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なにわ会のブログ

海軍兵学校72期海軍機関学校53期海軍経理学校33期
日記 12月14日 耄語録
泉五郎君から次の耄語録を頂いた。

この国の 戦中・戦後派 現代っ子  同じ面でも 異邦人
 先達て故広瀬遼太郎君の令弟晴雄氏から一冊の本を頂いた。神風特攻隊員が、あの世から今の日本に舞い戻つたという想定での風刺的小説である。戦死者から見れば、今の日本は正に異国であろう。
 我々にしても今の日本は到底いい国だとは思えない。確かに物質的には恵まれ過ぎるほど恵まれている。然しこんな国にして仕舞ったのは誰か?
 戦後左に振れ過ぎた振子を正常に戻すには容易なことではない。強盗殺人は日常茶飯事! 官僚、政治家は相変わらずの汚職怠慢。
女と紛う男ども、牡顔負けの雌共が幅をきかすテレビの画面。ドラマでは概ね男が女に張り飛ばされて悄然としている。
流石戦中派には少ないが、いい年をした大の大人が妙ちきりんな風体で能書き垂れる番組もある! 視聴率を上げる為なら相手が、低脳族であろうがミーハーであろうが一向に構わない、国家の風格などは糞喰らへ! 自由な日本合衆国万歳!

人の世は 川の流れに 似たるかな 老いは岸辺に 澱(よど)み漂う

 老境、世の流れに乗るのは中々難しい。これは自然のこととは思うが、そして老人はやがて岸辺の藻屑と朽ち果てる。 それにしても世の様の移り変わりはすざましい。 然し、老人は口だけ何とか達者でも新しい知識技術進歩には到底ついてゆけない。特に日進月歩どころか分進秒歩のインターネット社会には全くお手上げである。 ところがインターネット社会は地球の回転とは無関係な現象である。  かくて、人間は夜も昼もない別次元の世界に追いやられ、自らもそちらを向いて走り出す。  然し、春夏秋冬、朝昼晩と、地球のリズムで生かされた人間が、自らその生活のリズムを破壊するような文明に耽溺(たんでき)する様は人類自滅の前兆としか思えない。  そろそろ岸辺に澱(よど)み朽ち果てるほうが賢明か!

言霊の 幸ふ国と 謳(うた)われし 今は昔の カタカナジャパン
昨今日本の言葉の乱れは情けない。もっとも言葉などと云うものは生き物のようなもので、同じ日本でも時代や地方によって変遷相違があるのは致し方ない。 然し言葉には霊が宿ると信じ、美しい言葉を目指してきた我々には、最近の言葉の乱れは耐え難い。  特にマスコミの低俗番組に毒される言葉の乱れには耳を覆いたくなる。低俗番組だけではない。政治番組でも政策論争までが矢鱈とカタカナ言葉を使いたがる。
例えば「コンプライアンス」なんていう言葉を聞いて即座に理解できる国民がどれ程いるか?
「サブプライムローン」がどのようなローンなのか直ちに判る一般消費者がいるか?
など例を挙げ出せばキリがない。ただ即座に訳語が一般大衆に馴染まない言葉なら止むを得ない一面もある。 然し例えば今回の北京オリンピックでも「星野ジャパン」や「なでしこジャパン」など、ただ語呂合わせだけの表現は国名への冒涜である。 肝心な点はこのような言葉遣いが何の批判も受けずに国民の間に浸透してゆくことである。 悲しい哉!かくて日本人は母国語を喪失してゆくことになる。

戦没者 敬称なしの 霊とのみ 白木の柱 非礼祭
8月15日例年の如く全国戦没者追悼式が日本武道館で行われた。たまにはテレビを通じてでも追悼の意を捧げるかと思い画面に見入った。毎年の事ながら通り一遍な天皇の言葉には心底より迸(ほとばし)る何物かがない。 何よりも戦後派代表の衆議院議長河野洋平の式辞は、戦没者の慰霊と云うより戦争の非を唱え、相手国に詫びるのが主眼であるかの如き感さへ覚える。 そもそも祭壇中央白木の柱は立派だが、全国戦没者之霊とのみ記されて他に一切の敬称はない。これは一体どういうことか?!或は天皇の拝礼に配慮してわざと敬称を省略したのか? 慰霊祭などとは言語道断、これでは正に非礼祭である。遺族の心中や如何。(以上,20/9/1発信)

