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なにわ会のブログ

海軍兵学校72期海軍機関学校53期海軍経理学校33期
日記 2月17日 74期談話室
74期談話室にあった記事の要約です。

『「昭和20年2月16日 ・・・ この日は、早朝から ”警戒警報” が発せられ、「飛行生徒」だった吾々は、朝食後、訓練に向かうこと無く、飛行服姿でバスに分乗し、霞が浦の湖岸に掘られた「防空壕」に終日 身を潜めた。同じ事は、3日間続いた様に記憶して居る。此の時、本州中東部の太平洋岸一帯は、米海軍の空母10数隻から成る大機動部隊の空襲を受けたので有り、前記の如き保護を受けた吾々は、無事この難を遣り過ごしたが、我が戦力の受けた被害は多大であった。その一端は、手許に有る「日本海軍 戦闘機搭乗員名簿」からも察せられる。
( この間に戦死された 72期の先輩は、2/16 秋山武男(筑波空)、池田秀親(同)、岸雪雄(同)、斎藤敏郎(同)、福島俊一(同)、立川鶴雄(谷田部空)、村田善則(同)、2/17 赤井賢行(302空) 以上 8名にも及んで居り、感慨無量である。
 実は、是に先だって、2月の初め頃だったでしょうか、夜の自習室に突然、第3種軍装に身を固めた士官が訪ねて来られた事があった。 ”小宮山は此処に居たか” と入って来られたのは、15分隊の一号だった 斉藤 敏郎さんでした。 斉藤さんは、筑波の戦闘機の教官をして居られるのだが、戦況が切迫して来たので、練習航空隊の教官も邀撃に当たる事となり、その為の戦闘機を霞空に隣接する「第一航空廠」へ受領しに来たが、貴様らが 此処に来て居ると聞いて訪ねて見た。しっかり やれ と励まされ、見送った。 何時までも 忘れられず、ひたすら 合掌するばかりある。」  

松本春久氏のコメント
「昭和20年2月16日(金)は小生も忘れ得ぬ日です。この日、霞ヶ浦湖畔の防空壕で 関大尉の「神風特攻開始」を初めて聞き、そして矢田部空から邀撃に飛び上がった 母校・麻植中学の先輩:立川鶴雄大尉(49分隊伍長) 私に「兵学校受験」を勧めてくれた恩人で、5日前の紀元節に、矢田部空へ彼を訪ねて 励まされたばかでした)の命日です。凛々しかった面影を偲び、ご冥福を祈ります。」 

森本伊三男氏のコメント
「池田秀親先輩、11分隊の1号生徒。短艇係。岡山一中。物静かな方で諄々と諭すような話しぶりが、今でも強く印象に残っています。ポンドでの3号の垢汲みを、帽子を目深にじっと眺めておられました。お懐かしい名前を見出して感無量です。」』

以上が書き込み及びコメントですが、20年2月16日には72期の航空要員10名が戦死、17日には3名が戦死しています。戦死した者が一番多かった日は19年10月25日で19名が戦死しているが、航空要員は2名だけであった。航空要員の一番多数が戦死した日が2月16日であった。
by naniwa-navy | 2009-02-17 21:15 | 日記
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