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なにわ会のブログ

海軍兵学校72期海軍機関学校53期海軍経理学校33期
<   2011年 04月 ( 36 )   > この月の画像一覧
日記 4月14日
4月14日
この日の戦没者 66年前 昭和20年
 土井 秀夫(6艦隊司令部付 回天)
 回天特別攻撃隊多々良隊として沖縄沖の敵艦に突入戦死(伊44より発進)

 福島 誠二(6艦隊司令部付 回天)
 回天特別攻撃隊多々良隊として南西諸島周辺海面の敵艦に突入戦死(伊56より発進)

 小灘利春君の「南海の底に逝った福島誠二」という ↓ の記事がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-fukusima-konada1.html

 粕谷 仁司(205空 戦闘機)
 神風特別攻撃隊第10大義隊として沖縄周辺海面敵艦に突入戦死(零戦)

 山田  穣君の「粕谷仁司兄の墓参」という ↓ の記事がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-kasuya-yamada1.html

合原  直(大村空 戦闘機) 
神風特別攻撃隊第2神剣隊として沖縄慶良問列島沖の敵艦に突入戦死(零戦)

 三好 文彦君の「合原 直君の出撃」という ↓ の記事がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-gouhara-miyosi.html

 矢尾 正衛(佐伯空 偵察)
 基地発進、対潜哨戒に向い、九州南東海面で敵機と交戦戦死

 三輪 和子様の「72期と27期」という ↓ の記事がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-yao-.html

この日の戦後物故者なし

 12日の記事について小灘さんからコメントを頂いた。

 先日HPに取り込んだ教班別写真について、杉田繁春君から所見を頂いたので、一部写真を入れ替えた。
by naniwa-navy | 2011-04-14 05:39 | 日記
日記 4月13日
4月13日
この日の戦没者 66年前 昭和20年
 古川 次男(呂64 潜水艦)
 教務のため潜航訓練中、広島湾で敵敷設の機雷に接触沈没(戦死認定)
 田島 明郎様の「かくも厳しいものか 呂64潜航海長古川次男大尉の令兄 」という↓の記事がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-furukawa-tajima.html

 満田  茂(205空 戦闘機)
 神風特別攻撃隊第9大義隊として台湾東方海面の敵艦に突入戦死(零戦)

この日の戦後物故者
 西尾  豊 平成21年4月13日逝去
by naniwa-navy | 2011-04-13 04:51 | 日記
日記 4月12日
4月12日
この日の戦没者 67年前 昭和19年
 山科  享(千歳 空母) 
 内海西部で艦上機の着艦訓練中、着艦指揮所において着艦してきた飛行機と接触し殉職

        66年前 昭和20年
 上田 清市(352空 戦闘機)
 制空隊として沖縄中城湾敵戦闘機と交戦戦死(零戦)

 野上 祝男(攻708 陸攻操)
 第3神風桜花特別攻撃隊神雷攻撃隊として沖縄周辺海面の敵艦に突入戦死(一式陸攻)

 中西 達二(百里原空 艦攻操)
 神風特別攻撃隊常盤忠華隊として沖縄周辺海面の敵主力艦に突入戦死(九七艦攻)

 『中西達二の手紙』という ↓ の記事がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-nakanisitatuji1.html

 「故中西達二君の坂元中尉あての手紙」という ↓ の記事がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/iboku-nakanisitatuji1.html

 片山 市吾(302空 戦闘機)
 制空隊として基地出撃、奄美大島で敵戦闘機と交戦戦死(零戦)

 寺村 純郎様(71期)の「片山 市吾君を偲ぶ」という ↓ の記事がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-katayamaitigowosinobu-itimura1.html

 片山 市吾君本人の記録 「市吾の青春」という ↓ の記事がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/iboku-katayamaitigo1.html

 「片山市吾君から水谷潤君への手紙」という ↓の記事がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/i boku-katayama-mizutani1.html

 橋本 達敏(戦301 戦闘機)
 制空隊として基地出撃、喜界島上空で敵戦闘機と交戦戦死(紫電改)

 橋本 一成様の「紫電故で散華した兄 海軍大尉 橋本達敏」という ↓ の記事がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-hasimototatubinn-hasimoto1.html

 滝沢 昌彦(381空 戦闘機)
 鹿屋から上海経由南方へ展開のため、空輸の途次、燃料系統故障し、上海方面で不時着戦死(零戦)

