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なにわ会のブログ

海軍兵学校72期海軍機関学校53期海軍経理学校33期
日記 8月4日 海兵56期の手記
左近允尚敏君から「56期の手記、興味深く読みました。・・・・」とメール戴きました。このようにメールでも戴くとHP担当者として嬉しく感じます。

都竹卓郎君で検索したら大和ガンルーム会の記事 
http://mytown.asahi.com/hiroshima/news.php?k_id=35000130904100001
が出てきました。
日記 8月4日 海兵56期の手記_c0130833_21103384.jpg

「大和ガンルーム会」というのがある。戦艦大和の第一士官次室(ガンルーム)にいた元士官たちの懇親会だ。旧呉海軍工廠(こう・しょう)で同艦が完成した日(41年12月16日)に合わせ、85年12月に初めて東京で集まった。会合は毎年続くが、当初20人以上参加していた仲間も高齢化で半減した。
 世話役の一人、元日大教授の都竹(つ・づく)卓郎さん(86)=東京都練馬区=は旧海軍兵学校の72期生で、44(昭和19)年4月から45年2月まで大和の通信士として乗艦。中尉だった44年11月から約3カ月間、ガンルーム室長(ケップガン)を務めた。その次の室長が、兵学校の1期上の臼渕磐大尉だった。
 大尉以上は若手士官が集まるガンルームではなく、別の公室を使う。だが、臼渕大尉は当時21歳と若く、教育係としてケップガンに指名されたらしい。都竹さんは「海軍士官になるために生まれてきたような人だった。さわやかで男らしかった」といった。
 旧海軍出身者や海上自衛隊OBらでつくる水交会(本部・東京)が02年に発行した会誌「水交」に、吉田満著「戦艦大和ノ最期」に登場する沖縄特攻作戦をめぐる士官同士の論争について、当時のガンルームの元士官がこう記している。「(戦後、吉田さんは)このときに、死とその意義について激論したと書いているが、私の知る限りそんなことは全くなく、皆爽(さわ)やかで平素と全く変りなかった……絶え間なく戦闘を続けて来た経験に基づく自信、また一種開き直りの気持ちもあった。
by naniwa-navy | 2009-08-04 21:10 | 日記
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