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なにわ会のブログ

海軍兵学校72期海軍機関学校53期海軍経理学校33期
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訃報 石井 晃
氏名 石井 晃 君(名簿4P)
平成22年 1月22日(金) 逝去
喪主    妻 石井 和子 様
鈴木彊君から渡邉望君経由で、電話で知らせて貰った。
奥様に電話で聞いたところ、40日程入院して療養していたが、1月22日に亡くなった。
葬儀は親族のみで1月24日行われた。
by naniwa-navy | 2010-01-26 13:27 | 訃報
日記 1月25日 コメント
最近いたずらコメントがよく書きこまれます。ご覧の皆様に不快の念を与えないようコメントを承認制にいたしました。ブログの持ち主(私)が承認するまでコメントは表示されないようになりました。
このグログ毎日45~50名の方がご覧になっています。毎日何か書きこむように努力しています。
会員、遺族会員の方、どんどん書きこんで下さい。書きこむには、右上のログインをクリックして下さい。次に左に出て来たエキサイトIDの所に naniwa-navy を打ち込み、その下のパスワードの所になにわ会の各クラスの数字6桁を打ち込み、ログインして下さい。出て来た画面で、右上の投稿をクリックして記事を打ち込んで下さい。
もしうまく出来ない時は、メールで送ってもらえばその方の名前でブログに書きこみます。
会員、遺族会員の積極的書き込みをお願いします。
by naniwa-navy | 2010-01-25 17:39 | 日記
日記 1月24日
12月暮、なにわ会様のホームページをご覧になった福岡県に住んでおられる方からメールを頂いた。
その方は大分県の佐伯市生まれで、数年ほど前から、昭和19年から終戦迄の佐伯に関する物語を書いているそうです。そしてHPに書いてある樋口直君の記事、故井尻君の弟岡野さんの記事を読まれ、当時のことを聞きたいので、何とかお二人を紹介して頂きたいと頼まれました。
樋口直君と岡野さんの了解を貰って紹介し、お互い連絡が出来て近くお会いになって話されるそうです。
その間の経過について、御丁寧な報告を頂いた。
by naniwa-navy | 2010-01-24 20:15 | 日記
日記 1月23日 歩こう会
1月21日に行われた湘南歩こう会の記事を上野三郎君から送って貰った。
「平成22年最初の歩こう会は1月21日に明治神宮参拝が実施された。
 昨日の記録破りの温かい大寒の入りとなった流れを受け、今日も17℃と春を思わせる恵まれた天候の中、神宮境内の散策を楽しんだ。
 明治神宮と侮っていたが、万歩計は戸口から戸口までなんと10,500歩を突破し久方振り「歩く歩こう会」となった。参加者10名(男子4名、女子6名)、JR原宿駅集合11時、解散14時30分
 神宮橋を渡った所で,「ねぶた」の歓迎を受けた、これは青森県のPRの催しの一部であることを知った。
(大衆の中に溶け込んだ神宮だとの印象)
 お正月を過ぎているのに、参詣者の列が三々五々続いているのには、人気の高さに驚いた。    
 幸田君先頭の我々のグループ(写真略)
 大鳥居に達しその大きさを実感(写真略)
 我国最大の木造鳥居 昭和56年12月にある篤志家の寄贈により大正9年の鳥居の形に再建。台湾丹大山の樹齢1,500年の檜材使用。
 本殿の参拝を終えた後西側の門を出て宝物殿に向かったが、生憎休館日だった。此処で集合写真を撮影。
(21日のブログに掲載)
 近くに「さだれ」石があったので撮影(岐阜県揖斐郡産出)(写真略)
 北池を渡り、本殿、神楽殿の東側を経て大鳥居を左に見て、代々木の森の森林浴を楽しむ。
 代々木の杜は全国から10万本の木と11万人の勤労奉仕で完成したもので木種は椎、樫,楠等で、杉、檜は関東ローム層には不適ということで植えられていないのが特徴。
 明治神宮文化館にて昼食、疲労を癒やし、元気を回復、南池のある明治神宮御苑に向かう。この御苑は明治天皇が
「うつせみの 代々木の里は しづかにて 都のほかの ここちこそすれ」
と詠まれたように全くの別天地だ。元々は江戸時代初期加藤家、井伊家の下屋敷の庭園であった所。25,000坪
隔雲亭(伊藤夫人がお茶のお手前をやられたことがある由)、お釣台 、 菖蒲田四阿(あづまや) (写真略)   
、 四阿(あづまや)奥に清正井がある、なんと若者に人気があり4時間待ちだ、此の井戸を携帯に収めると自分の願望が叶えられるとか、不思議な風潮が出来たものである、入り口で其の信者の若者一団に出会ったが、今日はもう間に合わぬとがっかりしていた。(未だ午後2時過ぎだのに)
今回は神社を離れた裏街道を中心に観察したがスケールの大きさには驚かされた。
(注)大正9年11月に明治神宮は完成したが、昭和20年4月14日の空襲で全焼した。昭和33年11月現在の社殿修復が完了、引き続き手が加えられ現在の姿になった。」
この記事をHPに取り込んだ。写真はHP↓を見て下さい。 
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/arukoukai201.html
by naniwa-navy | 2010-01-24 05:57 | 日記
日記 1月23日
65年前の1月23日の戦没者
 高見 隆三(332空 戦闘機)亀岡付近で
B-29と交戦中被弾、機体空中分解し墜落戦死
by naniwa-navy | 2010-01-23 07:57 | 日記
日記 1月22日
上野三郎君から先日の湘南歩こう会の記事を頂いた。近くHPに取り込みます。
by naniwa-navy | 2010-01-23 07:55 | 日記
日記 1月21日
日記 1月21日_c0130833_6113870.jpg

