なにわ会のブログ

海軍兵学校72期海軍機関学校53期海軍経理学校33期
日記 11月23日
11月23日
 戦没者 67年前 昭和19年 
  寺本実三(攻256 偵察)
  比島レイテ クラーク基地を発進、レイテ湾の敵艦船攻撃後戦死

 戦後物故者 なし

 なにわ会のHP資料に在る『海軍兵学校の歴史』は字が小さくて見にくいので修正してみ易くした。
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# by naniwa-navy | 2011-11-23 05:24 | 日記
日記 11月22日
11月22日
 戦没者 67年前 昭和19年 
  坂本 博(戦308 戦闘機)
  鹿屋基地で訓練飛行中、不時着して殉職(零戦)

  戦後物故者 なし
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# by naniwa-navy | 2011-11-22 07:02 | 日記
日記 11月21日
11月21日
 戦没者 67年前 昭和19年 
  森下正美(金剛 戦艦)・内田源吾(浦風 駆逐艦)
  ともに台湾海峡(基隆沖)で 警戒航行中、敵潜の攻撃を受け沈没して戦死

 戦後物故者
  中西健造 平成15年11月21日 逝去
  大村 哲哉の「中西 健造君逝く」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-nakanisiken-omura1.html
 
  向井壽三郎の「中西君 篤い友情有り難う」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-nakanisi-mukai1.html

  加藤 種男の「中西健造君の急逝を悼む」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-nakanisi-katou1.html

 機55期の大久保様から電話で、京都のクラスメイトが近く行われる京都70Thの会で先日ブログに書いた戦没者の表を会員に配布したいが良いかと電話を貰った。「大いに結構です。ご利用下さい」と返事した。
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# by naniwa-navy | 2011-11-21 06:09 | 日記
日記 11月20日
11月20日
 戦没者 67年前 昭和19年 
  吉用茂光・ 山脇美代次 (伊54 潜水艦)
   19.10.15比島東方海面に向け呉出撃、敵機動部隊に作戦後消息を絶つ(戦死認定)
  (米駆逐艦グリドリー及びヘルムの爆雷攻撃により19.10.28沈没;米軍資料)

  福田 斉(6艦隊司令部付 回 天)
  回天特別攻撃隊菊水隊としてウルシー泊地の敵艦に体当り戦死
    (伊47より発進)
  佐丸 幹男の「ウルシーに散った福田斉少佐」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-fukudahitosi-samaru1.html

  村上 克巴 (6艦隊司令部付 回 天)
  回天特別攻撃隊菊水隊としてパラオコッソル水道の敵艦に休当り戦死
    (伊37より発進)
  佐丸 幹男の「波のような男 村上克巳少佐」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-murakami-samaru1.html

  出雲 博 様の『私の出会った「大切な人」 村上克巴少佐の言葉』の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-murakami-izumo1.html

 回天特攻で戦死したなにわ会会員は兵8名、機5名、計13名であるが、この2名が最初の戦死者である。

 戦後物故者 なし
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# by naniwa-navy | 2011-11-20 06:45 | 日記
戦没者統計
 昨日泉五郎君から戦没者総数を卒業生数で割り更に戦争に従事した月数で割った戦没率B(%)は割った期間が間違っているので、戦没率も間違っていると電話を貰った。チェックしてみたら72期以前のクラスが全部間違っていた。そこで訂正して計算し直してHPを訂正した。その結果の漸くである。

海軍兵学校
期   卒業  戦死  卒業後の  戦没率A(%) 戦没率B(%)
            戦時期間(月) 
兵65  187  106     47      56.68    1.21
兵66  220  119     47      54.09    1.15
兵67  248  155     47      62.50    1.33
兵68  288  191     47      66.32    1.41
兵69  343  222     47      64.72    1.38
兵70  433  287     47      66.28    1.41
兵71  581  329     35      56.63    1.62
兵72  625  335     23      53.60    2.33
兵73  898  283     16.5      31.51    1.91
兵74 1,024  16      4.5      1.56    0.35

 戦没率Aでは68期、70期、69期、67期、65期、71期、72期、73期の順だが、戦没率Bでは72期、73期、71期、70期・68期、69期、67期、65期、66期の順である。即ち卒業後終戦まで平均毎月2.33%(14.6人)が戦死している。

