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なにわ会のブログ

海軍兵学校72期海軍機関学校53期海軍経理学校33期
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本の紹介
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  左近允尚敏君が中央公論新社から「捷号作戦はなぜ失敗したのか」
 「レイテ沖海戦の教訓」という本を発刊された。
 この本は、「レイテ海戦は大日本帝国の“鳥羽伏見”とも言うべき大決戦だった。充分な準備にも関わらず日本はなぜ負けたのか。海戦に参戦した著者がその真因と全貌を描き、失敗の意義を問う」と紹介されている。
 初版発行日2010/10/25  判型四六判  ページ数440ページ 
 定価3360円(本体3200円)
by naniwa-navy | 2010-10-24 06:08 | お知らせ
日記 10月24日
66年前の昭和19年10月24日
 第1遊撃部隊(栗田艦隊)
  1026 第1次対空戦闘 「武蔵」に魚雷1命中。妙高に魚雷1命中戦列離脱
  1206 第2次対空戦闘 「武蔵」に魚雷3、爆弾4命中。
  1330 第3次対空戦闘 「武蔵」に魚雷5、爆弾4命中。
  1430 第4次対空戦闘 「武蔵」に魚雷5、爆弾4命中。
  1459 第5次対空戦闘 武蔵」に魚雷11、爆弾10命中。
  1530 西方に反転 一時空襲を避ける
  1714 東方に再反転
  1935 「武蔵」魚雷、爆弾、至近弾を多数を受けて遂に沈没。 
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 志摩艦隊
  コロン湾出撃
 
 西村艦隊
  米艦上機27機来襲、
  栗田艦隊に、25日0400突入の予定と打電
  「時雨」魚雷艇3隻発見 同時に射撃開始

 小沢艦隊
  0600 予定地点に到達 索敵機10機発進
  1145 攻撃隊76機(実動58機)発進
  1305 「瑞鳳」「千歳」「千代田」攻撃隊、グラマン戦闘機と空戦
       攻撃隊は敵空母発見できず3機のみ帰投
  1350 「瑞鶴」攻撃隊敵空母発見、正規空母と軽空母各1隻に命中弾
           (実際は米空母に損害なし)
  1515 航空戦艦「日向」「伊勢」以下は主隊から分離、牽制行動

10月24日の戦没者
 西岡 弘(攻5 偵察)比島沖で敵機動部隊に突入戦死(彗星)
 森多久二(901空 艦攻操)比島沖夜間索敵中、敵機と交戦戦死(九七大艇)
 吉富 清(戦317 戦闘機)敵機勤部隊を攻撃した後、消息を絶つ(零戦)
 相沢 昇(戦804 偵察)敵機動部隊と交戦戦死
 小岩井博(豊橋空 陸攻操)豊橋空より比島作戦に参加、交戦戦死(一式陸攻)
 幡井重丈(攻702 偵察)比島アゴーで敵機と交戦戦死(一式陸攻)
  (武蔵は沈没したが、なにわ会会員の戦死者なし。
      野村治男、山元 奮、村山 隆(機)は生還)
 
by naniwa-navy | 2010-10-24 05:53 | 日記
日記 10月23日
10月23日
 第1遊撃部隊(栗田艦隊) 潜水艦の雷撃により
  0632 「愛宕」に魚雷4命中、0653沈没。(重森光明 戦死)
       栗田長官「大和」に移乗 旗艦変更
  0633 「高雄」に魚雷2命中 大破。駆逐艦「朝霜」と「長波」水雷艇「鵯」に護衛されブルネイに後退。
  0657 「摩耶」に魚雷4命中、0708 沈没(東郷良一 戦死)

 志摩艦隊コロン湾着。油槽船を発見できず、巡洋艦から駆逐艦に燃料給油。

 市川  繁(攻5 偵察) 比島沖で敵機動部隊に突入戦死(彗星)
by naniwa-navy | 2010-10-23 04:51 | 日記
日記 10月22日
10月22日
第1遊撃部隊
 0800 栗田艦隊 ブルネイを抜錨 夜半パラワン水道の南口に到着
 1530 西村艦隊 ブルネイを抜錨、出撃

