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なにわ会のブログ

海軍兵学校72期海軍機関学校53期海軍経理学校33期
日記 9月10日
 泉五郎君から彼が書いたメレヨン島の記事はHPの何処にあるかと電話でと問い合わせがあった。
 HPの物故者関連の中にあると教えた。このメレヨン島で44警備隊司令の副官をしていて生還した田中歳春君が平成4年亡くなった後で泉五郎君とパイロットで同島に不時着した予備学生13期の小森宮正悳氏が同島の事を書いている。
 メレヨン島では隊員が飢餓との戦いで大変な苦労をし、多数の餓死戦死者を出している。今回パソコンでメレヨン島を検索していろんな記事を読んだ。
 メレヨン島は、ヤップ島の東南東約600キロ、東京からほぼ南に2800キロに位置するヤップ州の離島のひとつだ。張り出したリーフも入れると東西約12キロ、南北約9キロになる大きな環礁で、そこに20の有人・無人島がある。しかし陸地総面積は2.5平方キロにも満たず、どの島もサンゴの瓦礫と砂でできていて海抜は2~3m、いまでも大きな台風が来るたびに島中が水浸しになる。
 こんな場所に、1944年4月から5月にかけて日本の陸・海軍の将兵が6426人も上陸した。そのうち1945年9月の引き揚げ船で生還したのは、たったの1626人(25%)であった。4800人の死亡者のうち、戦死者は307人、93%にもなる残りの4493人は、飢えからくる衰弱や伝染病で死んだ。
 その中に44警備隊司令の宮田嘉信大佐が昭和20年6月に書かれた次の文章あった。
『各隊とも食料状態、衛生状態が極めて悪い。一日平均20名近くが死ぬ。全部栄養失調からくる餓死である。兵による備蓄食料の盗難が多い。これに対しては番兵が射殺をして防いでいる。私刑(リンチ)が極めておおい。日本軍人が日本軍人を絶食させたり、つるし首にしたり、絞め殺したりといったリンチが平然と行われている。憂うべき状態である。』
 この宮田司令は1946年7月18日、渦巻く非難の中で、割腹自殺された。
 戦闘は全くない。米軍は島を素通りしている。これが「作戦ミス」などという軽い言葉で表現できることであろうか。「戦争指導責任者」の罪は、未来永劫にわたって消えはしない。
by naniwa-navy | 2010-09-10 05:53 | 日記
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