なにわ会のブログ

海軍兵学校72期海軍機関学校53期海軍経理学校33期
<   2010年 10月 ( 44 )   > この月の画像一覧
日記 10月31日
10月31日の戦没者
 66年前の昭和19年
 羽原 寛(伊364 潜水艦) ウエーク島への緊急作戦輸送のため19.9.14横須賀甲を出撃、以後消息を絶つ(戦死認定)
  (房総半島東方250浬で米潜シ―デェビットの雷撃により19.9.15沈没:米軍資料)
 出雲 凡夫(801空 大艇操)本邦南方洋上哨戒のため発進、300浬地点進出報告後消息を絶つ(二式大艇)
 東浦登代治(大湊空 偵察)索敵の為基地発進後、台湾沖で消息を絶つ。
c0130833_551071.jpg

 先に羽黒砲術長浅井秋生氏が書かれた「羽黒の奮戦・ソロモンからレイテまで」をHPに取り込んだが、羽黒の高角砲員で海軍1等兵曹だった石丸法明氏の書かれた「海の勇者の終焉 ペナン沖に消えた羽黒」があったので、HPに取り込んだ。この資料は石丸氏から左近允尚敏君に送られたもので、私は左近允尚敏君から受取った。
 羽黒には、小松崎正通、斎藤五郎、小島丈夫、伊藤正敬、土屋賢一(機)の5名がいたが、レイテ作戦時までに、小松崎、斉藤、伊藤の3人は転勤して、小島と土屋の2人だけが残って、両名は20年5月16日羽黒沈没時に戦死した。
 砲術長は20年4月転勤したので、羽黒の最期には立ちあっていない。砲術長の記事はレイテ作戦で終わっており、この記述にはレイテ戦以後沈没迄の事が詳しく書かれている。この2つの記事で羽黒のことがよく分るので転載することにした。
[PR]
by naniwa-navy | 2010-10-31 05:01 | 日記
日記 10月30日
10月30日
 東京クラス会出欠返事  足立之義 欠席

 先日紹介した左近允尚敏君の「捷号作戦はなぜ失敗したのか」を初めから順に精読している。
なかなかよく勉強されていてその詳しいことに驚きで一杯である。まだ初めの方を読んだだけだが。
ここでその目次を紹介する。
序 章  重巡洋艦・熊野の戦闘
第1章  マリアナ戦後の米軍
第2章  マリアナ戦後の日本
第3章  米軍、レイテ上陸
第4章  レイテ上陸と日本軍
第5章  パラワン水道
第6章  シブヤン海
第7章  ハルゼイの北上
第8章  スリガオ海峡
第9章  サマール沖 その1
第10章  サマール沖 その2
第11章  サマール沖 その3
第12章  神風攻撃、エンガノ岬沖
第13章  10月26日以後
終 章 総括 所感/論評
[PR]
by naniwa-navy | 2010-10-30 05:01 | 日記
日記 10月29日
10月29日の戦没者
 66年前 昭和19年 
  藤井 弘元(那智 巡洋艦)マニラ湾で敵大編隊の攻撃を受け被弾、戦死
  風見 芳郎(254空 戦闘機) 比島クラーク アンへレス南飛行場付近で敵機を迎撃、交戦、戦死(零戦)
  安保 寿夫(戦315 戦闘機) 比島タクロバン攻撃中戦死(零戦)
[PR]
by naniwa-navy | 2010-10-29 05:13 | 日記
日記 10月28日
10月28日
66年前の戦没者
 寺岡 恭平(伊45 潜水艦)19.10.13比島東方海面に向け呉出撃、敵機勤部隊を攻撃後消息を絶つ(19.11.21戦死認定)(米潜シーデェビットの雷撃により19.10.28沈没:米軍資料)

 19年10月28日 2150 栗田艦隊主隊 ブルネイ帰港

レイテ沖海戦に参加した艦艇と会員の情況を整理して、↓のHPに掲載した。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senki-reite-syuukei.html
[PR]
by naniwa-navy | 2010-10-28 05:13 | 日記
日記 10月27日
10月27日
兵74期訃報
 吉田 秋義 様(1学年 35分隊) 22、10、26 没
  謹んでご冥福をお祈りいたします。

66年前の27日の戦没者
 西  金蔵(鳥海巡洋艦)敵機動部隊と交戦、比島サマール島沖で沈没、
             藤波に救助された後、同艦沈没の際戦死
 伊藤 利治(鳥海 巡洋艦) 同上
 實吉 安志(藤波 駆逐艦)鳥海の乗員を救助、帰投中、敵機の爆撃を受け沈没、戦死
 沼田 寛三(不知火 駆逐艦)比島ミンドロ沖で敵艦上機の攻撃を受け沈没戦死
 比古田宏進(戦317 戦闘機)比島方面航空戦でレガスピー付近にて墜落戦死(零戦)
 近藤 寿男(攻5 艦爆操)神風特別攻撃隊義烈隊として、レイテ在泊敵艦に突入戦死(彗星)
 高野末五郎(901空 陸攻操)南西太平洋で船団護衛中、敵機の攻撃を受け墜落戦死(一式陸攻)
 片岡 政士(攻702 偵察)比島沖海戦に於いて、敵空襲部隊と交戦戦死(一式陸攻)

