柿木 克己 様(1学年 34分隊)平成22年7月20日 没
行脚その4
藤井伸之 10月1日
1 艦内諸作業に於いて直接指揮号令する機会少なきは遺憾なり。第11水雷戦隊第145作業見学の為龍田に乗艦せる時其の感を強くせり。候補生にしてある程度作業が分れば分隊士等は危険なる時(保安上)のみ注意をする程度にて実習を主とすべきなり。不幸にして本艦は実習する人多きため当直等も廻り難く遺憾なる点あるも充分注意力を働かして常に3人分の仕事をする如き心構えを持たざるべからず。
2 常に余裕が大切なるを痛感せり。萬事に於いて余裕を有する如く努めざるべからず。集合等においても然り。
3 注意の仕方が部下統御上極めて大切なり。人格の尊重を忘れるべからず。
大野嘉秋 10月2日
三号の乗艦実習は何も分らず、ただ疲労と空腹と食事と酒保のみを考えて暮したり。
二号の乗艦実習は少し分りかけたる感ありたるも、疲労、空腹、食事、酒保は忘れず。更に睡眠と縁深かかりき。
一号の乗艦実習は分りかけた艦内生活が又もや不鮮明となり1週間疑問に明け疑問に暮れて終りぬ。
今江田島を巣立ちてより約2旬、漸く艦内生活の大略を知るを得たるも睡眠との縁を絶つを得ず。日々睡魔を憎む。吾人は只今出発したるものにして前途は多難道遠し。常に足元を忘れず、一歩一歩踏みしみて前進また前進せん。
渡邉 望 10月3日
半舷上陸で勇躍艦発、江田島に向かう。江田島は確かに浮世を離れたる別天地の感切なり。然れども一歩校門を入るや既に9時を過ぐるも大掃除中なり。分隊編制替えと一考するもしからず。日課変更による日曜日の大掃除なり。外出は10時半とのこと。同情に堪えざると共に一歩先に出たる為に憂き目に会はざる幸を喜ぶ。土曜日も祭日も無きとは誠に気の毒なり。江田島健児の意気果たして天を貫くものありや不安なり。吾人も後輩に負けざる如く励まざるべからず。
呉水交社に至る。内容不明。水交社内を田舎者の如くキョロキョロ見廻して歩く者は八雲候補生のみ。然しながら天測だけとは威張ってみたるも淋しきかな。他の艦の者に取り残され遺憾なり。八雲のみ一人伊予灘に四十八節を出撃ラッパが響く。今日も天測、明日も亦。
中林正彦 10月3日
上陸員を30分も遅らす事は士気に大いに影響す。
行脚その4
三浦政一 10月4日
俗に「候補生は張り切っている」と云われ居れり。無分別に張り切る事あるべからず。
福島誠二 10月5日
灰ヶ峰登山は相当疲労。何等得るところなし。浩然の気を養はんには上陸にしくはなし。
戸泉 弘 10月5日
灰ヶ峰に登る。大いに浩然の気を養い得たり。疲労を顧みず頂上をきわめ涼風の中に山頂に立ち呉を眼下に見下ろせる時の気を浩然の気と云うに非ずや。
田上周男 10月5日
呉を眼下に灰ヶ峰に登れば瀬戸内の箱庭実に景色良し。小春日和の山頂に横臥し実に気持良し。日頃の睡魔襲い来る。暫し激務も忘却す。但し、山道の登山行又労多し。浩然の気を養うに最も良き登山なるも登山行最も苦しむ。1300より下山、軍歌を気の向くままに歌い愉快なる心もて1日を送りたり。登山により得たる生気を以て爾後の勤務に邁進せん。
吉用茂光 10月6日
沈没潜水艦救難を行う。甚だ良き経験なり。今後再びかかる事件に際会」することなかるべし。然れども未だ救難作業終わらざるに出港し原因結果等最も大切な事を知らず。面前の美食を奪われたるが如し。甚だ物足らず。出来得ればその後の情報聞かれれば得る所大ならん。
泉 五郎 10月7日
「左舷70度700 潜水艦が波没しています。」
「何!潜航しているのじゃないか」
「いいえ 艏が水面に突出しています」
「そうか! 両舷前進原速黒3」
帝国海軍新鋭艦重巡八雲四十八節にて黒3!
一路西航 遭難潜水艦救助に赴く 針路250度速力50節
候補生室の天井は青色に塗りたきもの哉
曰く「海軍士官は青天井」
福岡利之 10月8日
候補生マスト登り方用意・登れ 戦友の声はマスト内に消えて行く。トップも近くなり光明の世界に近づきし瞬時、戦友の声ははたと止りぬ。余不思議に思いつつ明るみに顔を出せばそれも其の筈、砲術長厳として存立す。
暫時にして我等の後方より来たれる一将校あり。曰く「其処でぼやぼや何をしとるか」戦友誰一人答える者なし。砲術長野顔もいように輝けり。
高原哲夫 10月10日
「航海士」
「うん」
「之が〇〇 之がRigel 之がSiriusの位置の線、この三角形・・」
ふと横を見るとコックリコックリ漕ぎだしていたり。突然現れたる通信士、腹を抱えて大笑い ×コシ×一向に気づかず。
通信士曰く「起こすな、写真を撮るから」と
余こみ上げるおかしさを呑みこみ一段声高に「この三角形の内心をとりこの位置を決めました。」されど一向に反応なし。余暫し躊躇せしも勇を起こし退きたり。忙しき航海士余の好む所なり。
藤野龍彌 11月10日
凡そ俺ほど鈍い者は世にあるまい。天測の計算は何時もビリに近かったし、短艇達着では特別講習をやって貰った。ところで本日航海中の当直将校に立ち操艦をさせて貰ったのだが、遂に第1回目の変針にては面舵と取舵とを間違えてしまった。2回目の変針では変針点が過ぎてしまったのをまだ変針点に来ていにものと思い込み「コンパス」にかじりついていた。而も令した舵又もや反対だった。
巻 石蔵 10月10日
秋のくれ さびしき雲の 影みせて
戦友の悲しく ゆきにけり