 66年前の戦没もの
  池上勝也(佐伯空 偵察)九州南方海面で索敵中敵機の攻撃を受け戦死

 東京クラス会
   参加 安藤昌彦(累計33名)
by naniwa-navy | 2010-10-22 05:14 | 日記
日記 10月21日
66年前の10月21日
 日本軍第二遊撃部隊(巡洋艦3隻基幹、通称志摩艦隊)が馬公を出撃。フィリピン、ルソン島マニラへ向かう。
 この日の朝、始めて海軍の神風特別攻撃隊は各地から出撃したが、天候不良などで会敵出来ず。
by naniwa-navy | 2010-10-21 05:13 | 日記
日記 10月20日 米軍レイテ上陸
10月20日
 米軍レイテ上陸
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 この日午前10時、アメリカ側は第10軍団の第24師団と第1騎兵師団がレイテ島東岸のタクロバンに、続いてその南方約27キロのドラッグに第24軍団の第7師団と第96師団が上陸を開始した。レイテ島南端のパナオン島地区にも第24師団の第21歩兵連隊戦闘団が上陸した。
 日本の第16師団は約2万名の兵力を擁していたが、わずか1時間の戦闘で奥地のジャングルへ後退した。これはサイパン島の戦いのような「水際死守」で多くの兵士を緒戦で失った苦い戦訓から、後方のジャングルでの抵抗線形成が日本軍の作戦となっていたからである。第16師団の他の日本軍部隊は、内陸のブラウエン飛行場周辺やダガミなどに主防衛線を展開した。これによりタクロバンなどの海岸地帯の飛行場の多くはアメリカ軍占領下となった。アメリカ軍もほとんど水際での抵抗を受けなかったと記録されている。しかし、米国の第24師団に対してだけは激しい水際反撃があった。
 日本軍歩兵第33連隊は第一波の上陸は無視して、第二波を引きつけた時点で猛烈な射撃を開始し、戦車揚陸艦4隻に砲弾を命中させ、うち1隻を炎上させた。これにより師団司令部が多くの死傷者を出した。第7師団なども、ジャングルに橋頭堡を拡大しようとすると抵抗を受けはじめた。
 午後3時、南西太平洋方面連合軍司令官ダグラス・マッカーサー大将は第3次上陸部隊とともに膝まで水に浸かりながら、タクロバン海岸に上陸した。それはマッカーサーがコレヒドール島を脱出してから2年7ヵ月後のことであった。
 夕刻までにアメリカ軍は兵員6万名と10万トンの車両、物資をレイテ島に揚陸した。アメリカ軍の初日の損害は死傷250人であった。

 11時、日本の第一遊撃部隊はブルネイに入泊開始。直ちに給油する予定だったが、油槽船の到着が一日遅れたため、以後の行動予定に大きく影響した。
by naniwa-navy | 2010-10-20 05:35 | 日記
日記 10月19日
10月19日
 昭和19年のこの日、小沢中将指揮の日本軍第三艦隊(空母4隻《瑞鶴、千代田、千歳、瑞鳳》・戦艦2隻《伊勢、日向》基幹、巡洋艦3隻《多摩、五十鈴、大淀》駆逐艦8隻《槇、杉、桐、桑、初月、若月、秋月、霜月》)が瀬戸内海を出撃した。

 昨18日リンガを出撃した第一遊撃部隊(戦艦7隻《大和、武蔵、長門、金剛、榛名、山城、扶桑)、巡洋艦13隻《愛宕、高雄、摩耶、鳥海、妙高、羽黒、能代、鈴谷、熊野、利根、筑摩、矢矧、最上》駆逐艦19隻《早霜、秋霜、岸波、沖波、朝霜、長波、浜波、藤波、島風、浦風、磯風、雪風、浜風、清霜、野分、山雲、満潮、朝雲、時雨》はブルネイに向け航行中であった。
by naniwa-navy | 2010-10-19 05:18 | 日記
日記 10月18日 戦後物故者数
10月18日
 66年前の昭和19年のこの日、栗田中将指揮の日本軍第一遊撃部隊(戦艦7隻基幹、通称栗田艦隊)はリンガ泊地を出撃、ブルネイに向った。