世界一 融通無碍な 日本語 縦横斜め 逆からも
昨今日本語の乱れは誠に嘆かわしい限りではあるが、考えてみると日本語ほど融通無碍な言葉も少ないのではなかろうか? 勿論言語学は愚か外国語もその昔、受験英語を少々勉強しただけの門外漢の感想であるから、学者先生から見ると何を下らぬ話しかと笑いものになるかも知れない。 日本語の面白いところは、文章を右から書いても左から書いても読める。もともと日本語は漢文同様縦書きで行は右から左の順である。 然し明治の開国以来、左から右への横書き欧文に接するや、忽ちカタカナを活用して左から右への語順で簡単に翻訳文を表現した。多少の抵抗はあるが、無理すりゃ縦書きでも読み書きできぬことはない。 仮に原稿用紙に斜め書きすれば、これは忽ち一通の簡易暗号文章になる!膨大な乱数表も不要で甚だ実戦的である。戦時中こんなアイディアはあつたのかナ?

靖国に そっぽを向いても 総理様 漁師が死ねば 家まで参る
福田総理が遂に退陣した。そもそも、彼に一国の首相としての器量があつたかどうか甚だ疑問である。その腰抜けぶりは流石、日本赤軍の暴挙許した親父の跡取りである。万事が万事、事なかれ主義の番頭政治で、北朝鮮にも舐められぱなしである。 よくもこれで日本の総理が務まるものだと感心するが、目先の人気取りばかりは中々たいしたものである。 話は少々旧聞に属するが、先般東京湾口で自衛艦が漁船と衝突事故を起こしたとき対応には、防衛大臣に加え総理までが弔問に自宅まで訪れた。こんな国は世界中探しても見つからない。こんな男を頭領に頂かねばならない自衛隊員が誠に気の毒である。 自衛隊をよくよく疎ましく思っている彼の本心を垣間見た気分である。私には彼が戦後派日本人のチャンピオンに思える。

自衛艦 そこどけ邪魔だ 道空けろ 漁船ヨットが 目に入らぬか
話のついでにこの事件の直後、東京都知事の石原慎太郎までが「軍艦も漁船もレジャー用のヨットも航海上の権利は同等だ」と放言、自衛艦の対応を一方的に非難した。 東京湾口などはいわばインター近くで、最も交通量の錯綜するハイウェイのようなものである。陸上でも道路建設等のためは個人の権利より公的利害の優先される場合は多々ある。 漁業と海上交通との調整こそ必要で、これと一部富裕層のレジャーであるヨットの航行権を同列に論ずるなど言語道断の思い上がりである。 今回の事件、自衛艦の見張り怠慢が最大の原因であろうことは疑う余地もなさそうであるが、それにしても漁船が真っ二つになるとはよくよくの事である。海難審判の真相究明を待ちたい。(以上 20/9/7発信)

何が国技か 無頼の相撲 所詮はどっこい 金儲け 
相撲界の荒廃は目を覆うばかりである。伝統とそれに伴う国民の甘やかしが国技としての相撲界に、独善的な驕りと自惚れを助長してきたことには疑いの余地がない。 相撲界は今や完全に時代遅れの社会である。元々は神事に一環としての行事が、興行性を帯びるにつれ次第に営利化してゆくのも時代の流れであつたろう。その挙句が外人力士の登場と相成った。そもそも体格や生活習慣、社会意識の違う外人まで登場させること自体が国技からの逸脱である。
逸脱というのに語弊があるなら、相撲界が自ら国技から脱皮して国際化という変革への第一歩を踏み出したのである。 国際化を容認するなら、財団法人日本相撲協会は個人商店のような相撲部屋の寄り合い所帯では、所詮自滅の道を辿るしかないのである。何れ大相撲にスポンサー企業の四股名をつけた力士の登場と相成る日も遠くないかもしれない。相撲部屋も個人的タニマチから企業スポンサーへ鞍替えし、総てを明朗管理しなければ大相撲に未来はない。
ことのついでに柔道も、今や道着を着たレスリングになりさがつた。我々には見たくないJyuudouである。(20/9/10 発信)