海軍機関学校

期   卒業  戦死   卒業後の     戦没率A(%)  戦没率B(%)
             戦時期間(月)
機46   69   30     47       43.48      0.93
機47  75   30     47       40.00      0.85
機48  74   34     47       45.95      0.98
機49  78   32     47       41.03      0.87
機50  76   57     47       75.00      1.60
機51  93   57     47       61.29      1.30
機52  115   57     35       49.57      1.42
機53  111   57     23       51.35      2.23
機54  173   51     16.5       29.48      1.79
機55  318    1     4.5        0.31      0.07
 戦没率Aでは50期、51期、53期、52期、48期、46期、49期、54期の順だが、戦没率Bでは53期、54期、50期、52期、51期、48期、46期、49期、47期の順である。即ち53期卒業後終戦まで平均毎月2.23%(2.5人)が戦死している。

海軍経理学校
期   卒業  戦死  卒業後の    戦没率A(%)  戦没率B(%)
            戦時期間(月)
経26  20    6    47       30.00      0.64
経27  25    2    47        8.00      0.17
経28  25    7    47       28.00      0.60
経29  26    8    47       30.77      0.65
経30  31    14    47       45.16      0.96
経31  35    14    47       40.00      0.85
経32  42    17    35       40.48      1.16
経33  99    2     4.5       2.02      0.45

 戦没率Aでは30期、34期、32期、31期、33期、29期、26期、27期の順だが、戦没率Bでは34期、33期、32期、30期、31期、29期、26期、27期の順である。即ち34期が一番多く卒業後終戦まで平均毎月2.48%(1.63人)が戦死しており、次いで33期が1.62%(0.86人)が戦死している。
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# by naniwa-navy | 2011-11-19 18:05 | 情報
日記 11月19日
11月19日
 戦没者 67年前 昭和19年 
  多田圭太( 戦407 戦闘機)
   神風特別攻撃隊第2朱雀隊としてレイテ湾の敵艦に突入戦死(零戦)
  本山 和男の「多田圭太の思い出」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-tadakeita-motoyama1.html

  集部の「大西長官と多田圭太」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-tadakeita-hensyuubu.html
 
 戦後物故者 なし

 なにわ会のTOP頁をチェックし、取り込んである件数を修正した
 総数 1639件
 ニュース記事 1083件(海兵記事15件、遺墨関係50件、ニュース100目次48件、
          戦記329件、戦没186件、物故429件、その他6件)
目次     478件
名簿     15件
戦没者    17件
訃報     15件
分隊別写真   8件
教班別写真   3件
分隊監事    4件
物故者     8件
資料     16件(海軍兵学校の歴史、クラス会、幹事一覧、ネット会員の頁、
          歩こう会、21年以降なにわ会、
          海上自衛隊高級幹部歴代、同最近、
          宣戦の詔勅、終戦の詔勅、学校資料、工藤俊作、
          海軍機関学校の沿革、イラク戦争批判)
記録      9件(クラス会史抄、江田島行事、72期略年歴、72期の変遷、
          機53期の戦没記録、八雲行脚、八雲残照、
          海軍3校入試情況、海軍3校戦没情況)
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# by naniwa-navy | 2011-11-19 06:16 | 日記
日記 11月18日
11月18日
 戦没者 67年前 昭和19年 
  井上 哲( 伊177 潜水艦 )
  19.9.19パラオ方面に向け呉出撃、ウルシー偵察後パラオ北西海面で消息を絶つ(戦死認定)
(米護衛駆逐艦サミュエル・S・マイルスのヘッジホッグ攻撃により19.10.3沈没:米軍資料)

 戦後物故者 なし
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# by naniwa-navy | 2011-11-18 06:55 | 日記
日記 11月17日
11月17日
 戦没者 67年前 昭和19年 
  嶋津義公・谷口 哲( 神鷹 空母)
   敵潜の雷撃を受け東支那海で沈没戦死

 戦後物故者
  菅井 超 平成13年 11月17日 逝去
泉 五郎の「菅井 超君を偲ぶ」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-sugai-izumi1.html

