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なにわ会のブログ

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明美ちゃん基金に38年後の恩返し 外国人1号の“坊や”が2万ドル寄託
2010.5.28 の産経新聞に下記の記事があった。この記事にある今村さんは昭和19年から20年にかけて戦時中、私と高杉敏夫君が乗っていた駆逐艦楓の軍医長であった。此の記事は高杉君から教えてもらった。
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現金2万米ドルを寄託したクルニアワン・イマサタ・スリスティオさん。右は当時医師として援助した今村昌耕さん
 『38年前の昭和47年、心臓病の子供を救う明美ちゃん基金(産経新聞社提唱)で手術を受けたインドネシアの「ニューニュー君(坊や)」ことクルニアワン・イマサタ・スリスティオさん(45)が28日、東京・大手町の産経新聞社を訪れ、基金へ現金2万米ドル(約180万円)を寄託した。外国人として初めて基金の適用を受けた7歳の少年は、いまや世界を飛び回るビジネスマン。「命を救ってくれた恩返しをしたい」と話している。
 ニューニュー君は4歳のとき、日本から医療援助で訪れた東京女子医大の故高尾篤良医師により、生まれつき右心室の出口が狭く肺動脈へ十分な血流がない「肺動脈狭窄(きようさく)症」と診断された。
 日本での手術を切望していたころ、医療援助に来ていた財団法人結核予防会結核研究所の今村昌耕医師(92)=東京都清瀬市=と出会った。今村さんは「体格もひ弱で、どこか不安げだった」と振り返る。
 今村さんは帰国後、ニューニュー君を救おうと高尾医師を訪ねた。高尾医師を通じ明美ちゃん基金に適用申請があり、東京女子医大病院で心臓外科の権威だった故榊原仟(しげる)教授の執刀で手術を受けた。外国人の適用1号だった。帰国後は元気に復学し、米国へ留学して財政学と会計学を学んだ。母国へ戻り銀行や不動産、保険会社などで働いた。現在は総合開発会社の管理職の傍ら投資家としても活動。欧米ビジネスマンに人気の携帯電話「ブラックベリー」2台が手放せない忙しさという。
 セカンドネームの「イマサタ」は、手術に尽力した今村、榊原、高尾の3医師の名前をもらったもの。今村さんとは家族ぐるみのつき合いが続き、今回の寄託が実現したのも、休暇で5年ぶりに今村さんを訪ねようとしたことがきっかけだった。電話で来日を伝えた際、現在も基金が活動していることを聞き、即座に寄託を決意したという。
 「当時は、貧しくて基金がなければ手術を受けられなかった。日本人の善意に心を打たれた。大人になって仕事で日本を何度も訪れ、常に基金のことが頭の片隅にあった。命を救ってくれた日本人へ恩返ししたいとずっと思っていた」
 今村さんは「ニューニューは経済的にも自立できた。恩返しするのもめぐり合わせだろう。彼の人生が開けた姿を見届けられ、うれしい」と話した。
 この日、今村さん、妻のリリーさん(49)と本社を訪れたスリスティオさんは、白い封筒に入れた百ドル札200枚を寄託した。
 「基金にはこれからも子供たちを救ってほしい。世界にはまだ、かつての私のように、貧しいがゆえに手術を受けられない多くの子供が助けを待っています」
今村昌耕さんと伊藤正敬、高杉敏夫の3名は長い間、駆逐艦楓会で付き合っている。
by naniwa-navy | 2010-05-30 22:20 | お知らせ
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