なにわ会のブログ

海軍兵学校72期海軍機関学校53期海軍経理学校33期
日記3月11日 74期木曜会
3月11日
この日の戦没者なし。

この日の戦後物故者
 塚田  浩 1968年3月11日逝去
  西口 譲君の「塚田 浩君を悼む」の記事↓がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-tukada-nisiguti1.html

  押本 直正君の「塚田 浩君を偲んで」の記事↓がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-tukada-osimoto1.html

昨日頂いた横須賀高校同窓会の機関紙「朋友」の中にあった吉成 淳君の記事を転載する。
 吉成 淳君のこと
 君のご遺族がどちらに居られるのか分りませんでしたが、千葉県四街道に下の妹さんがご健在との事で早速電話して見ました。
 ところが、残念なことに、「家内は4年ほど前に他界しております」とのご主人らしき方の返事で、それでも吉成君の墓所を知ることができました。
 総武線干潟駅下車、東500mほどのところの霊園ということで、昨年7月猛暑のなか、交番で尋ねながら探したが、幸いにもすぐに見つけることができました。
 「吉成家之墓、昭和51年12月吉成忠蔵建之」
とあり、右の墓碑には、吉成淳・寿子(上の妹)・忠蔵と琴(ご両親)が記されております。
 彼、淳君は昭和20年8月20日、門司港で敗戦後、なお残務で乗組していた駆逐艦「冬月」が、米軍の敷設した機雷に触れて爆発、それで戦死したのです。海軍兵学校を卒業後、2ケ年弱フィリピン・沖縄海戦に臨み、終戦を迎えた5日後に犠牲となってしまったのです。
 君はいつも優しく、勉強のみにとらわれず、豊かな心をもって生活をしていましたね。
 中学4年の12月海兵へ入学、翌年の夏、私たち一同が上級学校入試準備に明け暮れしているときでした。休暇で帰ってきた君は、級友宅訪問には横中の制服を着て来ましたね。俺も同級生だよと言わんばかりの心遣いが、みんなの胸に沁みました。
 また、3年生の頃であつたと思いますが、そのころ吉川英治の「新平家物語」が人気作品として発売されており、彼もその虜(とりこ)になり、しばしば本屋の店先で立読みしていたようですが、某先輩がこれを見ており、ものすごいさむらひがいるぞと噂になったほどでした。真面目さの中にも豊かな心を持ち、期待された人物を失い誠に残念の一言に尽きます。

昨3月10日、我等の3号、74期の丸の内木曜会3月例会に招かれて参加した。
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参加者全員31名の記念写真
(前列向かって左から、佐藤(修)、大野、大島(進)、 三上、亀井、江口、久保、
2列目同じく、上田(容)、國田、松井(元)、伊藤先輩、 中村(慶)、高橋(直)、小宮山、是枝、大津(三上のお孫さん)、
3列目同じく、高田、松成、立川、高野、山内(繁)、北川(信)、吉高、佐藤(昇)、伊東、豊田、木下 (啓)、武田(泰)、井上、渡辺、松本

 この会は奇数月の第2木曜日に東京駅の近くのレストランで開催され、毎回25名から30名が集まっている。そして、時々ゲストとして先輩を呼んでいる。
今まで72期では次の17名が呼ばれているようである。
山根真樹生、矢田次夫、大谷友之、池田武邦、定塚 脩、小林 勝、山田良彦、大岡要四郎、森園良巳、小灘利春、澤本倫生、小澤尚介、左近允尚敏、田中春雄、飯野伴七、樋口 直、坂元正一の諸君
 このうち、11名が既に他界していて、アンダ-ラインの6名だけが健在である。
今日は30名とお孫さん1名が集まっていた。
私の自己紹介、72期の現状、HPのこと、ブログのことについて話をした。
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1130から昼食をともにして1345まで賑やかに、和気あいあい、羨ましい程の会合であった。
詳細については74期の談話室(なにわ会HPのリンク集にある)を見て下さい。多数の写真があります。
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by naniwa-navy | 2011-03-11 04:59 | 日記
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