 会だより第100号の記事で取り込んでいなかったのがあったので逐次取り込んでいる。
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# by naniwa-navy | 2011-11-17 06:18 | 日記
東京クラス会写真追加
齋藤 義衛君から昨日の東京ウラス会の写真3枚を送って貰った。
全体の事が良く分る。齋藤君有り難うございました。
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# by naniwa-navy | 2011-11-16 09:38 | 写真
日記 11月16日
11月16日
 戦没者 なし

 戦後物故者
  大熊 直樹 平成5年 11月16日 逝去
  大熊君は南鳥島で活躍しており、その手記が↓に在る。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senki-1-minamitorisima-ookuma1.html

  投稿時の編集長押本直正君の所感、
 『大熊少、中、大尉、「この孤島での一年半の奮戦中、クマさんは二階級進級した」 長期間南海の孤島で苦戦した。』

  小野 義市の「大熊直樹君への弔辞」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-ookuma-ono1.html

  向井壽三郎の「追悼 大熊直樹博君」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-ookuma-mukai1.html

  吉田 修の「大熊 直樹君」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-ookuma-yosida1.html

 昨日の東京クラス会の時、参加者全員の写真を2人ずつ写したつもりだったが、次の4枚以外は何故かぼけてものにならなかった。
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           金枝 健三・室井  正
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           大槻 敏直・旭  輝雄
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         齋藤 義衛・鴋沢 孝(野崎の友人 ゲスト)
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          上野 三郎・伊藤 正敬・高田 俊彦
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# by naniwa-navy | 2011-11-16 05:30 | 日記
東京なにわ会
 昨年に引き続き、今年も上野三郎君のアレンジで11月15日 なにわ会東京クラス会が1300から1530まで、アルカディア市ヶ谷で実施された。今回は出席予定28名だったが、都合により泉 五郎君と池田武邦君が欠席され、26名が集った。
会は村山 隆君の司会により次のとおり行われた。
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最初に軍艦器に敬礼、次いで上野三郎君が幹事として挨拶、次いで、戦没者及び戦後物故者に黙祷を捧げた後、伊藤編集長から連絡事項として次の話があった。
1 海軍兵学校各クラスのクラス会の情況の要約
a 71期以前クラス  殆ど解散
b 74期 21年解散    c 75期 24年解散予定
d 76期 26年解散予定  e 78期27年解散予定
f 73期・77期 検討中
 上記のとおり、概ね87歳までにクラス会の活動を終るところが多い。
2 24年度なにわ会だよりの連絡費の納入状況
  会員    兵62 機9 主5 会友3 計79
 物故者遺族 兵26 機1 主2 会友2 計31
  戦没者遺族 兵41 機1        計42
  有志5  総計157 
3 来年は卆寿(数え歳90)となるし、上記のとおり連絡報の希望会員が思ったより少ないので、なにわ会だよりは来年の第6号・第7号をもって終りとしてはどうかと提案した。
これに対し、司会者村山君が意見を徴したところ、反対意見なく、全員の拍手で賛同を得た。
4 ただし、HPとブログは出来るだけ続けていく。

 次に高松君の音頭で乾杯、懇談に入った。
 そして最後に村山 隆君配布の軍歌集で、まず、江田島健児のうた、次に海軍機関学校校歌、海軍経理学校校歌を合唱、さらに相澤善三郎君の音頭で軍歌 艦船勤務・如何に狂風・広瀬中佐・ラバウル航空隊・海軍小唄・軍艦行進曲を合唱、その途中で特別参加の鴋沢様の独唱も入り大いに盛り上がった。
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 予定の3時半に盛会のうちにお開きになった。
 参加者は次の26名であった。
  相澤善三郎、旭  輝雄、足立 英夫、伊藤 正敬、上野 三郎、
  大槻 敏直、小林  勝、左近允尚敏、新庄  浩、高松 道雄、
  都竹 卓郎、平川  進、松下 太郎、山下  誠、山田  穣、
  若松 禄郎、金枝 健三、齋藤 義衛、野崎 貞雄、村山  隆、
  室井  正、窪添 龍輝、高田 俊彦、深尾 秀文、藤瀬 韶国、
  鴋沢  孝(野崎友人特別参加)
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# by naniwa-navy | 2011-11-15 20:45 | 報告
日記 11月15日
11月15日
 戦没者、戦後物故者ともになし。