 田中たくみ(元山空 戦闘機)
 神風特別攻撃隊第2七生隊として南西諸島周辺海面敵艦に突入戦死(零戦)

 小林 俊雄(大村空 戦闘機)
 制空隊として基地出撃、南西諸島方面敵戦闘機と交戦戦死(零戦)

 奥原新次郎(谷田部空 戦闘機)
 制空隊として基地出撃、南西諸島方面敵戦闘機と交戦戦死(零戦)

 沖縄戦の真最中、神風特攻での戦死3名を含み1日で8名も戦死した。

この日の戦後物故者。
 小野 義一 平成21年4月12日逝去

 4月6日のブログに書いた「5月14日(土)14時より神奈川県民ホール小ホールで行われるピアノ協奏曲コンサート~プロオーケストラと共に(古典派編)」の指揮者『中島良能先生』について次の情報を小灘さんから頂いた。
 『中島良能先生の父親は海軍兵学校五十二期生の中島湊氏(戦死後大佐)である。
 中島湊氏について『江田島健児の歌』作成について次の記録がある。
 この歌は生徒に募集を呼び掛け、100以上の応募があり、神代猛男の作詞したものと中島湊の作詞したものとが最後まで争われ、神代猛男の作詞したものが選ばれて『江田島健児の歌』となり、各期の全生徒から愛称されるようになった。中島湊のものは今は残っていない。
中島湊も優れた詩才の持ち主だったらしい。 その後も彼は、いろいろな歌の作詞をしている。
 その一つが、「勅諭下賜記念軍歌」で、これには海軍軍楽隊で中尉だった内藤清五が曲をつけ、ひろく歌われた。 また、昭和十八年八月、海軍通信学校が田浦から久里浜に移転した際も、当時少佐で、教官だった中島が、『海軍通信学校校歌』として作詞し、全生徒に愛唱された。
中島は大正十三年七月に兵学校を卒業、大尉時代に『軍人勅諭下賜五十年記念歌』をつくった。
 少佐時代の通信学校の教官の時に「海軍通信学校校歌」を作った。
 この中島の息子が今回の指揮者中島良能先生である。』
by naniwa-navy | 2011-04-12 04:51 | 日記
日記 4月11日
4月11日
この日の戦没者 67年前 昭和19年
 登丸 肇(秋雲 駆逐艦)
 比島南方サンボンガ沖で敵潜の雷撃を受け沈没戦死

        66年前 昭和20年
 入佐 隼人(攻703 陸攻操)
 洋上夜間索敵中、九州南方洋上で敵夜間戦闘機と交戦戦死(一式陸攻)

この日の戦後物故者
 古川 嗣郎 平成2年4月11日逝去

 白根 行男君の「アメリカ人古川の死」という ↓ の記事がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-furukawa-sirane1.html

 大津 懿徳 平成3年4月11日逝去
 村山  隆君の「大津懿徳君を悼む」という ↓ の記事がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-ootsu-murayama1.html

 飯田 武二君の「大津への弔辞」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-ootu-iida1.html

 阿部 達君の「大津懿徳君の葬儀に参列して」という ↓ の記事がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/bukko-ootsu-abe1.html

