なにわ会のブログ

海軍兵学校72期海軍機関学校53期海軍経理学校33期
日記 11月25日
11月25日
この日の戦没者 66年前 昭和19年 
 小沢易一・井ノ山威太郎(熊野 巡洋艦)
   比島サンタクルーズで敵潜の雷撃に続き、敵機の攻撃を受け沈没して戦死
 (小沢については、加藤孝二君の↓の記事 小沢易一の思い出がある)
 http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-ozawa-katou.html
 (井ノ山」については、弟 井ノ山隆也様の↓の記事 兄と私 がある。)
 (また、熊野については、同艦で一緒に戦った左近允尚敏君の↓の記事 重巡熊野の最後 がある。)
 http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-inoyama-otouto1.html
 
 田邊 正(攻3 艦爆操)比島クラーク東方海面で神風特別攻撃隊吉野隊として敵艦に突入して戦死(彗星)

この日の戦後物故者 なし

 7月24日の「堀剣二郎君の記事 児玉 巌」に次のコメントを書かれた中村様に堀剣二郎君を紹介して、両者でメール交換、加藤様の兵籍簿も手に入り、次のような事が分った。
 中村様のコメント
 「私の母の叔父が駆逐艦浦波に乗り、昭和19年に戦死している事がわかりました。現在兵籍簿を取得中です。母が大変叔父様にお世話になったので、浦波に乗っておられた方がいらっしゃいましたら是非、駆逐艦浦波の最後をお聞かせ頂きたいです。」
 加藤様の兵籍簿を見ての堀剣二郎君の返事から(要旨のみ)
 浦波は10月26日に多数(50機を超える)敵機と交戦、326名の乗員中103名の戦死者、64名の戦傷者と共に沈みました。生存者、戦傷者は2隻の海軍艦艇により救助され、27日にマニラへ輸送され、戦傷者は103海軍病院へ収容されました。・・・・
 加藤さんは負傷され、南西方面艦隊司令部への転勤が発令され、船への発令がなく、また戦死されたのがルソン島ですので司令部の要員であったと思われます。司令部は当時ルソン島のマニラにありましたので陸上の戦闘で戦死されたものと思われます。
 なお加藤さんは彼の兵籍簿から抜粋
  昭和13年 1月10日 呉海兵団入団
  昭和13年11月15日 第19駆逐隊 浦波
  昭和19年 5月 1日 任海軍上等兵曹
  昭和19年10月29日 第103海軍病院入院
  昭和19年12月20日 南西方面艦隊司令部
  昭和20年3月9日 ルソン島北部にて戦死

なにわ会のHPが取りもって加藤さんの疑問が解けて良かったと思います。

 堀君 この件の協力、そして昨日の 多田圭太君の思い出 の書き込み、
 本当に有り難うございました。
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by naniwa-navy | 2010-11-25 05:41 | 日記
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