なにわ会のブログ

海軍兵学校72期海軍機関学校53期海軍経理学校33期
復員船長鯨(元潜水母艦) 機、齋藤
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復員船長鯨(元潜水母艦)

① 終戦・帰郷・再び舞鶴へ
  倉橋島特潜大浦基地での残務を済ませ故郷の長野に帰ったのは8月の末であった。そして故郷の山川を見つめる虚脱の日々であつたが、10月20日海軍省より「補長鯨分隊長」の飛電に接し蘇生の思いで勇躍舞鶴へ。卒業以来の舞鶴の地である。
 辞令は艦艇乗り組みの生存者全員に届き、残存の海防艦や巡洋艦・空母に乗り組む。
 長鯨は工廠で修理・改装中であった。(終戦の年は瀬戸内海が機雷で封鎖され、伊根湾に停泊中の長鯨は7月29日、30日の敵艦載機の空襲で艦橋に被弾、死者105名、負傷者100人以上という被害を受ける。伊根町に長鯨英霊之碑在りと。)
 舞鶴にはコレスの樋口が舞鎮に在り、又潜水艦の連中の古川(後、塩見と改姓)渋谷・山田・藤田等の面々それにクラスの上野と賑やか。
 出航の1月12日迄の2ヶ月余りを樋口の肝煎りで舞鎮理事生の諸嬢との交遊が持たれ、しばしば京都に遊んだりと敗戦の憂さが癒される。

② 長鯨に乗艦
 着任して先ず驚いたのは長鯨のボイラーが混焼缶(重油と石炭の併用)だった事である。機関学校の実習艦では経験したが、精鋭潜水艦の母艦のボイラーが混焼缶とは。長鯨の竣工は大正13年で私と同年齢。その後改装されなかったのには何らかの理由があったのだろう。粉塵にまみれての機関科を挙げての石炭搭載は復員輸送7ヶ月の期間に4ヶ所(舞鶴・グアム・呉・佐世保)で計2.140トン行われたが、こんな経験は恐らく我がクラスでは私一人だけだろう。・・・・
 乗り組んだ兵科の相棒は此の5月に他界した後藤英一郎。戦闘無き平和な航海長!読書が仕事のようであったが、私は戦時以上の艦隊勤務。後藤とは退艦後も付き合いが続くが晩年になり、なにわ会画会(水野・平野・若松・後藤)に仲間入りさせて貰い10年間に21回のスケッチ旅行と5回の展覧会。思い出は尽きない。 改めて後藤君の冥福を祈ります。・・・・
 所で肝心の乗組員は機関科の場合、特務士官・下士官の多くは残留していたが、兵隊大部は復員しており、欠員補充に馳せ参じたメンバーの中心は神雷特攻部隊の残党あった。敗戦の鬱憤の吐けどころの無い連中、何かと物議を醸したが統制のとれた一団、やがて私に心服し運転に最大の協力をしてくれた。
 そして解散に際し彼等が中心となりガリ版の記念誌を作ったが、今も手元に大切に保存し往時を懐かしく回想している。近年になって彼らの隊長がコレスの新庄 浩なるを知る。・・・・
 潜水母艦だけあって居住性は満点、各員個室に収まる。しかし航海となると揺れる事揺れる事!台風圏内に突入した時は肝を冷やされる。

③ 復員輸送
 長鯨は船体の修理・改造を済ませ、急造機関兵の教育も何とか済ませ、1月12日西舞鶴を出港、復員輸送の途に就く。そして8月15日の任務終了迄の7ヶ月間に8航海、13.700人の陸兵・邦人の輸送という最後のご奉公を完遂した。以下その寸景を。
★ 第1回 1月12日、西舞鶴→釜山、朝鮮人800名
           小雨煙る港、寒々とした周囲の禿山。
           警備員が闖入し私物を強奪、敗戦を実感。
★ 第2回 1月17日 佐世保→基隆→鹿児島 陸兵1.500名
           沖縄沖にて海中に鎮魂の花束を。
           基隆岸壁では陸兵の歓呼の出迎え。
★ 第3回 1月26日 鹿児島→基隆→鹿児島 陸兵1.500名

★ 第4回 2月6日  鹿児島→喜界島・宮古島・石垣島 沖縄人1.300名
           石垣島にて紀元節を迎える
           →基隆 陸兵1.500名→鹿児島→舞鶴 休養・整備
     3月6日   舞鶴停泊中、缶兵の未熟不注意により火災。
           戦時なれば懲罰もの。以後頻発。

★ 第5回 3月14日 舞鶴→釜山→鹿児島 朝鮮人800名

★ 第6回 3月24日 鹿児島→グワム→ラバウル→大竹 陸兵2.500名
        往路、大低気圧圏内に突入、天地入れ替わらんばかり
        の大揺れ、缶室にビルジ充満し必死の運転。
        グワムに寄航し蘇生の思い。それこそ万里の波濤を乗り
        越えて来し、ラバウル花吹山・椰子林・陸兵の顔顔・・・
        停泊中の夜半、豪兵裸にて闖入、!有段の猛者S大尉
        犯人を海中に投げ飛ばす!
        缶室火災。玉野造船所にて整備・休養・・・

★ 第7回 6月9日  呉→上海→佐世保(缶故障、出港遅延) 陸兵1.900名
         <奇遇>出港して乗船者名簿を閲覧すると部隊は
          我が故郷の連隊。しかも中学同級の麻沼・豊田両君
          の名前があるのには吃驚! 早速我が私室に案内し
          感無量の劇的対面と相成った次第。

★ 第8回 7月1日  佐世保→胡蘆島→博多 邦人1.900名
          缶室火災2回、
          船中にて妊婦男子出生!確か(長00)と命名。
      8月15日 奇しくも終戦の日に復員輸送任務解除となる。
        
長鯨はその後日立造船向島造船所にて解体され、船体の一部は同所の浮き桟橋に利用されたという。
                     (以上)
  附記
   一年足らずの第二のご奉公であつたが、戦中とは又違った貴重な経験を授かり戦後を迎える事が出来た。往時を偲び長鯨の絵を描いたが、作品は水交会に寄贈させて戴いた。
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by naniwa-navy | 2010-10-11 16:59
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