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なにわ会のブログ

海軍兵学校72期海軍機関学校53期海軍経理学校33期
日記 7月8日
今から66年前の昭和19年7月7日はサイパンの日本軍が玉砕した日である。
昭和19年6月11日、アメリカ軍艦載機1,100機によるサイパン島に対する奇襲的な空襲が行われ、13日からは戦艦8隻、巡洋艦11隻含む上陸船団を伴った艦隊がサイパン島に接近、砲弾合計18万発もの艦砲射撃が開始された。これにより日本の陣地は半壊し、サイパン基地の航空機150機のすべてを失った。
15日7時、アメリカ軍は上陸を開始し、19時までに海兵隊2万名以上の上陸が完了した。
19日、「あ号作戦」で出撃した日本機動部隊はマリアナ沖海戦で大敗を喫した。2日間で艦載機400機を失い、帝国海軍航空部隊は無力化された。これによりマリアナ諸島の日本軍は救援の望みを絶たれた。
7月7日、日本軍は完全に追い詰められた。斎藤中将は残存部隊約3000名に総攻撃を命じ、陸海軍によるバンザイ突撃が行われた。米軍は日本兵の捕虜からこの攻撃の情報を得ており、陣地を築いて待ち構えていた。この戦闘で米軍に死傷者658名の損害を与えたが、日本軍はほぼ全滅した。翌日戦場は「死の谷」と呼ばれるほど、両軍の死体が累累と積み重なっていた。南雲中部太平洋方面艦隊司令長官を始め指揮官など残りは自決し、少数は降伏したため、事実上サイパン島の日本軍は全滅した。7月9日にターナー中将はサイパン島の占領を宣言した。
この戦いにおける戦死者党は次のとおりであった。
日本軍 戦死 25,000、自決 5,000、捕虜 921
米 軍 戦死 3,500、 戦傷 13,160
そして7月8日
今井 義幸、上原 庸佑(55警 警備隊)はサイパン島で敵上陸部隊と交戦後玉砕戦死した。
 65年前の昭和20年はなし。
by naniwa-navy | 2010-07-08 05:01 | 日記
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