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なにわ会のブログ

海軍兵学校72期海軍機関学校53期海軍経理学校33期
追憶、66年前の昭和19年の10月
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66年前の昭和19年の10月は日本海軍が乾坤一擲の戦いを挑んだ比島沖海戦の月である。機関科53期は卒業111名の内31名が水上艦艇で戦ったが18名が戦死した。その内6名が此の戦いで散華した。何れもが沈没戦死であった。そして5名が沈没生還し終戦を迎えたが、平成22年10月現在の生存者は村山(武蔵)・齋藤(能代)の二人のみである。
以下数回に亘り「比島沖海戦<機関科の戦闘>」(能代機関長付齋藤)を綴る。

・・・機関科の戦闘(1)・・・
19年6月のマリアナ沖海戦で苦杯の後、栗田艦隊は南方はリンガ泊地に集結し文字通り月月火水木金金の日々であった。
10月上旬能代はリンガ泊地より昭南島のセレタ軍港に入港、同港の浮ドックに入渠し修理・補給を行っていた。
12、13日台湾沖航空戦の幻の大戦果に呼応し栗田艦隊に残敵掃討の為の出撃準備の命が下り、能代も急遽17日にリンガ泊地に急航。ところが其の日、米攻略部隊は突如レイテに上陸を開始し残敵掃討どころでは無くなり、栗田艦隊に対し急遽ブルネイ進出の命下る。

*10月18日 0100 リンガ出港
    20日 1215 ブルネイ入港  
*10月21日 <出撃前日>
  記憶は定かでないが、大和より重油の補給を受け先頭艦を承る能代は湾 の出口に移動し1630機関16ノット30分待機となる。能代以外の各艦の搭載水偵機のサンホセ基地への先行移動のカタパルトの発射音、可燃物の陸揚げと慌ただしい一日。
 総員集合、梶原艦長の訓示の後夕刻異例の出撃の酒宴が分隊ごとに開かれた。

  <栗田艦隊の陣容>
・第一部隊 大和・武蔵・長門・愛宕・高雄・鳥海・摩耶・妙高・羽黒・
       第二水雷戦隊旗艦能代・駆逐艦9隻
 ・第二部隊 金剛・榛名・熊野・鈴谷・利根・筑摩
       矢矧・駆逐艦6隻
 ・第三部隊 山城・扶桑・最上・駆逐艦4隻
                       以上39隻

  <レイテ突入計画>
     10月22日 0800 ブルネイ出撃
      第一、第二部隊は24日日没時サンベルナルジ海峡を突破、
       25日黎明タクロバン突入。
      第三部隊は出撃後分離別働、25日黎明時に主力に策応し
       スリガオ海峡よりタクロバンに突入。
by naniwa-navy | 2010-09-30 20:12
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