泉 五郎君から「東電原発事故雑感」という投稿記事を頂いて嬉しかった。
by naniwa-navy | 2011-04-11 05:11 | 日記
東電原発事故雑感    泉 五郎
光と影、明と暗。
 光は暖かく、闇は冷たい。
 人間は希望の光に歓喜し、絶望の闇に打ちひしがれる。
然し人間は常夏の国も万年雪の極地にもそれなりに春夏秋冬の移ろいを感じ、それなりに耐えて生き延びてきた。そして又人類は火を手にすることによって万物の霊長としての文明社会を築きあげてきた。
 一方地上の動物である人間は餌を求めて山野はおろか水の中まで進出、更には好奇心にかられて大空まで舞い上がり、挙句の果てには天空に輝くお月様にまで出かけた。そして今や人工衛星まで打ち上げ、月ならぬ地球を眺めて人類が宇宙で何ヶ月も暮らすことが出来るようになった。更には果てしない宇宙探検という壮挙を企てる。これらは文明の光り輝く一面である。
 然しその反面第二次世界大戦では瀕死の日本が、もうこれ以上戦う能力も無く降伏の道を選ぼうとしていることを知りながら米国は広島、長崎へ二発の原子爆弾を実験的に投下した。これは如何に弁明しようとも人類に対する戦争犯罪として、これ以上の残虐行為は空前のものであつても絶後のものでなければならない。幸い人類は原子力については殺傷兵器としての一面には封印を施し、専ら平和的エネルギーとして活用しようとしているかに見える。然し、原子力空母や潜水艦の存在は厳然たる事実で、それに搭載された核兵器は終末戦争への禁断の木の実であると言えよう。とは言うものの、今や日本はその消費する膨大な電力を維持するため、平和的利用と称して原子力発電に踏み切った。その電力のお陰を蒙りながら一方で我々が、「原子力発電はパンドラの函に収められたこの禁断の木の実を、だましだまし盗み食いしているようなものだ」と非難することは些か面映い。然し、我々老耄(ろうもう)にとって世界がこれ以上の物質文明に毒されてゆくのも誠に忍び難い。尤も、それでは未開発地域の住民にとって不公平ではないか!という問題があるのは言うまでもないし、勿論彼らにそれを強制することも出来ない。然し、夜の空から眺める日本は海の上に光り輝く不夜列島か!その列島を行く車のライト正に光の脈流である。然し今や世界は多少の効率を犠牲にしても、従来の水力発電に加えて太陽光や風力という自然エネルギー型発電に回帰しその改良改善に努力すべきである。

 福島原発問題は国難であって一東電の問題ではない。それも人為的なものではなく多分に天災的な要素が多い。然し地震国日本の歴史的現実や地理的要因を考えれば、その地震やそれに伴う津波対策について国も東電も、その規模が想定外大きさであつたという弁明では絶対にその責任を免れることは出来ない。 
 原発被災は単なる建造物の地震被害とは基本的条件に絶対的な相違がある。そもそも原点において原発は震災被害そのものが許されないのである。我々素人にとって最近多発する世界的大地震による津波被害の惨状を考えれば、海岸に近接して建設された原発の地震並びに津波対策が斯くも脆弱なものであつたとは誠に信じがたい無責任さである。
 重ねて言うが「今回の如き大地震や大津波は想定の限度を遥かに超えていた天災である」という弁明は絶対に許されない。然し、毎日のテレビ放映ではお役人も東電の人間も、まるで他人事のような態度で素人には全く理解し難い数字や言葉を羅列するばかりである。それが一体どれほどの環境汚染をもたらし、特に人間や動植物にどのような連鎖的悪影響を及ぼすかについては、甚だ説明不足と云わざるを得ない。それも説明の主役は間接的当事者である監督官庁のお役人で、直接最大の責任者である東電の社長は病気と称して姿を現さない。
 東電と官僚のぴったりと息の合った見事なお芝居で、被災者ならずとも許しがたい態度ではなかろうか?
 この非常事態に際し自ら陣頭指揮に立てないない社長がのうのうと入院治療とはあきれ果てて開いた口がふさがらない。東電は社長の個人商店ではない!

 東電社長は全退職金を被災者に提供して直ちに職を辞すべきある。事業にどれほど公共性をあろうとなかろうと、天災であろうとなかろうと、そんなことは問題ではない。

 それにしてもこれだけの大惨事に遭遇しながら東北人の見せる温和にして友愛に富み、しかも不屈不倒のたくましい人間性にはただただ驚嘆あるのみ。とてもじゃないが頭が上がらない。天を恨まず人を妬まず、この未曾有の災難逆境にあっても崩れない郷土愛は何処から生まれたのであろうか。そして又、全国各地から寄せられた人的、物的の温かい支援の輪、特に戦争を知らない若者たちの意外な同胞愛、人間味には、戦後の個人主義教育でマナーの低下を嘆いていただけに目から鱗が落ちた思いである。

 今は只、これ以上被災者を悩ますことだけは止めてほしい。そして一日も早い復興援助の具体的政策が実施されることを望むばかりである。
by naniwa-navy | 2011-04-11 05:00 | 意見
日記 4月10日
4月10日
この日の戦没者 67年前 昭和19年
 鈴江 理(神ノ池空 戦闘機)
 飛行学生として訓練中、鹿島灘に墜落殉職 (零戦)

