なにわ会のブログ

海軍兵学校72期海軍機関学校53期海軍経理学校33期
2号37分隊
海軍兵学校72期2号37分隊の写真です
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中央烈左から
千田吉夫(20.4.20没  903空 偵察   敵艦船攻撃に向かったまま消息を絶つ )
木原 建(19.10.12没 台南空 戦闘機   敵機動部隊戦爆連合大編隊を迎撃、交戦戦死 )
平野 誠(20.1.14没 132空 艦攻操   敵機動部隊を発見。味方部隊の誘導を報告した後消息を絶つ)
鈴木 彊
片山 務 (20.7.31  イ351   7月11日、内地への作戦輸送のためシンガポールを発ち消息を絶つ。)(米軍資料によると7月14日、米潜水艦ブルーフィッシュに雷撃される)
山根真樹生(H20.9.3 没)  
渡辺収一 深井 良 (20.5.11 没  762空K501   神風特別攻撃隊第9銀河隊として敵艦を攻撃戦死)
柿崎 実 (20.5.2 没 天武隊 回天(イ47) 沖縄南東海面にて特攻戦死 )
 航空母艦『瑞鶴』乗組乙みから回天特攻隊になり、3度出撃するも機会を得られず、4度目にして敵艦に突入。  御両親の写真と女子挺身隊にもらったらしい人形を身につけて散華されたということです。
     『共に死にゆくこの人形は どこのどなたの贈り物』
府瀬川清蔵 (H16.10.18 没) 
古川嗣郎 (H2.4.11 没)     

 この写真は有志会員のAのブログ(2008年04月26日)にあったものです。深井紳一氏からいただいたそうです。いかA三の記述です。
『 最初、前から2列目の右から4人目に深井中尉が写っているのしかわかりませんでした。
「兵学校時代は兵学校時代のようだけど、いつの写真で、一緒に写っているのはどういう人かなあ・・・・?」
と疑問を持ちました。 こーゆーの気になってしかたがないタチです。
 海軍さんは割に写真に写る場所がきっちり決まっています。
 イス席の真ん中が一番偉い人です。端に流れるほど、後ろに行くほど階級が下、というのが基本のようです。 ということは・・・・前列真ん中の一人だけ服や帽子の違う人が教官?   イスに座っている人たちは最上級生(この場合71期)、深井中尉のいる列が72期で、3列目4列目が73期かな?と予想しました。
 深井中尉は2学年の時は37分隊。名簿で37分隊を調べたらちょうど写っている人数分11人でした。
 37分隊、深井中尉以外は一人も顔がわからないので、なにわ会の戦没者遺影のページで、戦死されている方の顔写真を探し、その中の数人が特定できました。
「これはもう37分隊に違いない」
ここまで作業してから最後はMIさんに協力要請。
「この写真の2列目に写っている方々、ご存じないですか?」
と尋ねてみたところ、MIさんが同期生の方に聞いて下さって、全員の名前が判明しました。
同期生の方っていうのが、この写真に写っているお一人だったんですねー。直接ご本人に聞いて下さったようです。
 わたしが画像を拡大して一生懸命顔を近づけて「これは、この人かなあ・・・・?」と照合していったのはいったい・・・・?  でも、わたしのあやしい目で見るより、正確な証言者の方がいらっしゃいました、よかったです。
 やはり、「深井中尉とその仲間」と思って写真を見るのと、一人一人のお名前がわかった状態で写真を見るのとでは全然違います。
「柿崎さん・・・・片山さん・・・・木原さん・・・・千田さん・・・・平野さん・・・・」
どこの出身の方で、どんな亡くなり方をされたのか、その人の足跡もたどることができます。
MIさんが同期生の方に聞いて下さらなければ、きっとこの5人の方は、わたしは名前すら知ることはなかったような気もします。
 11人中6人の方が戦死されています。
 分隊といえば、生活も訓練も、そして殴られる時も(?)すべて一緒。家族のようなものです。この人たちは青春の真っただ中を一緒に過ごした仲間です。過酷な青春だなあ・・・・でも、きっといまのわたしたちには体験できない有意義な青春でもあったのだろうなあ・・・・。』
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by naniwa-navy | 2011-03-28 09:05 | 写真
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