66年前 昭和19年 なし
65年前 昭和20年
甲斐田信之(主) (2哨戒艇) ジャワ島東方海面で敵潜と交戦、被雷して沈没戦死。
昨日岡本俊章君から電話で清水 尚君の訃報を聞いた。清水君は2年程前から体調を壊して入退院を繰り返していて、透析も行っていたそうである。そして動脈瑠の手術をしたが、惜しくも亡くなったそうである。
有志会員のAさんから、『行脚 楽しく読ませて頂いています。そして、今日本屋で“軍艦「矢矧」海戦記-建築家・池田武邦の太平洋戦争”と言う本を見つけて拝読しました。』と言うメールを頂いた。
HPで検索したらこの本の紹介が多数出て来た。
この本は光人社発行、著者は井川聰で定価税込2415円である。
行脚その7
S・K候補生
草木も眠る丑満時「候補生起し」・・・・
「私も軍艦八雲候補生です。」
「気分壊したぞ。」
大熊直樹
1 「ネーそうでしょう指導官」 「研究しろ」 これは大分我々の耳のタコになったが、本当に我々は幸福だった。愉快に過すこと第一、しかし、「ガンルーム」の扉が凹んでいる理由を知っている人は余り居らぬ。去る四大節の一日「ケッチ」をかけたまま出ようとしてぶつかること十数回「研究しろと」言いたかった。
アー しかし、遂に来る。想い出多き八雲! やるぞ。 第72期候補生(18.11.10)
2 西五番から走りつづけてすんだ時は尾形岩が後ろに見えた。どうだ。
×コシ×は我々に真に海上に於いて走る航海術を教えて下さった。
山下候補生 アルコール
我等が候補生は「ガンルーム」の「ソファー」に行儀よく並び久し振りに眺める徳利を撫して眼の前に展開しつつある素晴らしき光景に唯々驚嘆と感激とに耽っているのである。
浴衣がけのあの軍医大尉に和して乱舞するはこれぞ甲板棒ならず徳利片手の甲板士官。
あの短艇の行脚は須らく・・舷梯はコッパー微塵に粉砕すべし。 元気醸造の室の夜の風景。
×コシ×に締められ様が指導官に文句を言われ様が間覚上人に笑われ様が超然として勤務に邁進せり。自己の所信に向い・・・。
×コシ×の意地悪、狐の様な顔で「ポカリ」と一発 喰らったことは一生忘れない。
艦隊に配乗したらモリモリ張り切る。 「押の一手」
N元候補生
凡そ我々実習の清涼剤こそは八雲士官室の奇材、運用長中尾大尉である。次のそのユーモラスな言葉を聞こうではないか。パイプを首にキリリット巻きつけ潮焼けした顔を綻ばせて曰く。「練習艦隊運用参謀海軍大尉中尾音吉ドウジャ エヘヘ・・」
「一杯機嫌の彼氏軍装の上衣 巻いて、
「北方へ行けばこいして勤務するぞ、候補生ドウジャ エ ヘヘ・・」
また、一杯飲んで兵員事業服を着、ハンケチを頭の上にのせて
「バーモー長官によく似てるとは思わんか、ドウジャ エ ヘヘ・・」
「候補生は皆運用長、運用長と言って余り俺に惚れるなよ。」
安藤候補生
乗る前は悲観したが、「住めば都」で去るとなると懐かしくあった。72期が出たら戦局を一変しよう。
???
1 締める人も痛められる人も皆国の為、締められて憤然とした人は全くの小心者だった。海軍の美しい所が分ってきた。練習艦隊中八雲が最も幸福だ。今になって悟った。
2 軍歌 艦船勤務「 職務(つとめ)は種々にかわれども つくす誠は唯一つ」を歌って不遇を慰さむるのみか。
M生
9月 兵学校3年間鍛えしものは・・・半殺しになっても生き返る。
10月 全力運転の秋は・・・ すべったら〇面
11月 待ちに待った配乗先聞いてがっかり。
吉川 勇 菊池祥一
第1期実務練習も愈々終了せんとして今日11月1お日秋空は綺麗に晴れあがり候補生は日当たり良き艦橋右舷に集う。見よ。那沙美水道を圧して堂々碧波を載る大艦隊「八雲、山城、伊勢向うは何処? 呉へ 呉へ 兵員は喜々として入港準備に掛り老艦八雲大艦隊旗艦の如く練習艦隊を率い正に凱旋将軍の感あり。司令長官の気分推して知るべし。第2期に備え意気益々高し。
巻 石蔵
夢の2ヶ月は忽ちにして彼方に消えて行った。共に泣き共に笑いし心の友は今希望をしっかりと胸に抱いて南に北に飛び立とうとしている。逢うは別離の初めとか、これが海軍士官の常なのだ。春樹暮雲の情誠に去るに偲びないが潔く袖を振って別れよう。何時の日か又君達に一杯の酒を勧める日まで。
(之で行脚の転載は終りです。元本は カタカナの文字が使われているが、パソコンの作業の都合でヒラガナ文字に変更した。また、当然のことながら、旧カナ使いが使用されている。打ち込みの都合で現代のカナ使いに直したところが多い。 また、意味の分らない記述もあったがそのまま転載した。)