 68年前の昭和18年11月15日、海上勤務の我々は、実習艦 山城、伊勢、八雲、龍田における一期候補生の実習を終えて退艦、拝謁の為東京に向った。

先日逝去された故西島安則海軍機関学校同窓会会長の追悼同窓会が平成23年11月13日12:00より、「アサヒスーパードライ有楽町」で開催され、機53期から村山 隆君が参加した。(機55期HPから)

 74期訃報
  安藤  伸 様(1学年15分隊) H23.10.24逝去
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# by naniwa-navy | 2011-11-15 06:11 | 日記
日記 11月14日
11月14日
 戦没者 なし

 戦後物故者
  吉田 義彦 平成2年11月14日 逝去
  三好 文彦の「吉田 義彦君を偲んで」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-yosidayosihiko-miyosi1.html

  大坪 久幸の「吉田 義彦君逝く」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-yosidayosihiko-ootubo1.html

  坂元 拓運 平成21年11月14日 逝去

 明日は待望の東京クラス会である。計画は次の通り。
1 日   時:23年11月15日(火)13:00~15:30   
2 開催 場所:アルカディア市ヶ谷 7F琴平
3 会   費:6.500円(通信費、雑費500円含む)       
4 参加予定者:28名
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# by naniwa-navy | 2011-11-14 04:51 | 日記
日記 11月13日
11月13日
 戦没者 67年前 昭和19年 
  牧 太郎(201空 戦闘機)
  神風特別攻撃隊正行隊としてマニラ東方海面敵艦に突入戦死(零戦)

 戦後物故者
  鬼山 隆三 昭和55年11月13日 逝去
  三好 文彦の「追悼 鬼山隆三君」の記事 ↓ がある。
 http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-oniyamaryuuzou-miyosi1.html

  中川 好成 平成22年11月13日 逝去

 23年9月、10月のブログを整理してHPに取り込んだ。
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# by naniwa-navy | 2011-11-13 06:22 | 日記
日記 11月12日
11月12日
 戦没者 67年前 昭和19年 
 達川猪和夫(戦402 戦蘭機)
 神風特別攻撃隊時宗隊として比島タクロバンで敵艦に突入戦死(零戦)

 泉 五郎の「達川猪和夫海軍少佐」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-tatukawa-izumi1.html

 宝来 久道様の「海軍少佐 達川猪和夫」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-tatukawa-hourai.html

 戦後物故者
 吉峰  徹 平成17年11月12日逝去
名村 英俊の「吉峰 徹君を偲んで」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-yosimine-namura1.html
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# by naniwa-navy | 2011-11-12 05:32 | 日記
日記 11月11日
11月11日
 戦没者 67年前 昭和19年 
 恵美 純吉(若月 駆逐艦)・坂巻 和一(島風 駆逐艦)
 第3次多号作戦のためマニラ発オルモック着、揚陸作業中、敵機約150機の攻撃を受け沈没して戦死

 木村  湜(254空 戦闘機) 比島オルモックで航空戦に参加、敵機と交戦戦死(零戦)
 弟 木村 靖様の「桂さんが亡兄の墓参り」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-kimura-katura.html

 戦後物故者
 田中 宏謹 平成7年11月11日 逝去
 インディアナポリスを雷撃した伊号第58潜水艦航海長として活躍した。
 インディアナポリスは1945年7月26日にテニアンに原子爆弾を運んだ後、7月30日伊58潜の雷撃により沈没した。

 山田 穣の「田中 宏謨君への弔辞」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-tanaka-yamada1.html

名村 英俊の「追想・故田中 宏謨君」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-tanaka-namura1.html

 先日から取りかかっていたHPのニュース目次のチェックが終りました。
 ニュースの記事は成るべく取り込んでいますが、すべてではありません。ただし、項目名だけは全部取りこんであるつもりです。
 とても便利ですので、古い記事を捜すのに活用して下さい。
 例えば『田中宏謨 名村英俊』と打ち込めば「追想・故田中 宏謨君」の記事の頁が出て来ます。
 また、 『木村湜  桂理平』と打ち込めばそ「桂さんが亡兄の墓参り」の記事の頁が出て来ます。

