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なにわ会のブログ

海軍兵学校72期海軍機関学校53期海軍経理学校33期
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日記 6月6日
66年前 昭和19年 
  中沢達推(水無月 駆逐艦) タラカン沖で
船団護衛中、敵潜の雷撃を受け沈没戦死
65年前 昭和20年
  水谷 潤(戦303 戦闘機) 鹿児島上空で
    本土に来襲のP-47を迎撃、これと交戦戦死(零戦)
  小林 晃(戦405 戦闘機)宮崎県上空で
    本土に来襲のP-47を迎撃、これと交戦戦死(紫電)

 奥山寿一君から電話で靖國神社の案内必要との連絡あり。

 機関科同窓会のHPを機55期の大久保君が引き継いで、所要の修正を行っている。リンクしてあるので見て下さい。
by naniwa-navy | 2010-06-06 05:55 | 日記
日記 6月5日 永代神楽祭
6月5日の戦没者
 66年前 昭和19年 なし
 65年前 昭和20年
  渡邊 清實(332空 戦闘機) 兵庫県上空で
    本土に来襲のB-29を迎撃、これと交戦戦死(雷電)

昨4日は靖國神社で永代神楽祭が行われた。
今年の永代神楽祭は昨年の実績にかんがみ、期日を6月1日から6月4日に変更して実施された。
5月のおかしな天気からは考えられないほどの良い天気で、むしろ暑過ぎる感じの1日であった。
今回はなにわ会以外の参拝者は僅かに1組のみで、全員本殿で拝礼することが出来た。参拝者は次頁のとおりで、会員38名(うち懇親会まで32名)、遺族56名(うち懇親会まで29名)計94名であった。
 懇親会は靖國会館において村山 隆君の司会で行はれた。
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最初に、今回全般の面倒を見てくれた上野三郎君の挨拶、
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次いで遺族を代表して伴 辰三様のお言葉があった後、同氏の音頭で献杯、
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伊藤正敬から今後のなにわ会だよりについての説明があり懇談に入った。懇談半ばで井尻文彦君の弟、岡野武弘様のお話があり、
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最期に相澤善三郎君の音頭で声高々に軍歌を歌い、解散した。
 今年は昨年の反省から日にちを変更し、懇親会場を広い部屋に変えたので概ねうまくいったが、ただ二日を間違えて6月1日に参拝された方があったり、日時が分らず問い合わせが随分沢山あった。
今年の返信葉書に来年以降の案内の要非を書いてもらったので、来年からは本日参加された方と返事必要と書かれた次に方(計134名)だけに往復はがきで案内を出すだす事にしたい。
今回欠席の方で案内を出す方は次のとおり。
(兵会員)、右近恒二、岸本一郎、久米川英世、豊田芳夫、中山 皎、樋口 直、平野律郎、堀剣二郎、堀田正元、宮田 実、矢田次夫、
(機会員)上野三郎、野崎貞雄、
(主会員)阿部克巳、亀谷敏明、冨田岩芳、山之内素明
(会友)、岩松重裕、後藤 寛
(兵遺族)秋田 道宏(秋田  稔の弟)、生田 信子(生田善治郎の義姉)、竹内 紀子(石原 輝雄の妹)、横川 康春(上原 庸佑の弟)、小河 伸子(小河美津彦の妻)、藤本 和久(岡田 次夫の弟)、春日 尚子(春日  仁の妻)、
方岡 静子(方岡 勇の義姉)、北村 千代(北村 一三の姉)、後藤 四郎(後藤 一郎の弟)、桐本 香里(篠田 知武の娘)、白井 豊児(白井 利徳の弟)、
田辺 眞次(田辺 光男の弟)、角田 葉子(角田 慶輝の妻)、長尾 達子(長尾栄二郎の妹)、長澤志津子(長澤熊太郎の妹)、溝上  了(溝上 正人の弟)、大場 幸子(宮林 久夫の姉)、森 喜美子(森  一義の妹)、森園 和子(森園 良巳の妻)、古賀 博道(山口 勝己の弟)、山田 一夫(山田 三郎の兄)
by naniwa-navy | 2010-06-05 05:18 | 日記
2010年度永代神楽     深井紳一
なにわ会永代神楽祭に参加してきました。艦爆の東條さんにお目にかかれなかったのが残念ですが、同分隊の旭さん、足立さん、艦爆の山田さん、B-29撃墜の相澤さん、左近充さん、伊藤さんの元気なお姿を拝見でき、また41期飛行学生から大村空へ行かれた村上達氏の弟さん、佐世保空へ行かれた井尻文彦さんの弟さん、634空へ行かれた猪口智さんの妹さんにお目にかかれました。霞空での訓練中に亡くなられた伴弘次さんの弟さんが仰っておられましたが、国防というひとつの目的のための僅か三年の兵学校の生活で、65年経っても強い絆で皆結ばれている事に改めてすごいと思い、またうらやましい気持ちを持ちました。来年も元気にお会いしたいものです。本殿へ行く時はいつも晴れるのは不思議な感じでした。c0130833_19294850.jpg
by naniwa-navy | 2010-06-04 19:30 | 報告
日記 6月4日 永代神楽祭
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今日は6月4日、靖國神社で行われる永代神楽祭の日です。
念のため本日の予定を書いておきます。
集合時刻  13:30
神楽祭開始 14:00
懇親会   靖國会館で神楽祭終了後16:30まで
会費    参拝のみ 500円  懇親会参加 3000円
参加予定者      93名(会員37名 遺族56名)
  うち懇親会参加  61名(会員32名 遺族29名)
参加者名簿 当日会場で配布 

