人気ブログランキング |

なにわ会のブログ

海軍兵学校72期海軍機関学校53期海軍経理学校33期
瑞鶴のご真影(購読会員Aさんのブログから)
瑞鶴のご真影(購読会員Aさんのブログから)

 今日、図書館に行って神野正美さんの『空母瑞鶴』を借りてきました。 瑞鶴のご真影運び出しの詳しい状況がわかりました。
 総員上甲板命令が出てから、副長からご真影の運び出し命令を受けたのは庶務主任の大畠永弘さんです(当時、少尉か?)。
 戦闘開始前に最下甲板の高角砲発令所に移してあったお写真を、艦橋から取りに戻ろうとしたけれど、下から上がってくる機関科員、応急員のために難儀していたところ、一人の兵隊が箱入りのお写真を持って上がってきてくれたそうです。
 副長附甲板士官だった足立喜次中尉(兵72期)も貝塚艦長から「お写真を上げろ」と命令され、甲板下へ向かったそうですが、下から上がってきた兵員に、「お写真は上に上がった」と教えられ、下には行かなかったようです。
 総員退艦のときになって、左舷甲板上にいた大畠さんと足立中尉は一緒に海に入ります。足立中尉も艦長にお写真のことを命じられていたことから、お写真を背負っていた大畠さんと一緒にお写真を守ろうと思われたのではないでしょうか。
 重油の海を泳いでいると、『初月』が救助にきました。しかし、お写真を背負っている大畠さんや足立中尉には気づかずに、泳いでいる人間の三分の一ほどを救助して去っていったそうです。
 のとき取り残された人たちはどんなにがっかりし、絶望したことかと思います。
そのまま二時間ほど、うねりに身を任せて材木につかまっていると今度は『若月』がやってきました。大畠さんは、今度こそ乗らねば、と思ったそうです。
「足立中尉、泳ぎましょう」
「よし泳ごう。お写真は大丈夫か。おれが持って行こうか」
「大丈夫です」
 このとき大畠さんは、どうせお守りして泳ぐならば最後まで自分で持って泳ぎたい。人に渡すのは残念だ、という気持ちで足立中尉の申し出を断ったということでした。
ところが、やはりお写真を持って泳いでいると、どうしても遅れがちになり、だんだん足立中尉に離されてしまいます。
「おーい! 庶務主任早く来いよ」待っていてくれたので泳ぎつきます。
「おれが持って行ってやろう」
 ここでやっと大畠さんも意地を張っていられないとお写真を足立中尉にゆだねます。
 100メートルほど泳いで、やっと『若月』に救助されました。
 これが、平和な海水浴場での話なら、 「ああ、微笑ましい男の友情」
で済むのでしょうが、二人が泳いでいるのは戦場の海。しかも、目の前の『若月』に拾い上げてもらわなければ、永遠にそこに取り残されてしまう可能性があるのです。
 自分だけ助かりたければ、戦友を置いてさっさと泳いで行ってしまうとか、お写真を放り出してしまうとか、他にも道はあったのかもしれませんが、二人は助け合いながら、お写真も守り通しました。わたしはそのことにすごく感動しました。
 余談ですが、二人が最初に救ってもらえなかった『初月』は、救助した瑞鶴の乗員を乗せたまま、その日の夜戦で米水雷戦隊と果敢に戦い沈められてしまいました。
人の運命って・・・・。
参考:神野正美『空母瑞鶴』光人社

これに対して私のコメント(2008年05月04日 11時54分53秒)
 ご真影運び出しの状況有り難うございました。この前,運びだしたのは72期の足立喜次と経33期の足立暢也と書きましたが,足立暢也は転勤して大畠少尉に代わっていたのでしょう。
早く救助された『初月』がその夜沈んで,『若月』の方は助かったということ,まったく運命ですね。なにわ会ブログに要旨転載させていただきました。
Aさん (2008年05月04日 20時20分48秒)
了解しました。
本当に、あの当時の話を読んでいると、「運」とか「運命」とか、人間の力以外のものを強く感じます。数秒前まで自分がいたところに爆弾が落ちたとか、初月のように、救助されなかったことが結果的にかえって助かったとか。 そういう経験をされると、以後の人生観とか変わるのでしょうね・・・・。

この記事は2008年5月にブログに掲載したが、再度掲載します。
by naniwa-navy | 2011-10-04 09:10 | 戦記
<< 戦記 生駒山上空の空戦 (相澤... 日記 10月4日 >>

by naniwa-navy
プロフィールを見る
画像一覧
更新通知を受け取る
カテゴリ
以前の記事
お気に入りブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