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なにわ会のブログ

海軍兵学校72期海軍機関学校53期海軍経理学校33期
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日記 7月16日

 兵74期の談話室を毎日1回は覘いています。このクラスは愛好者が多く、投稿者もコメントをいれる方も多く、何時も羨ましく思って見ています。先日、1月から長期入院していた川田隆一君の退院報告の記事がありました。その記事に対し、次の14名の方がコメントを書いていました。
松本春久、 小宮山玄二 、 井上洋一、 渡辺浩 、伊東清人、 是枝益彦、 重谷由美、 三上博康、 高田 忠 、工藤昭一 、 森本伊三男 、 高野 准 、 阿部一孝 、武田泰忠 の諸兄
 次の文章は其のうちの一つ、森本伊三男君のコメントです。森本君は終戦後の復員輸送の時私と同じ艦で勤務していた後輩です。
『コメントが殺到していました。川田兄、無事の退院おめでとうございます。1月28日発症以降の生々しい経過を読ませてもらって、体が凍りつきました。自分だったら到底耐えられなかっただろうと、貴兄の精神力・潜在体力に唯々驚嘆しています。その間の奥様のご献身・ご心労は如何ばかりだったろうと、お察し申し上げます。何はともあれ、折角延長してもらった寿命です、大事に大事にして下さい。十分に恢復してから、ゆっくり談話室に再登場されるよう、遥か西の空から祈っています。』
 川田君は海上自衛隊時代の昭和46年、私が第10護衛隊司令の時のむらさめ艦長であって今もメール交換している仲です。無事生還本当におめでとうございます。
 この談話室の主な投稿者は小宮山玄二、 渡辺 浩 、 森本伊三男 、 松本春久 、 三上博康 、松本春久 、武田泰忠 、是枝益彦 、花輪幸衣、川田隆一 、中村 慶典、山本 康子で、毎日誰かが投稿されていてとても賑やかで羨ましく思っています。
 先日自称特4号の田島明朗様がこのブログにコメントを頂きました。とても嬉しかった。投稿でもコメントでもどんどん書きこんで頂けることを願っています。内容は近況でも、会員の情報でも、或いはなにわ会に対する提案やご意見でも、何でも結構です。ブログに書きこむのは大変だと言われる方は私宛メールで頂けばその方の名前でブログに転載しますので、ご協力よろしくお願いします。
by naniwa-navy | 2010-07-16 06:11 | 日記
日記 7月15日
昨14日は葉山CCで行われている大正会ゴルフコンペに参加しました。梅雨時期ですので雨が心配されましたが、雨は明けがたで止み、少し風もあってそんなに暑くなく7月にしては最高のゴルフ日和でした。
今日はアプローチがすべて良くてショートホール4個のうち3個でパーが拾え、久し振りで100でまわり、ネット64で優勝出来ました。とても嬉しいので報告します。
by naniwa-navy | 2010-07-15 05:56 | 日記
日記 7月14日
 長い間見ていたわが家のテレビ遂にダウン。昨日新品を購入した。
前のテレビ、随分高かったが、今度のテレビ、驚くほど安くなっている。
これで来年以降の地デジにも対処出来る。
もうこれ以上テレビを買い換える事は無いと思う。
 今年の梅雨、九州、中国地方の大雨、各地で大きな被害が出ている。
その地方にお住まいの会員の皆様。異常ありませんか。
by naniwa-navy | 2010-07-14 04:39 | 日記
日記 7月13日
 7月11日に行なわれた参議院選挙で、民主党の獲得議席は44議席に留まり、自由民主党を7議席も下回った。非改選議席と国民新党の議席を含めて、参議院で過半数を確保できなかった民主党は、いよいよ政策運営において苦戦を強いられることになった。
 当初予想されていた通り、民主党の政策運営が岐路に立たされる可能性が、いよいよ強まっている。
 これで、前回参院選後の自公連立政権と同じ立場に置かれたわけだが、昨年夏まで自公政権は衆議院で3分の2の議席を確保していたために、重要法案が参議院で否決されても衆議院で再可決する道があった。しかし、今の民主党連立政権は、社民党が連立を離脱した時点で衆議院における「3分の2」を失っているために、この手段をとることができない。
 このため、今後、民主党は、自民党、公明党、みんなの党といった各党との政策協議を呼びかけなければならないが、野党がこれに応じず、「直近の民意に従うべき」として、衆議院の早期解散総選挙を求めてくる可能性がある。
 果たしt今後の国政はどうなるか。困った問題である。
by naniwa-navy | 2010-07-13 06:13 | 日記
日記 7月12日
 昨日の参議院潜の結果の報道されている。民社が減少、自民が善戦、みんなの党が大躍進している。
なにわ会だより第3号の校正を都竹卓郎、窪添龍輝両君から頂き、所要の修正を行っている。
by naniwa-navy | 2010-07-12 02:42 | 日記
日記 7月11日
昭和20年7月9日に戦死した上嶋 逞志君(戦407 戦闘機)のことを9日の記事に記入していなかったので追加記入した。