東京クラス会出欠返事
 溝井 清 欠席

 昨日は旭 輝雄君が始めてブログに書きこんで頂いてとても嬉しかった。彼が書いて呉れたように、なにわ会だより第3号76頁を見て、是非一度は挑戦して見て下さい。また、78頁に齋藤義衛君が書いて呉れたように携帯電話からも投稿出来るので宜しくお願いします。
[PR]
by naniwa-navy | 2010-10-27 05:31 | 日記
挨拶  旭 輝雄
三号なにわ会を読んでいてプログに参加する事が出来ます。
今後共宜しく御指導を賜りたく、プログ利用の方々にも御願致します。
先ずは御挨拶まで。
[PR]
by naniwa-navy | 2010-10-26 10:47 | 報告
鎮魂, 機・齋藤
能代の命日
1113 パナイ島の北西海岸沖。北緯11度42分、東経121度41分の海底に今尚静かに眠る。 魚雷は缶室に命中、機械室に在りし私は脱出生還。被爆軽巡の衝撃は言語に絶する。
同日戦死の伊藤比良雄兄の舎弟高昭氏は毎年参拝されるが、同氏とは戦後勤務の旭電化工業の同年入社の仲。矢矧は能代と同型艦、鎮魂の思いをこめて矢矧の油絵を進呈す。
c0130833_928244.jpg

[PR]
by naniwa-navy | 2010-10-26 09:30
日記 10月26日
10月26日
 機52期訃報
  関 陽三 様 22.10.23 没
   関さんとはアドミラル会で長いことゴルフを一緒に楽しんでいた。
 今年の5月の最後のアドミラル会にも元気で参加されていたのに、急逝された。
 慎んでご冥福を祈る。
 
66年前の今日 
 0834 「大和」対空射撃開始
 以後1212まで、B24陸上機を含む連続した空襲を受ける
 0850 「能代」魚雷1、直撃弾1 この日の被害担当艦となる
 1113 「能代」沈没

 25日の戦闘で負傷した伊藤比良雄(矢矧 巡洋艦)遂に息を引き取った。
[PR]
by naniwa-navy | 2010-10-26 04:45 | 日記
日記 10月25日 レイテ海戦
10月25日
 レイテ突入の日、1日で22名という多数の戦没者を出した。

第1遊撃部隊
  0030 栗田艦隊 サンベルナルジノ海峡通過
  0220 栗田長官 西村艦隊のレイテ突入電受信
  0522 西村艦隊全滅の報 志摩艦隊から入電
  0659 「大和」前部主砲発射 続いて「長門」「榛名」砲撃開始
       空母群と水上艦隊との砲撃戦は空前絶後のことであった。
  0730 「鈴谷」 被爆し落伍
  0802 「金剛」追撃中の空母に射撃開始、
       「筑摩」「利根」続いて攻撃
  0853 「筑摩」魚雷1命中 0902反転落伍沈没
       (精島勝義、高橋英敏、服部健三 戦死)
  0855 駆逐艦(ホーエル)撃沈
  0907 空母(ガンビアベイ)火災爆発 沈没
  0911 追激戦闘中止 北方集結を指示
  1005 駆逐艦(ロバーツ)撃沈
  1010 駆逐艦(ジョンストン)撃沈
  1045 陣形を立て直す
  1105 空母(セントロー) 特攻機によって沈没
  1120 栗田長官 『レイテ突入』を豊田聯合艦隊長官に打電

   この時、一番敵空母に近づき攻撃したのは、羽黒と利根であった。この羽黒の活躍について同艦砲術長の次の手記がある。
 http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senki-haguro-asai2.html

  1226 北方反転を下令 レイテ突入断念を決意
  1230 「鈴谷」 沈没。
       (吉岡慶治 戦死)
  1236 栗田長官 聯合艦隊司令部に『レイテ泊地突入を止め、敵機動部隊を求め決戦』を打電
  1257 「大和」 航路0度(真北)に変針 反転
  1313 第1次空襲70機(通算第9次) 以下1706の通算第11次空襲まで連続
  1817 日没 空襲終了
   「野分」 筑摩乗員を救助、帰投中、比島東方海面(サンベルナジノ海峡東沖)で敵艦隊と交戦、沈没
       (小林正一 戦死)

