なにわ会のブログ

海軍兵学校72期海軍機関学校53期海軍経理学校33期
故河合不死男君の最後
故河合不死男君が戦死したとき乗艦していた18号輸送艦の最後が琉球新報に次のように報ぜられた。
「人間魚雷・回天の隊員ら352人を乗せた旧日本海軍の第18号輸送艦が、1945年に米潜水艦に撃沈され全滅していた史実が明らかになった。元回天隊員らが、米海軍の資料「第二次大戦潜水艦作戦史」などから突き止めた。同艦はこれまで、那覇到着前に「行方不明」、その後「喪失認定」というのが国の資料に基づく史実だった。米海軍の資料によると、輸送艦は1945年3月13日に、回天隊員らを乗せ山口県・光基地を出港。那覇到着前の3月18日、米潜水艦・スプリンガーから1時間にわたり魚雷8発の攻撃を受け、粟国島沖合北北西5キロで輸送艦乗員225人と回天隊員127人が全滅したとされている。
遺族の中には国の戸籍原本の訂正につなげた人もいる。回天搭乗員だった兄猪熊房蔵さん=当時(18歳)=の弟得郎さん(80)=横須賀市=は、県内にあったとされる回天基地の所在を探すなど戦後64年を経た今も兄の痕跡を追い続ける。第18号輸送艦の軌跡を調査したのは、元回天隊員らでつくる全国回天会会長を務めた故小灘利春さんと同会事務局長を務めた河崎春美さん=東京都江東区=ら。米海軍の記録「第二次大戦潜水艦作戦史」などの資料から突き止めた。河崎さんらは戦後、輸送艦乗員らの戦死の日や場所などが戸籍原本などでまちまちなことに疑問を抱き、調査に着手した。「第18号輸送艦の搭乗者は、国の記録では死亡日が違っていたり、沖縄本島の陸上戦に参加して戦死したりと、でたらめだった」と話す。米資料によると、第18号輸送艦は45年3月13日に、回天白龍隊員らを乗せ山口県にあった光基地を出港。那覇到着前に米潜水艦・スプリンガーから魚雷8発、1時間の攻撃を受け、大槻勝艦長ら乗員225人と、第1回天隊の白龍隊127人が全滅したとされている。搭乗員名簿は作成されているが、回天隊員127人は、14人の氏名などが判明している以外は不明のままだ。
 猪熊得郎さんの兄房蔵さんは、26年3月生まれ。44年8月に回天特攻隊に志願、白龍隊搭乗員として、沖縄に赴く途次で死去した。だが、戦後の厚生省(当時)の記録(公報)や戸籍原本では「荘河丸」で鹿児島を出発し東シナで死亡したと記録されていた。 「東シナ海はあるが、東シナなんて場所はない」。得郎さんは、小灘さんや河崎さんらの史実の調査も踏まえ、国に戸籍原本の記録訂正を要求し、2000年3月に実現した。
 
次の写真は回天白龍隊隊長・故河合不死男君の遺品(アルバム)の中に有ったもので、ウィキペディアに掲載されている。
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前列左より久住中尉(72期)、加賀谷大尉(71期)、三谷大尉(71期)、橋口中尉(72期)。後列左より河合中尉(72期)、帖佐大尉(71期)、福島中尉(72期)、山地大尉(70期)、小灘中尉(72期)
このうち橋口中尉は自決、三谷大尉・帖佐大尉・小灘中尉の3名は終戦時生存(戦後いずれも病死)、其の他は回天で戦死されている。
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by naniwa-navy | 2009-07-02 17:51 | 情報
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