 この作業中次の記事に気がついた。
『十八年十ケ月の生涯・有村信義君  押本 直正
今年二月二十日、お姉さんの大石フミさんの御案内で日田市丸ノ内町大超寺にある有村信義君の墓参をした。有村君は大正十四年三月三十一日生れ、入校資格限度ぎりぎりのクラス最年少者、したがって昭和十九年二月二十七日、トラック島で巡洋艦香取乗組みとして戦死した時は、まだ十八歳と十ケ月余に過ぎなかった。数え年でやっと二十。』
 若くして国に殉じた有村君の冥福を祈る。
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# by naniwa-navy | 2011-11-11 06:41 | 日記
日記 11月10日
11月10日
 戦没者無し。

 戦後物故者
  三笠 清治 平成17年 11月10日
  椎原 国康の「三 笠清治兄の葬儀に参列して」の記事 ↓ がある。

 泉 五郎君 から電話があって、戦没者の戦死率について照会があった。
そこで、調べてみたら全体の戦没率はあるが、期間で割ったのが無かったので、新たに作成した。
 これは戦没者の数を卒業生総数で割ったものをさらに卒業後終戦までの太平洋戦争期間(月数)で割ったもので、それによると、1か月あたり、一番多いのは、経理34期の2.48人、次いで兵73期の1.91人、機54期の1.79人と続き、そのあと、兵72期の1.53人、機53機の1.47人と続いている。
 72期は、卒業後1年間の戦没者は42名で、終戦後の戦没8名を除き大部分は終戦前1年間に戦没している。

細部はHPの海軍三校入試状況及び戦没情況調べ
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/nyuusioyobisenbotujyoukyou1.html
を見て下さい。

兵74期訃報
 岩崎 孝志 様(1学年8分隊) H23. 8.13逝去

機55期訃報
 飛塚 敬一 様 H23.10.31逝去
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# by naniwa-navy | 2011-11-10 04:56 | 日記
日記 11月9日
11月9日
 戦没者、戦後物故者ともになし。

 左近允尚敏君から懐かしい昭和46年10月の呉における会の写真を送ってもらいました。
 皆若々しいですね。でもそのうち12名が鬼籍に入り寂しいことです。
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左から(赤字は物故者)
後列 、伊集院、左近允、木庭、藤井、長山
中列 佐藤秀一、岩元、槇原、伊藤正敬、平川、阿久根
前列 田上、松元、宮田、角田、磯山、飯田
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# by naniwa-navy | 2011-11-08 21:37 | 日記
日記11月8日
11月8日
 戦没者 67年前 昭和19年 
  大杉 保夫(鷺 水雷艇)
   ルソン島西方海面で対潜掃討中、敵潜の雷撃を受け、沈没して戦死。

 戦後物故者なし

 先日からHPのニュース目次をチェックし、所要の修正を行っている。1号から60号まで修正した。
その途中で、兵学校の分隊監事は取り込んであったが、機関学校の分隊監事が取り込んでなかったので、取り込んだ。
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# by naniwa-navy | 2011-11-08 05:31 | 日記
日記 11月7日
11月 7日
 戦没者 67年前 昭和19年 
  長尾 利男( 302空 艦爆操)
  彗星空輸のため、霞浦から厚木に向かう途中、箱根山中に墜落して殉職 

  戦後物故者
  高井  実  平成16年11月7日 逝去
  東條 重道の「高井 實君の逝去を悼む」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-takai-toujyou1.html

 前にもメールを頂いた長波会の岩永さんから下記の写真入りメールを頂いた。
『本日、京都霊山護国神社で行われた長波慰霊祭に行ってきました。
 あいにくの雨でしたが、私の長女と長波生存者、初田兵曹(平成五年没)のご子息と三名で何とか無事玉串を捧げてきました。
つまらない写真ですが慰霊碑の前で撮った私と長女の写真を添付します。』
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# by naniwa-navy | 2011-11-07 05:46 | 日記
日記 11月6日
11月6日
 戦没者 67年前 昭和19年 
  池田 仲光(戦316 戦闘機)
  B29迎撃のため上空哨戒中館山西方に不時着後戦病死(零戦)

  畠中 重信(偵12 偵察)
   マニラ東方洋上比島沖索敵中、消息を絶った。(彗星)

