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なにわ会のブログ

海軍兵学校72期海軍機関学校53期海軍経理学校33期
日記 1月5日
1月5日
この日の戦没者  66年前 昭和20年
 斎藤 勝延(樅 駆逐艦)
  マニラ沖で敵艦隊と交戦、沈没戦死
 
 丸山  隆(201空 戦闘機)
  神風特別攻撃隊第18金剛隊として比島ルパング沖の敵艦に突入戦死(零戦)
  泉 五郎君の「軍神 丸山 隆君の凱旋」 ↓ の記事。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-maruyama-izumi1.html
  増田 澄氏の「兄の遺品」 ↓ の記事
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-maruyama-masuda.html
  菅原 完氏の米護衛空母に突入した特攻隊員の遺族を捜せ ↓ の記事がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-maruyama-sugawara.html
 
 北川 直隆(201空 戦闘機)
  神風特別攻撃隊第18金剛隊として比島ルパング沖の敵艦に突入戦死(零戦)

 丸山、北川両君に関連して、77期の1月当番から次のメールを頂いた。
 菅原 完君の投書を配信します。
 「一昨年の「丸」12月号に掲載された「米護衛空母に突入した特攻隊員の遺族を探せ」を紹介します。NET77には添付しないようにとのことなので、72期の web site に掲載されている記事をご覧ください。
 手順は、次の通りです。
1)http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480 をvisit する。
2)Top page をscroll down して「ニュース記事930件」→「戦没者関連記事 181件」→
 「戦没者その5ま~わ36件」をclick すると →7 番目「丸山隆・菅原完 丸21年12月」にたどり着く。
 これが1945年1月5日、第18金剛隊・第2中隊長・丸山隆(ゆたか)中尉がリンガエン湾で米護衛空母「マニラ・ベイ」に突入した特攻です。この英版は、昨年 The USNI, the Naval History Magazine, October 2010 Issue に The  Kamikaze's WALLET の題名で掲載されました。「マニラ・ベイ」の Air Officer だった CDR. William Bartlett の子息、 Dr. Randolph Bartlett との合作です。
(これのコピーを昨日の新春湘南クラス会で回覧、数部配布された 編集部)

 丸山機に続いて突入しようとした二番目の零戦(二番機)は誰だったのでしょうか。第18金剛隊は、指揮官兼第1中隊長・金谷大尉(71期)爆装8機、直掩2機(1機報告のため帰投、1機エンジン不調引き返す)。第2中隊長・丸山中尉、爆装8機(1機エンジン不調引き返す)、直掩2機(北川中尉・出津一飛曹)という編成で、3機が帰還、17機が未帰還となっています。以上から、北川機は直掩(爆装なし)で、未帰還と分かります。
 「マニラ・ベイ」の艦長 Capt. Fitzhugh Lee は「2機の特攻機のパイロットは、驚くばかりの熟練した操縦技術の持主」と述べています。彼自身パイロットで、CDR. Bartlett の飛行教官です。2番機の操縦員が北川中尉だったとすれば、丸山中尉と同等の操縦技術を持っていたとしても不思議ではありません。また、二番機は船体構造を狙わず、艦橋を目がけています。爆装していなかったから、指揮系統の中枢である艦橋の人員殺傷を狙ったという仮定が成り立ちます。現実には艦橋突入が出来ず、片翼で無線アンテナと右舷桁端を切断、回転しながら10米離れた海中に落下、喫水線付近で衝撃により爆発したが爆風による被害なし。これは爆装していなかったと考えられます。
 
兵学校では「同じ甲板に血を流す」クラスメートと教えられました。北川中尉は、彼自身も何れは特攻に出る運命にあったのですから、「俺も一緒に」という気持ちになってのではないでしょうか。

 以上から、あくまでも仮定ですが、二番機は北川直隆中尉(72期)であったと思われてなりません。「丸」には紙面の都合で掲載できなかったのですが、Naval History には入れました。
 1月5日はお二方の66回忌です。  合掌   菅原 完

戦後物故者なし。

 昨4日、恒例の湘南新年クラス会が12時から14時半まで行われた。
 参加者は写真の22名と中井末一、後藤 寛、市瀬夫人の25名であった。
 最初に2組に分かれて写真撮影を行った。左から
第1組 
日記 1月5日_c0130833_4435215.jpg

後列 相澤善三郎、野崎貞雄、窪添龍輝、左近允尚敏、宮田 實、
前列 藏元正浩、幸田正仁、伊藤正敬、足立喜次、浦本 生、若松禄郎、山下 誠
第2組 
日記 1月5日_c0130833_4444243.jpg
 
後列 新庄 浩、市瀬文人、深尾秀文、松下太郎、
前列 樋口 直、上野三郎、岩松重裕、山田良彦、安藤昌彦、椎原国康

 次にまず、戦没者・戦後物故者に黙祷を捧げ、司会者上野三郎君の開会挨拶と会計報告があり、次いで左近允尚敏君の音頭で乾杯、懇談に入った。
司会の上野三郎君とおかみ
日記 1月5日_c0130833_5261484.jpg

乾杯の音頭をとった左近允尚敏君
日記 1月5日_c0130833_512193.jpg


 懇談中、樋口 直、伊藤正敬、山下 誠、松下太郎の諸君から一言ずつあり、
山下  誠君
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松下太郎君
日記 1月5日_c0130833_5283975.jpg


さらに、相澤善三郎、幸田正仁、山下 誠の諸君の歌ありで盛り上がり、予定時間、来年の再会を誓ってお開きとなった。
歌う相澤善三郎君
日記 1月5日_c0130833_5442284.jpg

by naniwa-navy | 2011-01-05 04:44 | 日記
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