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なにわ会のブログ

海軍兵学校72期海軍機関学校53期海軍経理学校33期
日記 6月15日
昨日ブログに書いたように、高杉敏夫君が急逝された。
昭和19年10月1日付で巡洋艦羽黒から駆逐艦楓艤装員を命ぜられた私が、横須賀工廠で艤装中の楓に着任したのが10月20日だった。その時既に着任していた主計長予定者が高杉敏夫君で、それから翌20年6月、彼が33潜水隊に転勤するまで7カ月、同じ楓士官室で生活を共にした。
この間、20年1月31日には、「楓」は「梅」と「汐風」の3隻でフィリピンからの搭乗員救出(パトリナオ輸送作戦)ため、台湾の高雄からルソン島最北端のアパリへ向け出港した。
8時、アパリ防衛のため高雄陸戦隊を乗せ、アパリ近郊のパトリナオ村を目指して24ktで南下した。
10時、バシー海峡で米軍哨戒機に発見され、15時頃、台湾最南端ガランピ岬の南方約35kmで米陸軍第14航空軍所属のP38戦闘機に護衛された第38爆撃航空団所属のB25爆撃機12機と第35戦闘航空団所属のP47戦闘機4機が襲来し、まず先頭にいた旗艦「梅」が左舷側から集中攻撃を受け、主砲指揮所と前部砲塔と艦橋間の甲板など3発被弾、機械室を破壊されて航行不能になり、「楓」は艦首に被弾し、前部砲塔全壊、前甲板、艦橋付近に火災が発生。「汐風」も至近弾により右舷高低圧タービン損傷により速力が低下した
18時過ぎ、「梅」は「汐風」の砲撃により自沈処分した。。吉田司令など生存者「は」に救助され、作戦中止、台湾の高雄へ引き返した。「梅」は約80名、「楓」は便乗者を含め54名が戦死。、
そんな命を掛けた作戦を共にした仲であった。
戦後、楓乗員は楓会を作り、彼はその中心になって楓会を盛り上げていた。先任将校が亡くなられてからは楓会会長として活躍していた。
また、なにわ会発足から昭和51年までと、昭和61年、平成2年となにわ会幹事を務めてくれ活躍してくれた。その後、昨年も今年も永代神楽祭の時の会計を引き受けてくれた。
つい先日の6月4日の永代神楽祭の時は全く元気だったのに、8日に検査入院されたのはどこか体調が悪かったのか。先程電話でお悔やみを申し上げたが、肺がおかしくて検査の為入院していたとのことである。
今回の訃報は高田俊彦君からメールで知らせて頂き、会員、遺族会員にメールとブログ、HPで流した。今回は斎藤義衛君、堀剣二郎君からメール、山田良彦君、上野三郎君から電話を頂いた。訃報のメールは流しはなしになりがちだが、一言でも関連事項や感想を頂くと流した本人は嬉しくなります。
堀剣二郎君が流した右近恒二君は多摩で高杉敏夫君と一緒だったとメールに書いてあった。山田良彦君は高杉敏夫君と一時仕事の付き合いがあったそうである。
 何れにしても、本当の急逝で驚くばかり、心からご冥福を祈る。

74期訃報
中村 外雄様(1学年22分隊) H22. 6.13 没
by naniwa-navy | 2010-06-15 05:17 | 日記
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