昨21日湘南歩こう会が行われ、写真の10名(左から高田、上野、幸田、深尾、深尾夫人、伊藤夫人、藤井夫人、小松崎夫人、品川夫人、加藤夫人)が参加した。

76期会報128号を頂いた。76期は21年11月24日、東京ドームホテルで全国総会・懇親会が会員304名、準会員同伴者130名、来賓13名の参加を得て盛大に実施された。行事の中の講演会に、講師として池田武邦君が「戦争体験と戦後の価値観」と題し、巡洋艦矢矧乗艦による3つの海戦、マリアナ、レイテ、沖縄海上特攻の奮戦体験談が行われ、好評を博した。なお、この会には都竹卓郎君が来賓として招聘され参加していた。

74期の青池明様(三号24分隊) 21年12月11日逝去。

昨日府中市の方(昨年 21年5月22日ブログ参照)から次のメールを頂いた。
「流星のごとく~富士栄一氏追悼録~」の中に、谷内能孝様 が書かれた『南方赴任』という文章を拝読したいのですが、どちらで読む事ができますでしょうか。」
質問の富士栄一氏追悼録は冨士君が亡くなって1周忌に出された本であって、多数のクラスメイトが冨士君の思いでを書いている。その中の一部はHPに取り込んであるが谷内能孝君の記事は取り込んで無かった。
今改めて、この追悼録を読み返して冨士君を思い出し冥福を祈った。それにしても、なにわ会のHPは本当にいろんな方が読んで頂いているようで有り難いことです。
by naniwa-navy | 2010-01-22 05:47 | 日記
日記 1月21日
65年前1月21日の戦没者
 吉本健太郎(回天)・豊住 和寿(機)(回天)共にウルシー泊地で
  回天特別攻撃隊金剛隊として敵艦に体当り戦死(伊48より発進) 
 賀川 慶近(伊48潜)ウルシー西方で
  20.1.9 回天特別攻撃隊金剛隊の一艦としてウルシーに向け呉出撃、
  以後消息を絶つ。(戦死認定)
  (米護衛駆逐艦の爆雷攻撃により20.1.23沈没:米軍資料)
 西田 幸三(攻102 艦爆操) 台湾東方海面で
  神風特別攻撃隊新高隊として敵機動部隊に突入戦死(彗星)
 増子 富二(攻401 艦爆操) 台湾東方海面で
  台湾東方の敵機動部隊に突入戦死
 折笠 義郎(大分空 艦爆操)別府蒋で
  大分航空隊で飛行訓練中、墜落殉職(彗星)

お願いしていた「なにわ会だより第2号」の校正が都竹卓郎君、窪添龍輝君から帰ってきました。後、窪添龍輝君から会計報告を頂けば原稿すべて完成します。
by naniwa-navy | 2010-01-21 05:18 | 日記
日記 1月20日
65年前の1月20日の戦没者
 山仲 進(256空) (戦闘機) 上海で
  上海上空の迎撃戦でP51と交戦戦死

