なにわ会のブログ

海軍兵学校72期海軍機関学校53期海軍経理学校33期
思い出すまま
山之内素明君から
「何年目の候補生だ?」
大野 嘉秋君のこと
昭和18年11月軍艦愛宕に配乗となった少尉候補生兵5名機2名主2名計9名だった。
記憶が定かではないが、大野、小松崎、今井、福岡、前川 以上兵、大前、重森 以上機、主は 伴と山之内。
先日、なにわ会ブログで、兵56期の方々の戦記の中に、愛宕の最後の記事を読ませていただきました。その中に、大谷参謀とか宮本鷹雄参謀の御名を拝見し、愛宕の戦闘艦橋の風景を一瞬思い出しました。当時、大野君は航海士配置、小生も庶務主任配置で、「配置に着け」では、同じ艦橋に駆け上がって行きました。
トラック環礁の中だったか、リンガ泊地であったか、記憶にないが、「訓練配置に着け」で艦橋に上がると、いつもの通り 艦橋の右半分は2Fの司令部で栗田長官以下小柳参謀長、志岐先任参謀、はじめ、コサ、ホサ、キサ など略称プレートを帽子に着けた方々で一杯である。艦橋の左半分が愛宕の乗組員の動く場所だった。
艦隊の陣形運動が、旗旒信号で指示されると,艦側は、航海士が窓口になって、航海長に伝えられ、艦長に届く。その間に、海図台も覗き込む。庶務主任の戦闘配置は艦橋でも訓練となると、なにもすることがない。「航海士は多忙だなあ」と思って「訓練終わり」をまっていた。一段落ついて、長官も下に降りられて、艦橋も静かになったとき、参謀の一人が、「航海長 あの候補生は、何年目の候補生かね?」と。横田航海長もこの質問にはびっくりされたことであろう。我々はわずか6ケ月の候補生生活だったが、その昔、1年、1年半という候補生時代があったと聞くが、大野君の活躍ぶりは、その短い期間の中ででも、すごいベテラン候補生に匹敵するものがあったのであろう。
本人は、認められて多分に嬉しかったであろうが、一度も口にしなかったようだ。候補生では、同じ艦橋にいた私だけが、知っている話かもしれないと思って、素晴らしい候補生だった大野君の逸話を披露します。
候補生ではこんな思い出もあります。
愛宕の庶務主任のとき、執務中「オス、元気か」と大声で主計科事務室入ってくる人がいる。振り返ると、主計科の候補生である。クラスではない。よく御顔をみると、衣笠秀夫さんではないか。主33期の1号30期の衣笠さんである。4号と1号とが同じ候補生でいるとは、吃驚仰天である。海兵団勤務で健康を回復されての海上勤務となられたわけである。
「近所そこらの候補生と鍛え方が違うぞ」とのご託宣。  ごもっともごもっとも。1号と4号では。

もう一つ
昭和19年7月ごろ、呉鎮付のとき、軍艦盤手の任用進級事務処理を行う主計科士官がいないからと、乗組を命じられて、着任しガンルームに入ったら、「やあ」と声掛けられたのは、斉藤政幸氏だった。中学は彼が1年上。72期と33期でコレスとなったが、中学の先輩は扱いにくい。しかも、健康を害していた、彼はまだ候補生だったから、なおさらのこと。今日では、彼とは、滅多に会うことはないが、鹿児島で健在である。
中学の同窓会では、当然にテーブルの順が違う。  
 以上
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by naniwa-navy | 2009-08-18 13:28 | 連絡
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