 昨日のブログで生存者が少なくなって淋しいと書いた。そこで海軍兵学校72期について戦後物故者の推移を調べて見た。
 昭和が終わる65歳までの戦後約43年間に亡くなったものは38名で、1年平均0.8人であった。
 平成に入ってから平成14年の79歳になるまでに亡くなったものは、1年平均4.5人であり、
 80歳から85歳までに亡くなったものは、1年平均7人であった。
 そして、昨年86歳では1年間に亡くなったものは、一気に17名と急増した。
 87歳の今年は10月までに9名亡くなっており、昨年よりは少ないがやはり増加している。

 これから年と共に亡くなる員数は当然増加していくと予想されるが、お互い健康に気をつけて長生きしましょう。果たして何名の会員が100歳の峠を超えられるでしょうか?
各年の物故者数は次の表のとおりである。
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 生存率 全員は卒業生625名に対する生存者の比率、復員者は終戦時生き残って復員した290名に対する生存者の比率である。
 なお、厚生労働章発表の平成21年簡易生命表によれば、80歳の生存率は58.5%で、85歳の生存率は40.9%で、72期の復員後生存率は80歳では4.3%、85歳では9.8%多い。100歳の生存率は1.8%だから72期の者5名前後が生きながらえるであろう。
by naniwa-navy | 2010-10-18 05:00 | 日記
日記 10月17日
10月17日の戦没者
 住田冨士男(戦316 戦闘機) 台湾方面で来襲の敵B-29を迎撃、これと交戦戦死(零戦)

 なにわ会だより第3号4頁に次のように書いた。
 「4号以降のなにわ会だよりは樋口 直君提案の情報を簡単なプリントで希望者のみに配布する。情報配布希望者は同封の振込用紙で年会費として、毎年、会員(有志会員も同じ)2000円、遺族会員1000円を振り込んで下さい。 なお、年齢から考えて何時まで続けられるか分らないので年会費とした。」
 現在まで振り込まれた方は、会員40名、戦後物故者遺族25名、戦没者遺族30名、合計95名である。会員のうちまだ振りこんで頂けない方が109名も居られる。この109名の名前を見ると、振り込まれて当然と思われる方が随分居られるようである。最近振り込まれて、会計担当の窪添龍輝君からまだ連絡を頂いていない方もあると思われるが、まだ、振り込んでいない方は至急振り込んで頂きたい。振込用紙が見当たらない方はご連絡頂けば送付します。
 ついでの時でも各員の連絡網の連絡先の会員にも一言連絡いただければ゙有り難い。
 4号以降のなにわ会だよりは納入された方だけに送りますので、印刷部数決定の為にも早く概数を知りたいので、ご協力宜しくお願いします。

 昨日上野三郎君が1号の時の16分隊会の記事を送って頂いたのでブログに掲載した。その文中に、なにわ会のブログを他のクラスの方が読んで頂いている事があり、ブログの管理者としてとても嬉しかった。
 なお文中に会員の生存率が24%と少なくて淋しいとあったが、我々が入校した時の分隊で生存者0と言う分隊(15分隊)がでてきた。また4号(72期) 0の分隊は4.9.15.25分隊と4個分隊でてきた。淋しい限りである。
by naniwa-navy | 2010-10-17 07:23 | 日記
16分隊会      上野三郎
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 昨10月15日最後の16分隊会がグランドヒル市ヵ谷で行われた。出席者僅か4名と淋しかったが色々の思い出話で話題が尽きなかった。
 会自身は私が関西から鎌倉に移り住んでから始まったので10回と開催回数は少ないが、同分隊員の消息を知り絆を強めるにはいい機会であった。
 会話の中で出席者よりなにわ会のブログは充実しており読むのが楽しい等と話題の一つになり、広がりの広いのには感心した。分隊会は小人数で恥ずかしいがこの様に関心を持っている人の事を思い投稿する
事にした。
 16分隊会の員数的な推移を表にすると下記のようになり、現在の生存率は24%と残念ながら低い。
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分隊会の欠席は大半が健康的な理由であった。
by naniwa-navy | 2010-10-17 05:44 | 報告

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