 戦後物故者なし

 74期訃報
  佐藤 正己 様(1学年22分隊) H23.10.14逝去

  昭和9年から13年までの海軍兵学校の歴史に関する資料が手に入ったのでHPの資料の海軍兵学校の歴史を訂正した。
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# by naniwa-navy | 2011-11-06 05:57 | 日記
日記 11月5日
11月5日
  戦没者 67年前 昭和19年 
  武井 敏薦 ・冨井 宗忠(那智  巡洋艦)
  マニラ湾で敵大編隊の爆撃を受け交戦、沈没戦死

  「冨井宗忠の遺した品々」という記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-tomii-hensyuubu1.html

  近藤圭太郎 (戦303 戦闘機)
  航空撃滅戦中、バムバム飛行場上空で交戦戦死(零戦)

  近藤 政恵様の「長兄圭太郎を想う」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-kondoukeitarou-imouto.html

 戦後物故者
  吉田  博 平成8年11月5日逝去
  高田 俊彦の「吉田 博君の死を悼む」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-yosida-takada1.html
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# by naniwa-navy | 2011-11-05 06:04 | 日記
日記 11月4日
11月4日
 戦没者・戦後物故者共になし

 74期訃報
  丸山  攝 様(1学年27分隊) H23.11. 2逝去
  坂井 法男 様(1学年19分隊) H23.11. 3逝去
 
 機55期訃報
  川島  亮 様 H23.10.29逝去
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# by naniwa-navy | 2011-11-04 04:48 | 日記
日記 11月3日
11月3日
 戦没者 67年前 昭和19年 
  猪口 智(戦165 戦闘機)
  比島タクロバンの敵飛行場を奇襲、反撃を受け戦死(零戦)
  妹 星野 道子様の「追悼の辞」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-inoguti-hosino-tuitou.html

 戦後物故者
  大楽 峻 昭和63年11月3日 逝去
  伴 正一の弔  辞「大楽峻君の死を悼む」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-dairaku-ban1.html

  山之内素明の「大楽 峻君のこと」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-dairaku-yamanouti1.html
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# by naniwa-navy | 2011-11-03 05:37 | 日記
日記 11月2日 大村航空隊
11月2日
 戦没者
 67年前 昭和19年
  依田 興二( 戦313 戦闘機)・桜井 長(戦407 戦闘機)
  比島オルモックで船団直衛中、敵機と交戦戦死(零戦)

 戦後物故者
  西川 賢二 平成11年11月2日 逝去

  丸橋恵美子様(娘)の「父 西川賢二」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-nisikawa-maruhasi1.html

  小河美津彦の「西川 賢二君を偲ぶ」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-nisikawakennji-ogawa1.html

  間中 十二 平成21年11月2日 逝去

 海上自衛隊 第22航空群司令(長崎 大村航空基地)の渡邊様から次のメールをいただきました。
 『我々が勤務しております大村には、先の大戦中は、海軍大村航空基地及び第21海軍航空工廠がありました。
 航空廠については、当時、学徒動員等で勤務されていた方々による奉賛会により、空襲による犠牲者を追悼する慰霊塔も市内に建てられ、毎年、追悼式が実施されております。 これには、当基地としても儀仗隊、ラッパ隊等を派遣し、支援を行っておりますが、一方、海軍航空隊に関しては、少なくとも、大村では顕彰追悼がなされていないと認識しております。
 大正11年開隊以来、数多の搭乗員の方々がこの大村基地から飛び立ち、多くの方が大陸で、また本土防空で、そして特別攻撃隊として散華され、あるいは訓練中の事故で殉職された歴史を想う時、同じ地で現在、航空部隊として飛んでいる我々にとって、海軍航空隊の追悼をしていくべきではないかとの思いを募らせております。
 現在の当基地内には、昭和41年に建立された「殉空」の碑があり、裏には、当時の海上自衛隊 大村航空隊司令 伊藤孝太郎1等海佐(兵64期出身)の書により、「UF殉難の日に当たり、大村海軍航空隊の英霊とともに合祀してこの碑を建立する」とされています。
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(注:「UF」:昭和40年、海自大村航空隊所属機として、初めての事故により搭乗員が殉職した「UF-2」飛行艇)
 碑建立の趣旨からすれば、基地内にあるこの碑の前で追悼を実施させていただくのが適当であり、海軍大村航空隊が開隊した大正11年12月1日にちなんで、本年12月1日に「訓育」の一環として、海軍大村航空基地の歴史を顕彰するとともに、基地としては初めてとなりますが、所属隊員で、「殉空」の碑の前で、ささやかながら追悼式を実施したいと考えています。
c0130833_525141.jpg