 人間は 言葉でものを 考える 言葉乱れりゃ 国も危うし
最近の言葉の乱れはいみじくも会誌99号で椎野廣君の「日本のマジョティは大丈夫か?」 の一文で軽妙にして実に見事に喝破されている。全く同感!今や日本語は正に崩壊の寸前である。  言葉の乱れは即ち思考の乱れ、この問題を追及解明してゆくことは我々浅学の徒に成し得ることではない。然し、最近の日本語の乱れは正に日本文化崩落の兆しである。  戦後の漢字制限がその尖兵となった。確かに言えることは、漢字は種類も多いし字画も甚だ複雑である。然し文字自体は表意的な形態のため、見慣れれば複雑なものでも楷書ならば識別は容易である。 然し、その反面筆記するには中々手間がかかる。そこで行書、草書と変化簡略化されると今度は本来の形とはまるで違う印象のものもあり、これは相当難儀な代物となってよほど研鑽を積まないと読み書きできない。楷書は書きづらい、行書草書は読みづらい、漢字が敬遠される最大の原因であろう。 明治維新、30字そこそこで文章表現が可能な欧米文化に驚いた日本では、英語を公用語にと云う議論さへあつたという。 そして今次大戦惨敗の結果、漢字軽視は天下御免の風潮となつた。自らの固有文化を軽視して漢字使用に制限を課す一方では、カタカナ言葉の乱用はお構いなし。立法行政自身が矢鱈と外来語を導入、マスコミがこれを国民に啓発するどころか、逆に己の優越性を誇示するかの如く外来語を乱用する。例えば政権公約とか政策綱領といえばよいものを我が党の「マニフェスト」とのたまう。新聞は家庭内暴力と書けばよいものを「ドメスチックヴァイオレンス」と言い換えて得意げに報道する? 漢字と訳のわからぬカタカナの羅列とどちらが速読し易いか?  しかも、今やコンピューター時代、文字数の少ない英文などに比べれば、多少時間はかかるかも知れないが、複雑な文字候補でも識別さへ出来れば記録するのに訳もへちまもない。 電子技術の発達が今や漢字復権の時代を生んだといえよう。  若い世代の国民は漢字に愛着など持つていない!などと決め付けるのはとんでもない誤りである。最近の新生児に対する命名傾向を見てみるがよい。強く、美しく、爽やかな語感を持つ文字が流行っている。残念なことは文法を無視して矢鱈と勝手な読み方をする輩の多いことである。  かと思へば 自らを「さいたま」などと名乗る痴呆都市がある。そこにあるものは、伝統や歴史を無視した目先の安直さだけである。真似するところが出て来ない内に、ギネスに国辱的痴呆都市名第一号として登録申請をしては如何かナ!(20/9/18)