藤井武弘君の奥様 和子様が体調不良で今日の永代神楽祭欠席との連絡がありました。なお寸志として多額のお金が同封されていました。深く感謝します。

竹内 茂君の奥様 あい子様からお手紙頂き、今年の永代神楽祭残念ながら出席出来ません。 そして、ご丁寧に多額のお金が同封されていました。深く感謝します。
by naniwa-navy | 2010-06-04 05:55 | 日記
日記 6月3日
6月4日の永代神楽祭について。
窪添龍輝君から参加可能になったと電話をもらった。
これで
参加者数      94名
参拝のみ     33名(会員 5名 遺族28名)
懇親会まで参加  61名(会員32名 遺族29名)になりました。
この員数で当日配布の名簿印刷しました。

昨日鳩山首相ついに総理辞職を決意しました。次は誰が総理になるのでしょう。こうも総理が頻繁に交替していては国民たまりませんね。まともな政治が出来る訳がない。
by naniwa-navy | 2010-06-03 05:34 | 日記
訂正
5月18日の衣笠君の次の記事を削除しました。
『戦没者 66年前 昭和19年 
衣笠幸夫(追 風駆逐艦) トラック島沖で
 阿賀野乗員を収容帰投中、敵機の雷撃を受け沈没戦死』
衣笠君は昭和19年2月18日に戦死していました。私のケアレスミスでした。
宮田實君ご指摘有り難うございました。
by naniwa-navy | 2010-06-02 16:58 | お詫び
20年6,7月の呉軍港  機、齋藤
宵月は20年の1月末に浦賀ドックにて竣工、2月末に呉に回航。以後11水戦に編入され戦隊訓練に入った。そして呉在泊中最初の空襲に遭遇。4月6日天1号作戦発動され宵月も参加予定であつたが「錬度不足」として除外され、以後呉に在って数度の空襲に最後迄勇戦奮闘した。
3月19日の空襲
米58機動部隊1000機の在泊艦船への空襲
日向、大淀、利根、竜鳳、葛城被爆。宵月には至近弾。他に大和、伊勢、榛名、天城など在泊。宵月は川原石の近くに係留していた。横須賀の時もそうであったが係留されたままの対空戦闘程嫌なものはない。艦は出船の形で係留されており、敵機は北(背後)からの攻撃で高射砲の応戦は不自由な戦闘であった。空襲記録によればこの日の戦死者は日向37名、竜鳳34名、葛城11名となっているが大淀では艦長戦死の他多数の戦死者、又利根にも戦死者があったようである。
私はその後5月15日付で対岸の倉橋島の大浦突撃隊に転じたが、以降の空襲を基地に於いて凝視していた。
6月22日の空襲
B29、200機呉工廠爆撃、1トン爆弾336発投下
当時各艦船は瀬戸内海の各地に分散係留されており呉在泊艦は少なかった。宵月は修理の為工廠岸壁にあり、危機一髪の事態であった。
この日の爆撃で呉工廠は壊滅した。工廠の死者325名、女子挺身隊の犠牲者多数と聞く。
7月1日の空襲
B29、80機呉市空襲、焼夷弾8万発、全市火に包まれ死者1812人と言う。呉は焼尽と化し我々の憩いの二つのレスも消える。
7月24日の空襲
米第58機動部隊戦爆連合870機、呉及び付近の艦艇を銃爆撃。
私は基地の小山より眼下を敵機が突っ込んで行くのを直視する。
7月25日の空襲
米艦載機25機広島・呉近辺の艦船を銃爆撃
7月28日の空襲
米艦載機戦爆連合950機B29. 110機呉付近艦艇銃爆撃
戦後この24.28日の戦闘を「呉沖海戦」と呼称しているようである。この海戦で日向、伊勢、榛名、竜鳳、天城、葛城、青葉、大淀、利根、北上、出雲他の多くがかく座或いは横転。
(後記)
宵月は被害少なく終戦を迎え、その後復員船として最後のご奉公の後賠償艦として中国に。
by naniwa-navy | 2010-06-02 14:54
日記 6月2日
永代神楽祭について。
 昨6月1日、1名のご遺族の方が間違えて靖國神社にお参りに行かれて、今日は海軍兵学校7Ⅰ期の神楽祭の日ですが、72期は6月4日だと言われたそうです。
 次に参加予定の寛応 房子様(機 隆君の妹)は所要発生、欠席に変更。
これで
参加者数       93名
参拝のみ      33名(会員 5名 遺族28名)
懇親会まで参加  60名(会員31名 遺族29名)になりました。