 一方、長崎ご在住で、海上自衛隊での講演もお願いしている、なにわ会会員池田武邦様に「なにわ会」のお話も伺ったことがあり、貴会のWebsiteで、さまざまな戦記等を読ませていただく中で、昭和19~20年に大村の352空で勤務されていた、広島出身の岡本俊章氏が現在もお元気でいらっしゃるのではということに気がつきました。
c0130833_5255133.jpg

12月1日に計画しております追悼行事は、あくまでも自主的に実施するものではありますが、もし、岡本氏においでいただけるのならば、参加していただき、また、お話を伺う機会をいただけないかと思いまして、可能であれば、ご連絡先を教えていただきたく、失礼とは存知つつ、「なにわ会」Websiteの「管理人」にありました伊藤様のアドレス充てにメールを差し上げた次第です。
 なお、池田様も、もし大村基地で追悼行事を実施するのであれば、大村の部隊配属だった同期も多く亡くなったので、参加させてもらいたいとのことでした。突然のお願いで申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。』
上記メールを頂いたので、此のメールを岡本君に転送し、本人の了解を得て彼の住所、電話等を知らせた。
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# by naniwa-navy | 2011-11-02 05:26 | 日記
日記 11月1日
11月1日
 あの猛暑もつい先日の様な気がするが、もう11月になった。
 さて、67年前の10月、25日のレイテ沖海戦の日には何と1日で22名(なにわ会全員の2.7%)の戦死者を出し、10月一ケ月で68名(同じく8.6%)が戦没していた。この68名中、38名が航空関係者で艦艇、潜水艦関係30名より多くなった。そして、11月に入ると、この月の戦没者は40名で、その内訳は艦艇9名、潜水艦2名、回天2名、航空27名となっており、航空関係の戦没者が随分多くなってきた。

 戦没者 67年前 昭和19年 
 長尾栄二郎( 攻3 艦爆操)
 比島レイテ方面航空戦で戦死

 小林  博(攻405 偵察)
 比島タクロバンの敵部隊攻撃中戦死(銀河)

 戦後物故者無し

 他のクラスの訃報(水交詞より)
  兵70期 常井成一郎 様 H23. 3.13逝去
  兵74期 畠山   武 様 H23. 9.12逝去
  兵7Ⅰ期 速水 経康 様 H23. 7.11逝去
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# by naniwa-navy | 2011-11-01 05:41 | 日記
訃報 畑 種治郎君
訃  報
 氏名 畑 種治郎 君(兵科)(名簿26頁)
 平成23年10月05日(水)大腸がんから腎臓に転移して逝去
(娘さんから阿久根正君に電話、阿久根君からの電話で知った。)
 葬儀は家族葬で済んでいる。
喪主    妻 畑 幾子様
備考 1学年同分隊 大槻 敏直 塩見 頴一  
2学年同分隊 門松 安彦  後藤 俊夫
3学年同分隊 宝納 徳一  松下 太郎
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# by naniwa-navy | 2011-10-31 10:47 | 訃報
日記 10月31日
10月31日
 戦没者
  67年前の昭和19年
  羽原  寛(伊364 潜水艦)
  ウエーク島への緊急作戦輸送のため19.9.14横須賀出撃以後消息を絶つ(戦死認定)
(房総半島東方250浬で米潜シ―デェビットの雷撃により19.9.15沈没:米軍資料)

  出雲 凡夫(801空 大艇操)
  本邦南方洋上哨戒のため発進、300浬地点進出報告後消息を絶つ(二式大艇) 

  東浦登代治(大湊空 偵察)
  索敵の為基地発進後、台湾沖で消息を絶つ

 戦後物故者なし
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# by naniwa-navy | 2011-10-31 05:21 | 日記
日記 10月30日
10月30日
 戦没者なし

 戦後物故者
  斎藤 五郎1972年10月30日逝去
  大岡要四郎の「斎藤五郎君の死を悼む」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-saitou-oooka1.html

  山田 穣の「斎藤 五郎君の死を悼む」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-saitougorou-yamada1.html