第1遊撃部隊支隊と第2遊撃部隊
 0300 「扶桑」雷撃を受け速力低下、大爆発、炎上、沈没。
       (後藤一郎、林 和男 戦死)
 0320 「山雲」魚雷命中轟沈、
       (若林立夫戦死)
 0331 「満潮」航行不能、 沈没
 0311 「山城」左舷後部に命中、速力低下、左舷中部に魚雷命中 
 0419 「山城」転覆沈没
       (江本義一、藤井 勉 戦死)
 「阿武隈」 左舷前部に魚雷命中 
 「満潮」沈没
 「朝雲」艦首切断、
 「最上」艦橋と防空指揮所に3発直撃 艦長、副長、ほかほとんど戦死、
 砲術長 砲撃指揮所から指揮をとり、南方に離脱を決意。
 その後、米雷撃機17機の攻撃受け直撃弾2、
 自沈(僚艦「霞」の雷撃による)
       (鷲野幹男 戦死)
 「朝雲」沈没
 「時雨」単独で戦線を離脱、27日ブルネーに入港
西村艦隊
 「時雨」1艦を除いて全滅した。

志摩艦隊
 米艦隊に一撃を加えることもなく反転した。

小沢艦隊
  0815 第1次空襲170機 
       「瑞鳳」直撃弾2、至近弾6、
       「瑞鶴」魚雷1、直撃弾3 通信不能
  0856 「秋月」沈没。
  0937 「千歳」沈没。
        (柄沢節夫、未岡信彦 戦死)
  0958  第2次空襲36機 「伊勢」直撃弾1、至近弾8
  1016 「千代田」航行不能。
  1054  小沢長官 「大淀」に旗艦変更。
  1306  第3次空襲200機 「瑞鶴」魚雷7、直撃弾4命中
  1414 「瑞鶴」沈没。
        (都野隆司、佐野 寛 戦死)
  1655 米巡洋艦の攻撃を受け、「千代田」沈没。
        (稲葉 博、甲賀公夫、西 尚男 戦死)
  1722 第4次空襲85機
     「伊勢」至近弾34、「日向」至近弾7、「大淀」至近弾4
  2059 「初月」沈没 単艦で敵艦13隻と交戦沈没。
        (島本紀久一 戦死)
  2300 「多摩」沈没 敵潜攻撃による。
        (増田 弘 戦死)
  2345  夜戦を断念、北上し離脱
 
 この日小沢艦隊に対する米軍攻撃機数は延べ527機にのぼり、 空襲によって空母4、駆逐艦1が撃沈された(他に2隻が沈没)。しかし、戦艦2、軽巡2、駆逐6の生存艦を擁して帰還できたことは「戦術的成功」であったともいえよう。

小嶋辰雄(攻3 艦爆操)・仮崖久雄(攻3 偵察)
 捷一号作戦:レガスピー東方海面を索敵攻撃に発進後、消息を絶つ(彗星)



 
[PR]
by naniwa-navy | 2010-10-25 06:30 | 日記
平成22年10月歩こう会    上野 三郎
 平成22年10月23日の歩こう会は、記録破りの猛暑も漸く衰え最高気温も20℃を切る絶好の天候の下で行われた。参加者9名(男子4名、女子5名)
 JR大磯駅集合10:30、バスで(嘗ては歩いたものだが)県立大磯城山公園へ。
 公園は平成2年に整備完了し全園開園となったようだ。よく整備されていた。資料によれば、此の土地からは縄文式土器や横穴墓、鎌倉古道等の文化遺産が発掘され、更に室町時代には小磯城が築かれた所だ。
時代が流れ明治41年三井財閥が別荘を構えるようになり、庭園として整備された。敷地内に全国の有名な古寺社の古材を用いた「城山荘」や国宝の茶室「如庵」等が作られた。
時が移り変わり土地の大部分は他人にわたり、長く放置されていたが、見事復興され、郷土資料館にそれらの歴史が凝縮されている。
 展望台よりの眺望は右側に富士山、箱根、真鶴、伊豆、大島と左側には三浦、江ノ島と抜群だ。
折角大磯に来たのだから、漁港まで足を伸ばし鮮魚料理を堪能しょうと長い距離を歩いたが、丁度我らの直前で材料切れとなり、残念空腹のまま大磯駅まで歩き漸く昼食を済ました。
 15:30解散。歩行数9,000歩、よく歩いたものだ。
c0130833_2295665.jpg

        郷土資料館をバックに向かって左から
 上野、中井、中井・村上・藤井・深尾・品川各夫人、深尾、幸田
[PR]
by naniwa-navy | 2010-10-24 22:07 | 報告

by naniwa-navy
プロフィールを見る
画像一覧
カテゴリ
全体
日記
連絡
お知らせ
訃報
書きもの
挨拶
報告
お尋ね
鎮魂
写真
お詫び
意見
テスト
お見舞い
思い出
情報
戦記
未分類
以前の記事
お気に入りブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