22年6月のブログを整理してHPにとりこんだ。
by naniwa-navy | 2010-07-11 05:26 | 日記
日記 7月10日
沖縄に進出の途中戦没した第1回天隊(隊長河合不死男)の記事をHPに取り込んだ。
なにわ会HPにある「忘れ難い人たち」 河合不死男(http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-kawai-konada1.html)には、河合隊長以下便乗中の第一回天隊は127名全員が戦死、輸送艦の乗員225名も全員が戦死したとなっているが、公式記録には沖縄の陸上戦で戦死したとなっているものもいる。

平成22年 海軍機関学校・海軍兵学校舞鶴分校 三浦半島地区同窓会が、7月1日横須賀中央セントラルホテル 5Fサファイヤの間で行なわれ、47期平川先輩を初め37名が集まった。機53期からは村山 隆、野崎貞雄の両君が参加していた。
左から、野崎 貞雄、村山 隆、寺尾善弘(機52期)
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この会は今年で47回目となったが、最も若いクラスも80歳を超え、老齢、会合に出るのも大変な状況になって来た。
そして、『三浦地区同窓会は昭和39年の設立開始からから今年で47回目にあたりますが、かつて100名を越えていた出席者もだんだん減少しここ10年間では50名前後で経過しておりました。特に今回は常に出席していた常連の方の欠席も目立ち40名を切りました。過去にも会の継続困難、そして会の取りやめが議題になることもありましたが、世話係の交代により会の継続が計られました。近くは平成18年同窓会の了解事項として、「今回を含め、あと3回を限りとしその後は成り行きまかせ」となりました。
昨年は4回目となりますので、なりゆきとして実施されたと私は了解しております。 今回の世話係の辞任もいろいろ事情はありますが、つまるところこの会の世話係も高齢化して継続困難ということです。このような事情から来年の同窓会は後継者が見つからないかぎり実施できないということになります。後継者が決まらないまま辞任するのはまことに申し訳なく遺憾なことでございますが、あえて皆様のご了承を得たいと思います。』と世話係から挨拶があった。

74期訃報
山下 哲 様(1学年41分隊) 平成22年6月18日 没
by naniwa-navy | 2010-07-10 05:39 | 日記
日記 7月9日
7月9日の戦没者 66年前 昭和19年 なし 
65年前 昭和20年 上嶋 逞志(戦407 戦闘機)大村湾で
B-29迎撃のため出撃、敵機と交戦戦死(紫電)

戦記のHPのうち、潜水艦及び回天に関する目次を整理した。チェックしてみてください。
by naniwa-navy | 2010-07-09 04:53 | 日記
日記 7月8日
今から66年前の昭和19年7月7日はサイパンの日本軍が玉砕した日である。
昭和19年6月11日、アメリカ軍艦載機1,100機によるサイパン島に対する奇襲的な空襲が行われ、13日からは戦艦8隻、巡洋艦11隻含む上陸船団を伴った艦隊がサイパン島に接近、砲弾合計18万発もの艦砲射撃が開始された。これにより日本の陣地は半壊し、サイパン基地の航空機150機のすべてを失った。
15日7時、アメリカ軍は上陸を開始し、19時までに海兵隊2万名以上の上陸が完了した。
19日、「あ号作戦」で出撃した日本機動部隊はマリアナ沖海戦で大敗を喫した。2日間で艦載機400機を失い、帝国海軍航空部隊は無力化された。これによりマリアナ諸島の日本軍は救援の望みを絶たれた。
7月7日、日本軍は完全に追い詰められた。斎藤中将は残存部隊約3000名に総攻撃を命じ、陸海軍によるバンザイ突撃が行われた。米軍は日本兵の捕虜からこの攻撃の情報を得ており、陣地を築いて待ち構えていた。この戦闘で米軍に死傷者658名の損害を与えたが、日本軍はほぼ全滅した。翌日戦場は「死の谷」と呼ばれるほど、両軍の死体が累累と積み重なっていた。南雲中部太平洋方面艦隊司令長官を始め指揮官など残りは自決し、少数は降伏したため、事実上サイパン島の日本軍は全滅した。7月9日にターナー中将はサイパン島の占領を宣言した。
この戦いにおける戦死者党は次のとおりであった。
日本軍 戦死 25,000、自決 5,000、捕虜 921
米 軍 戦死 3,500、 戦傷 13,160
そして7月8日
今井 義幸、上原 庸佑(55警 警備隊)はサイパン島で敵上陸部隊と交戦後玉砕戦死した。
 65年前の昭和20年はなし。
by naniwa-navy | 2010-07-08 05:01 | 日記
日記 7月7日
1937年(昭和12年)7月7日に盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)が起った。
これは、北京(北平)西南方向の盧溝橋で起きた日本軍と中国国民革命軍第二十九軍との衝突事件である。
この事件は日中戦争(支那事変)直接の導火線であり、その延長戦上に大東亜戦争があった。

7月7日の戦没者
 66年前 昭和19年
里村 保(玉波 駆逐艦) マニラ南方で
 船団護衛中、敵潜の雷撃を受け沈没戦死
鈴木満男(薄雲 駆逐艦)オオツック海で
 船団護衛中、敵潜の雷撃を受け沈没戦死
 65年前 昭和20年 なし
by naniwa-navy | 2010-07-07 05:21 | 日記

by naniwa-navy
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