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なにわ会のブログ

海軍兵学校72期海軍機関学校53期海軍経理学校33期
日記 9月30日 八雲の70期岩淵先輩
3月31日に書いた記事(72期艦務実習中八雲乗組の70期の岩淵先輩のこと)を見られた先輩のお兄さんのお孫さん 岩淵成光さんから次のコメントを頂きました。
「 大叔父 故 岩淵成忠は敵機との交戦で戦死したのではなく、味方の艦艇が敵機の空襲により炎上したため、その消火作業をしていた際の爆発の破片により戦死しました。」
これに関し、先輩の甥の岩淵成紘さんから次のメールをいただきました。
「ブログにコメントを書きましたのは私ではなく、私の三男でした。書いてあるのはその通りで、幸いにも昭和50年後半に叔父の直属の部下であった砲術士の方から当時の状況を直接うかがう機会がありました。
いわゆるレイテ海戦時マニラ湾で傷つき航行不能となった曙を僚艦の潮が横抱きでマニラ湾キャビテ軍港まで曳航してくれ、桟橋に他の駆逐艦と並んで係留されていたところ米軍機の空襲を受け、火災を起こした並列駆逐艦からの延焼を食い止めるべく部下十数人とともに消火作業に向かったとのことでした(10/25の海戦で本人も腹部を負傷しており、負傷した艦長以下地上の防空壕に避難していたとのことです)。その作業中隣の駆逐艦(艦名は思い出せません)の弾薬庫付近から青竹のはじけるような音がした直後爆発が起
こったとの事でした。すぐ隣にいた砲術士は無事だったわけです。そのとき、防空壕に避難していた犬塚艦長は(10月に余田少佐が艦長に発令されていたようですが、着任交代できていなかったようです)、しまった! 遣るんではなかったと言われたそうです。
一方、73期の佐藤少尉は桟橋上の消火栓を操作中、自艦の魚雷が誘爆し(大損傷で航行不能な状態で下ろしていなかったのでしょうか)、吹き飛ばされ戦死されたことは別の情報源から知りました。
叔父の兄であった私の父は弟を本当に誇りに思い、駆逐艦曙の顕彰碑を建て、種々慰霊の行事等も熱心に取り組んでいましたが、家で我々に弟のことを話すことはほとんどありませんでした。私も子供たちに対しては同様でした。しかしながら、叔父の足跡に対する想いと尊敬の念は、我が家にしらずしらずに受け継がれております。叔父は八雲から曙に転任する際、当時東京に住んでいた兄夫婦の自宅を訪れ、生後間もない私を膝に抱きながら食事をし、‘これで俺にも跡継ぎができたから安心して征ける’と言っていたと聞いており、命を掛けた彼の働きと期待に少しは応えることができたのであろうかといつも心に問いかけています。命をつなぐ息子たちを育て、今月初孫にも恵まれましたが、このことが最大の答えかなと思っている次第です。」

東京クラス会
参加 佐藤 静(計15名)
欠席 渋谷信也(仕事で都合つかず)
by naniwa-navy | 2009-09-30 05:56 | 日記
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