | 2010-02-26 21:05 | お知らせ
日記 2月26日 226事件
2月26日の戦没者 なし
昭和11年のこの日、斎藤義衛君が思いでを書いて呉れたように、226事件が起った。次のHPを見て当時を思い出した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/226%E4%BA%8B%E4%BB%B6
この中に次の記述があった。
『伯爵牧野伸顕は、欧米協調主義を採り、かつて内大臣として天皇の側近にあったことから襲撃を受けた。
河野寿航空兵大尉は民間人を主体とした襲撃部隊(河野大尉以下8人)を指揮し、湯河原の伊藤屋旅館の元別館である「光風荘」にいた牧野伸顕前内府を襲撃した。警護の巡査皆川義孝は河野らに拳銃を突きつけられて案内を要求され、従う振りをしつつ、振り向きざまに発砲し、襲撃部隊の大尉河野及び予備役曹長宮田晃を負傷させた。襲撃部隊によって皆川巡査は殺害されたが、これによって牧野は襲撃を受けずにすんだ。

東京第一衛戍病院に収容されていた河野大尉が3月5日に自殺を図り、6日午前6時40分に死亡した。』
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by naniwa-navy | 2010-02-26 07:14 | 日記
思い出、226事件 齋藤
昭和11年のこの日、私は小5、信州も雪降る日であった。テレビも無くラジオも少ない時代、号外でこの異変を知る。そして此の事件に我が縁者が関わってるとは知るよしも無かった。その縁者とは所沢陸軍航空大尉河野寿である。湯河原攻撃隊長として牧野伸顕を襲い失敗!負傷し熱海陸軍病院に収容されるも自刃し刑死を免れる。父君は海兵13期河野左金太少将、三笠引き上げに功績ありと。
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by naniwa-navy | 2010-02-25 21:36
日記 2月25日
2月25日の戦没者 66年前 なし 
65年前 杉江克巳(戦310 戦闘機) 千葉県上空で
 来襲のB-29の迎撃に向い、これと交戦 戦死(零戦)
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by naniwa-navy | 2010-02-25 05:50 | 日記
日記 2月24日
2月24日の戦没者 66年前 
出宮喜顕(白露 駆逐艦) 四国南方海面で
台風時前部砲塔故障を挺身修理中戦死
(当時横須賀からパラオに向かって航行中の白露で起った事故であり、当時武蔵甲板士官だった野村治男君の記事が次のHPにある。)
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-demiya-nomura1.htm
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by naniwa-navy | 2010-02-24 05:40 | 日記
日記 2月23日
今日は1000から1600まで横浜で、Y氏と樋口直君、岡野様とお会いして、彼が近く出版される九州佐伯の昭和19年、20年の物語について話あいました。Y氏、本当によく調べておられて驚きました。
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by naniwa-navy | 2010-02-23 17:38 | 日記
日記 2月22日 Y氏上京
1月24日のブログに書いた福岡県に住んでおられるY氏ガ明日上京され、横浜で樋口直君と共にお会いすることになった。Y氏は大分県の佐伯市生まれで、数年ほど前から、昭和19年から終戦迄の佐伯に関する物語を書いておられ、その中に当時の事を物語風に纏められています。その記事の材料としてなにわ会HPの記事を活用され、樋口 直君、遺族会員の岡野様の記事を利用しているので、是非ご挨拶したいとお見えになることになりました。
このなにわ会HPは会員以外の方もよくご覧になっているようで随分お役に立っているようです。
ウィキペディア(Wikipedia)で レイテ作戦 の所に次の記事がありました。
「戦記目次」『なにわ会』内 海軍兵学校72期、海軍機関学校53期、海軍経理学校33期の合同クラス会。レイテ海戦時の各艦乗組員の回顧録多数。特に大和に通信士官として乗艦し、戦後日本大学理工学部教授となり、各文献を丹念に検討した都竹卓郎「「大和」艦橋から見たレイテ海戦」を参考とした。
このほか、左近允尚敏君、小灘利春君、池田武邦君の記事も随分活用されています。
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by naniwa-navy | 2010-02-22 05:39 | 日記

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