中国大連在住の太田浩二から要旨次のメールを頂き、返事を送りました。
『貴ウエブサイトを大変に考え深く拝見させて頂きました。
私の叔父 太田正一の写真とクラーク基地からゼロ戦で飛び立ち敵艦巡洋艦に体当たりしていった状況、また桂理平様御執筆の所感を拝読してあらためて叔父そして戦死した兄を思う父の心を大陸の大連にて思い巡らせております。』

昨年暮、福岡県居住の、佐伯市生まれの山本さんから要旨、次のメールを頂きました。
『その私が、数年ほど前に思い立ちまして、現在ちょっとしたものを書いております。
私の祖父は、佐伯市の湾に浮かぶ大入島で、イリコの行商などをして暮らしを立てておりました。書いているものと申しましたのは、この祖父と子供たち(つまり私の父と叔父叔母)を主人公にした、昭和十九年から戦後にかけての物語でございます。・・・・    インターネットで検索いたしましたら、樋口直様が、原田大佐の思い出をお書きになった一文に巡り合ったわけでございます。・・・井尻文彦中尉の弟様でいらっしゃる、岡野武弘様のご寄稿で今回始めて知りました。』
という事で、樋口直君と岡野武弘様に連絡を取りたいといわれ、両人のご了解を得て住所等をお知らせし、山本様は連絡が出来たそうです。それに関連して、岡野様から『兄の殉職となにわ会』という孫達への証言を送っていただきました。
なにわ会だより第3号に掲載したいと思っています。
by naniwa-navy | 2010-01-20 06:40 | 日記
日記 1月19日 工藤俊作艦長顕彰会
元日本海軍中佐故工藤俊作氏の顕彰会のビデオを田島明朗氏から頂いた。
日記 1月19日 工藤俊作艦長顕彰会_c0130833_771092.jpg

この救助劇の概要は次のとおりである。
 大東亜戦争勃発翌年、昭和17年3月2日、日本海軍駆逐艦「雷」の艦長であった工藤俊作海軍中佐(海軍兵学校第51期)は、スラバヤ沖海戦で撃沈された英国海軍所属の巡洋艦「エクゼター」と駆逐艦「エンカウンター」の乗組員422名の生存者が海上を漂流している現場に遭遇。交戦国将兵であるにもかかわらず生存者全員を敢然と救助し、友軍以上に厚遇した。このとき敵潜水艦や航空機の脅威下にありながら、工藤艦長以下「雷」乗組員全員は一丸となって救助にあたり、英国海軍将兵に深い感銘を与えた。このとき救助された将兵の数は「雷」乗組員全員の実に2倍に相当するものだった。

 ところが、この行為は戦時下とあって秘匿され、さらに昭和19年4月「雷」はメレヨン島近海で米海軍潜水艦の雷撃をうけ沈没。その結果、工藤艦長「雷」乗組員の気高い行為は歴史の彼方に忘却される寸前だったが、その折救助されたサミュエル・フォール卿(89歳、元英国外交官、昭和17年当時英国海軍少尉、「エンカウンター」乗組)が、平成15年に工藤中佐の墓所や遺族を尋ねて訪日、その体験を語られたことにより、私たち日本国民は工藤俊作中佐と駆逐艦「雷」の勇気ある行為を知ることになった。
日記 1月19日 工藤俊作艦長顕彰会_c0130833_7114983.jpg

 残念ながら、このときには工藤艦長の消息を知ることはできなかったが、その後の調査により墓所が判明。フォール卿の60数年来の悲願である工藤艦長の墓参が可能となった。

 このような経緯で、日英外交150周年という記念の年に、平沼赳夫衆議院議員を実行委員長として、経団連をはじめとする財界関係者ならびに防衛省はじめとする関係者の協力により平成20年12月7、8日に墓参ならびに都内ホテルにて盛大な顕彰会を開催した。
 顕彰会当日に89歳という高齢をおして車椅子にて出席したフォール卿は、その短い挨拶の中に心からの感謝の気持ちをひしひしと感じ取ることが出来た。
 また当時、雷航海長だった谷川清澄氏(大正5年福岡県生まれ。海軍兵学校卒業(66期))も参加され当時の事を述べておられる。
日記 1月19日 工藤俊作艦長顕彰会_c0130833_7123783.jpg

 当時、このような行為は国際法に照らしても軍人としても当然のこととの考えで、工藤中佐自身も語ることはなかったと言われている。恵隆之助氏(元海上自衛隊幹部、現在評論家)の著書「敵兵を救助せよ!」に詳しく記されているので関心のある方はご一読いただきたい。
by naniwa-navy | 2010-01-19 07:07 | 日記

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