        66年前 昭和20年
 森山修一郎(戦316 兵 器) 
 兵器分隊長として、ルソン島ヒナツボ山中の比島上陸軍に斬り込み突撃戦死
 
 森山本人の海兵受験当時の日記(昭和15年) ↓ の記事がある。http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/iboku-moriyamasyuuitirou-kaiheijyuken1.html

 若松 禄郎君の「森山修一郎君37回忌」 ↓ の記事がある。http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-moriyama-wakamatu1.html

 村島 保二君の「森山父君あての手紙」 ↓ の記事がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-moriyama-murasima1.html

 白根 行男君の「森山修一郎君に捧げる」という ↓ の記事がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-moriyama-sirane1.html

この日の戦後物故者なし

 6月4日の永代神楽祭の出欠の葉書、4月9日までに受領したのはつぎのとおりである。
懇親会迄参加 
会員 15名
足立 英夫、相澤善三郎、旭   輝雄、泉   五郎、伊藤 正敬、
上野 三郎、小林   勝、左近允尚敏、松下 太郎、山下   誠、
金枝 健三、斎藤 義衛、村山   隆、窪添 龍輝、高田 俊彦、
遺族会員 9名
猪口  勇、牛尾佐和子、牛尾 和子、木村  靖、伴  弘次、
伴  久子、深井 紳一、村上 典夫、村上美智子

参拝のみ参加  
会員 1名
平野 律朗、
遺族会員 10名
稲葉千恵子、杉坂 智男、高橋 義也、高橋 光子、武井 保憲、
中澤 恒夫、元山 和子、木原 雅子、井ノ山隆也、井ノ山智恵子

合計 懇親会迄参加 24名   参拝のみ参加 11名  計35名

欠席 12名
会員 6名
足立 喜次、右近 恒二、佐藤  静、宮田  實、山之内素明、
岩松 重裕
遺族会員 6名
横川 康春、柿崎 珠見、北植 正實、後藤 四郎、藤井 和子、
森園 和子
by naniwa-navy | 2011-04-10 05:21 | 日記
日記 4月9日
4月9日
この日の戦没者・戦後物故者ともになし。

 杉田繁春君から要旨次の手紙と写真を送って貰った。
「なにわ会HPの戦没者墓地写真73枚を見ました。写真と説明がウマク纏められていてこれを見る人には良いガイダンスになるのではないかと思います。これを誰よりも喜び感謝しているのは73名の戦没期友とそのご遺族様ではないかと推察する次第です。
 その墓参の際、ご遺族様に差し上げた参考資料の一つが第3学年時の教班別写真のコピーでした。」
 
 そして、次のような教班別写真12枚が同封されていた。
日記 4月9日_c0130833_4505665.jpg

 この写真はバイパスニュース2号と3号に掲載されていたものである。私はこんな写真のあったことを忘れていたので、これら12枚の写真をHPに取り込んだ。写真には戦没者には赤色、戦後物故者には緑色でマークされている。
by naniwa-navy | 2011-04-09 04:51 | 日記
日記 4月8日
4月8日
この日の戦没者・戦後物故者ともになし。

平成23年4月7日 湘南歩こう会が行われた。(上野三郎)
 東日本大地震で色々の自粛ムードの中、少々気がひけるが、本日の歩こう会(年初では3月31日実施であったが、開花遅れで1週間延ばしての本日となった。)が実施された。
JR根岸駅に11時集合、参加者9名(男性6名、女性3名)、バスにて根岸森林公園へ。歩こう会としては3回目の挑戦で従来は歩行だったが、よる年並みには勝てず躊躇することなくバスを利用した。今年は何時までも寒さに悩まされたが、本日は20℃近くまで気温が上がり、少し汗ばむような快適の歩行日和だった。
桜の開花状況は80%程度だったが、散る花びらもなく元気一杯の桜花を見られ、丁度いい時期に巡りあった。桜花の下で交わす話題は、いつもながら健康談義を始め、多岐に亘ったが、結論としては「此のようによくしゃべり、よく笑い、ガヤガヤと騒ぐ事が健康維持の素だ」と言うことになった。
根岸駅前の店で喉をうるほしながらの雑談、午後3時前に次の一泊旅行の再会を期し解散した。本日の歩行数4,500歩。本日の参加者は写真の9人。
日記 4月8日_c0130833_631529.jpg

左から深尾夫妻、中井、高田、浦本、上野、品川夫人、村上夫人、幸田
     (写真は高田俊彦から)
次の写真は上野三郎撮影    桜の下での三々五々の集団
日記 4月8日_c0130833_6332420.jpg