5月のブログを整理してHPに取り込みました。
 
 昨日斎藤義衛君が19年6月の渾作戦、ア号作戦の事を書いてくれましたが、その頃の私の羽黒での行動を書いておきます。
6月2日 渾作戦のため、マノクワリに向けダパオを出撃。
3日 敵機の接触を受け、ビアク奇襲の見込みがなくなり引き返した。
7日 再びダパオ発。ハルマへラに進出。
9日 バチャン着。
11日 バチャン発、サンハギ着。
13日 夜10時過、ア号作戦が発動され、直ちに中部太平洋に向け出撃。羽黒は旗艦の航空母艦大鳳の直衛として行動。
19日 午前8時頃、大鳳は潜水艦の攻撃を受けて右舷前方に魚雷が一本命中。応急修理のうえ、戦闘航海を継続中、逐次被害増大し、14時30分頃遂に沈没。高木滋男、靍田 功(兵)戦死。
 午前11時20分頃、翔鶴に米潜水艦からの魚雷3本が命中、同艦は午後2時10分爆発沈没。小尾清彰、野村 繁(兵)、三田 進(機)、森 茂樹(主)戦死。
20日 空襲により石間正次郎(機)瑞鶴で戦死
羽黒は、大鳳沈没後一時機動部隊の旗艦となった。
by naniwa-navy | 2010-06-02 05:40 | 日記
6月の機関科の戦死(機・齋藤)
19年6月
5月27日米軍はビアクに上陸反攻が開始され、渾作戦発動。私(能代、二水戦)は6月10日大和・武蔵に随伴ビアク砲撃にタウイタウイを出撃するも、あ号作戦発動となり作戦中止反転してマリアナへ。然し戦闘は惨敗に終わりすごすご呉に帰投、お通夜のような呉在泊であった。
能代の甲板から遠望した翔鶴の最後の姿は今尚脳裏を去らない。
この戦いで三田 道(翔鶴)  石間正次郎(瑞鶴)が戦死した。
20年6月13日には沖縄海軍部隊は玉砕し、戦況は日に日に悪化。
 山崎 登(兵器) 比島タルラック西方山中にて戦死
 坂梨 忠(足柄) バンカー海峡にて沈没戦死、機関長他は生還しており彼は何処の配置だったのだろうかと思いを馳せる。
当時私は能代より倉橋島の特潜基地に転じ整備士官の指導に当たっており比島、沖縄の死闘の詳細は詳しくなかつた。機関科の水上艦艇組の多くは特潜基地の整備長要員として陸に。(村山・野崎・阿部・詫摩・吉本・齋藤)
by naniwa-navy | 2010-06-01 09:47
日記 6月1日
 昭和20年6月1日、海軍兵学校72期、海軍機関学校53期、海軍経理学校33期は卒業後僅か1年7カ月半で海軍大尉に進級した。
(少尉候補生6月、少尉6月、中尉7月半)
 昭和19年6月にはあ号作戦があり、その時の戦死者6名を加えて計14名が亡くなっている。
 一方20年6月になると、もう戦局は、押されぱなしで動ける艦艇は殆どなく、生き残った僅かの艦艇も大半は最終場面に備えて、敵の空襲から避けるために偽装していた。動けるのは潜水艦だけ、あとは僅かな航空部隊だけ、艦艇要員の大部分は、潜水艦学生と回天、蛟竜、海竜、震洋等の特攻部隊に配員された。
20年6月の戦没者は艦艇2名、航空部隊5名、潜水艦2名、兵器1名の計10名であった。

 6月4日の永代神楽祭の参加予定者のうち、猪口 勇氏(猪口 智君の弟)が所要発生の為参拝のみに変更。これで懇親会参加者は60名になった。
なお、永代神楽祭は、昨年は6月1日であったが、今年から6月4日(金)に変更されたので間違えないよう注意して下さい。また、時間等の問い合わせがよくある。次の通りです。 
期日6月4日(金) 集合時刻1330  参拝(永代神楽祭)1400  懇親会 神楽祭終了後靖國会館で。
会費 参拝のみ 500円  懇親会まで参加 3000円

 都竹卓郎君から先般の後藤英一郎君の告別式に谷内能孝君が来ていて、彼は府中市の養老院か老人ホーム 「キラメキ府中(電話0423-52-3781 ?)」に入ったと知らせてくれた。彼の住所ご存じの方教えて下さい。
by naniwa-navy | 2010-06-01 06:14 | 日記

by naniwa-navy
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