 なにわ会のHPを立ち上げたのが2004年11月、それからから7年目、閲覧者数が今月29日1800で200,124となり20万を超えた。1日平均の閲覧数は平均76件であった。
 他のクラスのHPの閲覧数は同じ29日現在で次の通りである。
 兵7Ⅰ期 45,555  兵73期 51,397  兵74 22,290
 機55期 15,004  経36期 34,525
 その他のクラスの訪問数はHPでは分らない。

 そして、今までに取り込んだ数は1500件を超えている。
 これは殆どなにわ会ニュースの記事であり、貴重な戦時記録である。現在までも、クラス以外の方が良くご覧頂いているようで、問い合わせのメールを多数頂いている。今後も貴重な資料として活用されるものと期待している。
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# by naniwa-navy | 2011-10-30 06:25 | 日記
日記 10月29日
10月29日
 戦没者
  67年前 昭和19年
  藤井 弘元(那智 巡洋艦)
  マニラ湾で敵大編隊の攻撃を受け被弾戦死

  風見 芳郎(254空 戦闘機)
  比島クラーク アンへレス南飛行場付近で敵機を迎撃交戦戦死(零戦)

  安保 寿夫(戦315 戦闘機)比島タクロバン攻撃中戦死(零戦)

 戦後物故者なし

 昨日泉君から広瀬晴雄さんの手紙の写を送ってもらった。その中のあった随筆である。
  随筆
『百舌が枯れ木で鳴いている』
 先日のNHK深夜放送で、戦中、或る小学校の国語時間の冒頭、教壇に直立不動の姿勢をとり涙ながらにこの歌を歌った先生の思い出を語る人があった。
 作詞家はあの容貌魁偉のサトウハチローである。彼は有名な小説家佐藤紅緑の長男だ。紅緑は大正生まれのロートルには懐かしい少年倶楽部に連載の「あヽ玉杯に花うけて」の著者だった。美男子の紅緑にどうしてこんなデブの容貌が生まれたのか、何時も不思議だったのであるが話を戻そう。
  『枯れ木に百舌が鳴いている。・・・
  みんな去年と 同じだよ
  けれども足んねえ ものがある
  兄さの薪割る 音がねえ・・・
  兄さは満州に いっただよ
  鉄砲が涙で 光っただ
  もずよ寒いと 鳴くがよい
  兄さはもっと 寒いだろ』
 作曲は当時中学校教師の徳冨繁だ。当時は良く歌われたものと言うが私は聞いたことがないのでパソコンで聞いてみた。静かに胸を打つ良い唄だ。現在これは「厭戦歌」と称されているらしい。しかし、当時の軍部が良く我慢して許していたのは、おそらくハチローの髭づらだが何処か無邪気さに溢れる人徳の賜物だと思うのである。  平成23年10月24日  広瀬 晴雄

 頂いたのは上の通りである。
 広瀬 晴雄様は昭和20年4月28日ウルシー上空で戦死した故広瀬遼太郎君の弟である。
 1925年、「少年倶楽部」の僕等の詩集欄に掲載された詩に、茨城の中学教師だった作曲者が曲を付け、生徒たちに教えた。当初は「百舌よ泣くな」という題であった。戦後うたごえ運動の中で取り上げられ、全国に広まった曲。♪~みんな去年と同じだよ けれども…。
 元は「百舌よ泣くな」の題で詩人サトウハチロー(1903-73)が1935(昭和10)年に発表し、茨城県の中学教師・徳富繁が作曲した歌。戦地で辛酸を嘗める兄を思う弟の心を歌う内容だが、出来た頃は中国侵略戦争が本格化。「愛国行進曲」がミリオンセラーなど好戦的な軍歌が一世を風塵し、この歌が歌われたのはもっぱら茨城県内にとどまった。
 戦後、急速に全国に広まる中で歌詞が変わってしまい、茨城県民謡とみなされた時期もあった。
ハチローは、民謡とされなければ広く親しまれている歌詞でいいよと語ったという。普及した詞との相違は以下の部分。
 ♪~百舌が枯木に泣いて… →枯れ木に百舌が鳴いて
 鉄砲が涙に…       →鉄砲が涙で
 百舌よ寒くも泣くでねえ… →もずよ寒いと 鳴くがよい
 寒いだぞ         →寒いだろ
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# by naniwa-navy | 2011-10-29 05:56 | 日記

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