日記 4月8日_c0130833_633506.jpg

by naniwa-navy | 2011-04-08 05:25 | 日記
日記 4月7日
4月7日
 66年前 天一号作戦関連で大和を含む10隻の艦隊が沖縄に向け出撃し、うち6隻(戦艦大和、巡洋艦矢矧、駆逐艦朝霜、霞、濱風、磯風)が撃沈された日である。
 この艦隊の作戦に参加していたものは次のとおりである。
大和 国本鎮雄、故高脇圭三、   矢矧 池田武邦、
冬月 故中田隆保、        涼月 故古前英雄、
磯風 故郡 重夫、        濱風 故磯山醇美、
雪風 故中垣義幸、        霞  故大谷友之
朝霜 故深見茂雄、故浅野祥次、  初霜 故松田 清

この時矢矧で戦った池田武邦君と東京都知事石原慎太郎の対談が ↓ を張り付けると見れる。
http://www.youtube.com/watch?v=8omMDcdj22o&feature=related

この日の戦没者 66年前 昭和20年
 長谷川宏之(13空 艦攻操) 
 敵機動部隊攻撃の為、基地発進後沖縄周辺洋上で消息を絶つ(天山)

 深見 茂雄・浅野 祥次(朝霜 駆逐艦) 
 天一号作戦関連:海上特攻部隊として、沖縄に向け出撃、九州南西海面で敵機の攻撃を受け沈没戦死

 高脇 圭三(大和 戦艦) 
 天一号作戦関連:海上特攻部隊として、沖縄に向け出撃、九州南西海面で敵機の攻撃を受け沈没戦死
 藏元正浩君の「高脇 圭三君を偲んで」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-takawaki-kuramoto1.html

この日の戦後物故者なし。
石上  亨 昭和53年4月7日逝去
by naniwa-navy | 2011-04-07 05:14 | 日記
日記 4月6日
4月6日
この日の戦没者 66年前 昭和20年
 野中 繁男(宇佐空 艦攻操)
 神風特別攻撃隊第1八幡護国隊艦攻隊として沖縄周辺海面の敵戦艦に突入戦死(九七艦攻)

 東條重道君の「野中 繁男君を回想する」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-nonaka-toujyou1.html

 泉 五郎君の「特攻出撃 宇佐群像の中の野中繁男君」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-nonaka-izumi1.html

 牛尾 久二・前橋 誠一(百里原空 艦爆操)
 神風特別攻撃隊第1正統隊として沖縄周辺海面の敵輸送船団に突入戦死(九九艦爆)

 柴田英夫君の「牛尾久二の墓参」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-usio-sibata.html

 高橋 義郎(名古屋空 艦爆操)
 神風特別攻撃隊第1草薙隊として沖縄周辺海面敵艦に突入戦死(九九艦爆)

 相澤善三郎君の「高橋義郎兄を偲ぶ会」の記事 ↓ がある。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-takahasi-aizawa.html

 百瀬 甚吾(攻1 偵 察)
 神風特別攻撃隊第3御盾隊601部隊として沖縄周辺海面の敵機動部隊に突入戦死(彗星)

 江口 正一(偵4 偵 察)
 九州南方海面を素敵、九州南方洋上で戦果確認中消息を絶つ(彩雲)

 この日は大和を含む10隻の艦隊が沖縄に向け出撃した日で、多数の神風特攻隊が散華している。

この日の戦後物故者なし

 小灘裕子様(利春君の長女)から次のコンサートの案内を頂いた。

「この度5月14日(土)14時より神奈川県民ホール小ホールにて、ピアノ協奏曲コンサート~プロオーケストラと共に(古典派編)を開催することになりました。
 5年前に、オーケストラと共演して以来、リクエストの応えてのコンサートで、その時と同じ中島良能先生指揮の「湘南エールアンサンブル」というプロのオーケストラとの共演です。
 5月の一日、お時間がございましたら、お誘いあわせの上いらしていただけたら幸いです。」

なお、詳細は次のHPを見て下さい。
 http://pianomix.web.fc2.com/

興味のある方、是非参加して下さい。

なにわ会だより3号の「泉五郎君の後藤英一郎君を偲ぶ」記事をHPに取り込んだ。
by naniwa-navy | 2011-04-06 05:45 | 日記

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