生と 生徒はただの 友達か 師も師と言えず 親も親なり
 最近の教育界の乱れは「何とも情けない!」の一言に尽きる。考えてみるとこれは何も最近だけでなく、敗戦後一貫して日本の教育は混迷を続けている。その尖兵として社会を毒してきた日狂組もさることながら、己の子供のことしか考えない親もオヤである。 特に小中学生のくらいの子供を持つ親は、親自身が若く、社会人として未熟なせいもあってか甚だ身勝手な人間も多い。 誇張や虚構も多いかもしれないがテレビ画面に映し出される教育現場の光景は我々老人には眼を覆いたくなるばかりである。「三尺下がつて師の影を踏まず」なんていう言葉は勿論、昔話としても通用しないようなご時勢ではあるが、師も師で大学教授が猥褻(わいせつ)行為で首になつたりもする! 教師になるには袖の下が罷り通る。開いた口がふさがらぬ。  些か大昔のことで恐縮だが、嘘のような本当の話をご披露しよう。次男が中学進学の際、学区が新設校に変更になった。当然昔の伝統校への進学を期待していた地区の父兄は拒否反応を起こし、新設中学の船出は大変だった。 初会合で「PTA」などは、「おばはん連中の井戸端会議のようなもんじゃ」とのたまつて、おばはん方から総スカンを喰らつた私だが、どういう訳かその私が初代会長ということに相成った。  後に校長が転勤となり学校での送別会のあと、校長見送りに際しPTA役員も車に添乗して新任校まで付添うのが慣例であるときた。  私は勿論言下に拒否した。幼稚園の子供じゃあるまいし何処の世界に大の男が新しい転勤先まで添って貰うところがあるか?! 海軍じゃ艦長が転勤で戦地に赴くときでも、舷側「帽振れ!」でおしまいが、この体たらく!  やがて、三年の年季奉公がやっと終わつたら「PTA会長のご真影」を学校に飾りますときた。勿論、言下に拒否! 呆れ果てて腹を立てる気にもならなかつたが、こんな昔話は序の口で、今やわが国教育界の惨状には言うべき言葉がない!(20/9/22)

 情けなや 明けても暮れても 人殺し 親も子殺し 子も親殺し
正に世も末である。毎日殺人事件が報道されない日はない。明けても暮れても凶悪事件ばかり!それでも発生率はアイルランドと並んで世界では最も少ない方らしい。  因みに昔は、殺人事件などはどれ程あつたのか?新聞などでもそんなに騒がれた記憶はないが、念のためインターネットで調べて驚いた! といつても戦前の正確な統計は検出できなかつたが戦後も60年以上、殺人件数は現在と大差はないようである。貧困、差別、病気など、昔も今も動機に大差はなかったのか?  これには大変なショックを受けた。正直、耄語録などと気取って現代社会の非ばかり鳴らしていたが、我ながら嫌気がさして暫く筆をとる気もしなくなつた。 そんな時、伊藤編集長からブログの原稿が少ないので投稿しろとの催促があつた。
以下の拙稿は、少々発表のタイミングがずれたので中身は省略して表題のみ。もつとも中身は書かなくてもわかる程度のことばかり、ご同感をえられれば幸甚。

 マスコミは 巨報か虚報か 木鐸(たく)か 金だけ目当ての 馬鹿番組
NHK 海自の現状 糞味噌に これじゃやる気も起こらんぞな!もし
何とかならぬか 三里塚 年ふり行けば 義憤も私憤 
日狂組 これ非難して 何故悪い 社会の黴菌 日本の恥辱 
空爆長 紙の爆弾 一発で 腑抜け腰抜け どうした先生? 
   (20/12/14)

 人間は万物の霊長などと自惚れているが人間と動物の違いは、自らの手で火を操ることが出来るか否かにかかつている。 そしてその火力を動力に、更には電力に転換して宇宙の神秘、生命やエネルギーの根源に迫ろうとしている。 詳しい理論は理解しかねるが、人間は遂に冷凍マウスの死骸から脳細胞核をとりだし、これを母体マウスの胎内に移植して、新たな生命体四匹のクローンマウスに再生復活させることに成功したようである。 これは果たして科学の進歩なのか、破滅への第一歩なのか?クローン人間の誕生は人類に何を齎すか?私には判らない!人間が何故そこまでやらねばならぬのか?進歩すればするほど自滅の淵へ突き進むかに思える、この近代文明の愚かさ恐ろしさが身に沁みる。人間は万物の霊長などと自惚れているが、人間ほど傲慢な生き物は他の星にもいるのだろうか?
 中国にはその昔、天が墜ちてきたらどうしようと憂いた杞の国の人を馬鹿にして、杞憂という言葉がある。然し杞憂は形を変えてやがて現実のものとなる日も近い。
by naniwa-navy | 2008-12-14 20:38 | 日記
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